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・「アリオン」全5巻 安彦良和(1980~1984、徳間書店)

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「リュウ」連載。
少年アリオンは、母デメテルと平和に暮らしていたが、ある日訪ねてきた男・ハデスにさらわれ、王であるゼウス暗殺の刺客として育てられる。
だがその暗殺に失敗し、いろいろあって父・ポセイドンの軍に加わる。
そこでもとりかえしのつかないことをしてしまい、自身の「呪われた血」に絶望しかけたとき、謎の男・黒の獅子王が現れる。

もう30年以上前の作品だと考えるとしみじみするが、半可通ながら解説してみよう。

・当時の「リュウ」について
本作は「リュウ」連載だったが、もともとこの頃の「リュウ」は、70年代後半のSFブーム、アニメブーム、ロリコンブームの中から生まれたSFマンガ専門誌だった(ちなみに、ある時期まで季刊誌)。確か大塚英志が編集に加わっており、継続的に連載していたのが聖悠希、吾妻ひでお、石川賢である。
他の雑誌と比較してみると、同時期の「マンガ奇想天外」などがライバル誌だったと思われる。
しかし個人的に印象深いのは、石ノ森章太郎の「幻魔大戦」に力が入れられていたという点だ。確か一度に100ページくらいは載っていたと思う。少なくとも50ページは載っていた。
同時期には、平井和正の「幻魔大戦」と「真幻魔大戦」が個別に連載されていたはずだ。

石ノ森版の新しい「幻魔大戦」は、平井和正の「幻魔大戦シリーズ」とはかなり違った設定の作品である。
「真幻魔大戦」巻末に載っていた座談会によると、平井和正本人は、クトゥルー神話のようにだれもが参加可能な壮大な物語にしたかったらしい。
その座談会では、平井和正の構想は大きくブチ上がって行くのだが、石ノ森氏の姿勢はクールだった記憶がある。

それでも、石ノ森版「幻魔大戦」はそうとうに面白い作品であった。しかし、ページ数はじょじょに減っていく。これを単純に人気の度合いと見るならば、編集部側が思ったほどの人気は出なかったのかもしれない。
逆に、雑誌の雰囲気や読者投稿ページで観るかぎり、「リュウ」の看板となっていったのがこの「アリオン」であった。

・当時の「アリオン」の背景について
当時の安彦良和はガンダムブームの渦中におり、なおかつアニメーターでありながらマンガを描く「地肩」も相当強いように思われた。
1980年代初頭のSFアニメファンは、とにかく安彦良和の絵は観たいに決まっていたわけで、これはSFブームというよりアニメブームからの流れだろう。
私は石ノ森ファンだが、編集部側が当初、石ノ森を「看板」と判断し、実際の結果が安彦良和の方が人気だったとしたら、それは時代の流れと言うしかない。
(実際には、石ノ森の少年誌連載は少年サンデーの「サイボーグ009」連載など、しばらく続くのだが。)

なお、一般のマンガ誌では「SFとファンタジーだけはやるな」と言われていたことから考えると、ギリシャ神話を下敷きとした「アリオン」の設定は、まさしく「SFブームだったから」と言うことはできる。
「ドラクエブーム」以降の設定のコンセンサスができる前、というのも注目に値するところである。

・「アリオン」本編について
アリオンは、彼の父の世代の権力闘争を「呪い」として引き受けていることになっている。
わけもわからずハデスに利用されていたアリオンは、後にプロメテウスから前世代の血族間闘争について聞かされることになる。
このあたりは、ファーストガンダムのザビ家やシャアの因縁の部分を切り取ってふくらましたもの、とうがった見方もできる。
いきなりネタバレしてしまうが、永遠に続くかに思われる権力闘争に、正の意味で終止符を打とうとしているのがプロメテウスであり、負の意味で終わらせようとしているのがアポロンである。
アリオンはプロメテウスの心遣いで生を受けられたことになっており、そうした「呪われた運命」以外の要素によって、アポロンに打ち勝つ。

最初の2巻くらいまでは非常によくできたファンタジーだったのだが、プロメテウス編の終わり頃から設定が忘れ去られたり、いかにもつけ足しな設定などが出て来て、かなりの早じまいで終わってしまう。
これは同時期に、劇場版のファーストガンダムがあったせいで、仕方ないと言えば仕方ないが、本作は傑作とは言いがたい出来になってしまった。
いや好きなんだけどね。

これから、さらなる深読みの森に入る。
「幻魔大戦」は、「善」と「悪」、「光」と「闇」が拮抗した世界を描いた作品だった。
だがどういうわけか早々に終了してしまい、「呪われた血」をテーマにした「アリオン」が人気を得る。
だが、「アリオン」もまた、「プロメテウス」という勇者が裁かれた後に正義を貫くという大筋があった。プロメテウスがいなければ、相当陰惨な話になっていただろう。
で、オトナたちの思惑に振り回されながら戦士として育てられる、という設定で有名なのはずっと後の作品になるが「エヴァンゲリオン」がある。

だが、私が観たかぎりでは、「エヴァ」に「よい大人」は出て来ない。出て来ても、ゲンドウより権力的には下で、歯が立たない。
権力闘争があっても、それが「よきこと」につながっていく保証はどこにもないのである。
よく考えれば、このような設定ではハナから決着らしい決着がつけられるはずがない。

「よき親代わり」がいなければ、呪われた子はその「呪い」を断ち切ることができないのだ。
「エヴァ」というのは、「信じられる愛情やモラルが次々と壊れていく物語」だということがわかる。
……本当に、劇場版できちんと完結するんですかね?

なお、アポロンはすべての陰謀を知りつつ若いのに最大の黒幕となっている設定で、それは、一般の人間たちは常に支配されたがっており、その象徴が神であり、「ティターン(作中では神々の血を引く者たち)」こそがその「神」の立場に立ってすべてを支配するべきだ、という主張を持っているからである。
こうした「市民の完全支配を望む敵役」は当時「敵」の定番であり、「アリオン」もまたその時流に乗っていた、と言える。
ところが逆に、「支配される市民側」の描写が少なく、最終的にはプロメテウス個人の因縁話として収束して行く。

こういうところもまた、いかにも70年代をすぎた「80年代の作品」と言えるのである。

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