« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月

・「アリオン」全5巻 安彦良和(1980~1984、徳間書店)

[amazon]
「リュウ」連載。
少年アリオンは、母デメテルと平和に暮らしていたが、ある日訪ねてきた男・ハデスにさらわれ、王であるゼウス暗殺の刺客として育てられる。
だがその暗殺に失敗し、いろいろあって父・ポセイドンの軍に加わる。
そこでもとりかえしのつかないことをしてしまい、自身の「呪われた血」に絶望しかけたとき、謎の男・黒の獅子王が現れる。

もう30年以上前の作品だと考えるとしみじみするが、半可通ながら解説してみよう。

続きを読む "・「アリオン」全5巻 安彦良和(1980~1984、徳間書店)"

|

【自作小説】・「笑うな、メン・イン・ブラックを」

「超自然ノベル 笑うな、メン・イン・ブラックを」
人気SFコメディ映画となり、超常現象の中でもすっかり陳腐化してしまった「メン・イン・ブラック」をなんとか蘇らせようとして書いた中編小説です。
自分ではダラダラ書いたつもりですが、パッと読めるみたいです。
アマチュア小説はあまり読まれないので、ひまつぶしにでも読んでください。

|

【評論とは】・「永遠に繰り返さなければならないのか話」

「パシフィック・リム」をやっと観た。
ツイッターだけ観るかぎり賛否両論だが、あまりに大作として公開されたため、
特撮映画、怪獣映画にありがちな論争がまたここでも繰り広げられている。
さらには、関係ない人まで素朴な感想を言って混乱を招いている。

この項では、大きな問題点である、
「怪獣は何かのメタファーか問題」と、
「女性パイロットの描写」という二点について、
思ったことを書く。

続きを読む "【評論とは】・「永遠に繰り返さなければならないのか話」"

|

【新刊】・「タブーすぎるトンデモ本の世界」

Tondemo_cover
[amazon]
タブーすぎるトンデモ本の世界

と学会・著
サイゾー
本体1500円+税

と学会が「日本のタブー」に挑む!
天皇の霊言からキリスト教と浣腸、食品添加物やオスプレイ、人権啓発アニメや放射能デマ、在特会、君が代、サンカやフリーメイソン、慎太郎閣下の問題作まで、「豪華」なトンデモ世界を堪能ください!

「タブー」とされるものは本当にタブーか? 皇室や宗教、右翼・左翼、ヤクザ、病気と食から、政治と差別、芸能界やオカルトまで、「アブナイ」作品を厳選してツッコミを入れます!

|

【アイドル】・「私の80年代アイドルかくづけ」

80年代女性アイドル格付(はてな匿名ダイアリー)
リンク先のテキストが面白かったので、自分も私見を書きます(あくまで私見)。

そもそも、80年代は前半と後半に分けなければならない。
前半は、70年代的な湿っぽさを離れた「ポップさ」が、本当に時代のメインストリートになるのか、及び腰なところがあった。
それが、アイドルで言えば82年組を経て、84年くらいを境に「商法」として確立され、80年代後半には送り手が自信満々になっていく。
だから、私の基準で言えば、「松田聖子」と「浅香唯」は、比較にならない。デビュー時期(浅香唯の場合はブレイク時期を基準とする)に間が空きすぎているからだ(聖子が80年デビューで、浅香唯がスケバン刑事でブレイクしたのは86~87年である。6年も差がある)。
だが、ベスト10にしないと盛り上がらないので、私もベストを考えることにする。

第1位 松田聖子
はてな匿名ダイアリーでは「徹頭徹尾能天気」、そして「絶対正義」、「日本が初めて獲得した先進国アイドル」となっていて、私もあまりにも聖子の輝きがまぶしいので忘れていたのだが、「聖子的な明るいアイドル」ということで言えば、70年代にすでに榊原郁恵、倉田まり子などがデビューしている。もっと前にさかのぼると、天地真理がいる。
そもそも「女性アイドル」というのは、「子役」でも「大人の女」でもない「少女」を全面に押し出して形成されたものだ。それ以前の女性の歌手といえばピンキーとキラーズとか山本リンダとか夏木マリとかが代表的で、少女でも「大人の女」イメージで売るケースも多かった。
だから、聖子の「能天気さ」を、生い立ちに還元するのは実は正しいとは言えない(ずっと前、小倉千加子が百恵や明奈との比較で「聖子の親は公務員、中産階級」と言ったことが元になっているのか?)。
榊原郁恵と聖子の「明るさ、ポップさ」以外の違いはと言えば、歌唱力くらいしかないわけで、聖子のスターっぷりは案外、そこら辺に単純に求められるのかもしれない、と個人的には思っている。

第2位 中森明菜

簡単に言えば「魔女っ子メグちゃん(松田聖子)」に対するライバルの「ノン」的役割、その席を獲得していたということだろう。
リアルタイムでは、百恵との比較がよくなされていた。70年代的なウェットさを好む人々には、百恵よりもどこか明奈は物足りない、といった感じがあったらしいが、その理由は、「貧困でも強く生きる」という「男一匹ガキ大将」から、なんとなく面白いことがないからダラダラヤンキーをやっている「ビーバップハイスクール」への変化と言えばわかりやすいか。
なお、顔は童顔で、それが案外メジャーになれた理由ではないかという気もする。
ラブコメマンガ「気まぐれオレンジロード」の「鮎川まどか」は明菜がモデルであることから考えても。

第3位 小泉今日子

デビュー当初から順風満帆のアイドルだったが、ある時期までは他の82年組(堀ちえみ、石川秀美、早見優など)とそう変わらない印象だった。
しかし85年の「なんてったってアイドル」以降、サブカル文化人御用達的な、そして「キョンキョンなら本音を言ってくれそう」といったイメージが定着する。「見逃してくれよ!」はそうしたイメージを代表する曲だが、1990年頃の作品で、もう90年代に入ってしまっている。
「本音を言ってくれそう」と言っても、あくまで「アイドルのイメージ内で」ということだが、それでも当時はかなり画期的なことだった。
なんにしても、キョンキョンを評するときには「なんてったってアイドル」以前以後で分けるべきだろう。

第4位 薬師丸ひろ子

「角川映画の専属女優」というイメージが強いが、アイドル歌手としても歌がうまく、ヒット曲も出した。
「はてな匿名ダイアリー」では、「アイドル的な先駆者はおらず、むしろNHKの少年ドラマシリーズのようなジュブナイル的なものの延長」と書かれているが、何も裏をとっていないが角川春樹が目指したのは60年代かもっと前の、きれいだけどぜったいヌードにならない女優をイメージしていたのではないだろうか。「緋牡丹博徒」の富司純子のような。
薬師丸ひろ子について書かなければならないのは、「映画女優」のイメージを保持して、「隣りのみよちゃん(死語)」的イメージから、まだ「ちょっと手の届かない存在」にとどめた、ということに尽きる。
だからアイドル女優時代の薬師丸ひろ子の人気はハタから観ると「カリスマ的」な印象が合った。
なお「はてな匿名ダイアリー」では「理系イメージ」とも書かれているが、それは沢口靖子がそういう役をやっているのと同じ感覚か? だとすると、「アイドル的な透明感」が年齢を経て「どこか浮世離れした感じ」にシフトしたということで、アイドル時代メインの話とはちょっと違う。

第5位 菊池桃子

「おっとり清楚系」のトップとして、80年代中盤以降のアイドルをけん引した存在(と、個人的には思っている)。
私より少し下の世代が、「かわいい女の子」としてイメージするのは80年代中盤以降は、もろに彼女だった(ちょっと前の前田敦子みたいなもんである)。
「はてな匿名ダイアリー」では、「『桃子』と言う名前が新生児の命名の上位を占めることがあった」とされ、事実そうなのだろうが、同時にエロマンガに出て来る少女たちの名前がやたらと「桃子」であったことも忘れてはならない。
発言にもまったく危なげがなく、「大人へのステップ」的なセクシー路線に移ることもなく、なんとなく現在に至る、といったたたずまいはアイドルのトップの座にふさわしい。
なお、今さら彼女をヴォーカルにした謎のバンド「ラ・ムー」の話をするのは野暮のきわみだと思うが、ちょうどレコードからCDへの移行期でもあり、デビュー曲は意外と入手しづらいことはひと言申し添えておく。
個人的にはその後の「TOKYO野蛮人」が好きでした。
なお「トレンディ女優でアイドル時代よりも大成功」って、ホントなの?

第6位 岡田有希子

「おっとり清楚系」として、菊池桃子最大のライバルとして立ちふさがったのが岡田有希子であった。
今でこそ「突然の自殺」という最後から帰納法的に彼女の半生は評されることが多いが、当然、当時の彼女の繊細さがテレビ画面を通して伝わってくることはなかった。
「さすがに芸能界に入っているのだから、最低限の開き直りはあるのだろう」とみんな、思っていたはずである。
歌もそこそこうまく、テレビ的にも彼女が現在のAKBのようにことさらにおふざけする必要もなく、正統派アイドルと評されることになんら遜色はなかった。
なお、隠れ巨乳としても有名であった。

第7位 河合奈保子

「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」がデビューのきっかけなのは有名。歌手としては80年デビューで、松田聖子の同期にあたる。
聖子の活躍は確かにものすごいものだったが、河合奈保子は路線が微妙に違っていたため比較されることはなかった。
というより、ざっくり言えば天地真理、榊原郁恵などのぽっちゃり系アイドルの直系とも言える。
「ファンのイメージを損なうようなことはしていない」という点では(極端な低迷期がない、ということも含めて)ほぼ完ぺきと言えるアイドルであった。
「はてな匿名ダイアリー」では「オタクアイドル的な扱われ方であった。」とあるが、世代の差もあるのかもしれないがリアルタイムで私にそのような印象はない。
そもそも、彼女がもっとも活躍した80年代前半には「オタク」という概念も曖昧だったし、その巨乳に対するフェティッシュなイメージもあまり聞いたことがない。
なお「はてな匿名ダイアリー」では「けんかをやめて」以降の路線変更がうまく行かずいったんフェイドアウトしている、と書いてあるが、その後の7、8曲までは私は記憶しているし、通産18枚目の「唇のプライバシー」もベストテンに入っているから、「けんかをやめて」以降の路線変更はいちおう成功したとみるべきではないだろうか?
「あしたのナオコちゃん」という4コママンガにもなっている。

第8位 松本伊代

「はてな匿名ダイアリー」ではベストテンに入っていなかったが、やはり入れるべきだと思う。
キョンキョンが「会議室でお弁当食べてもいーじゃん!!」とポップに「ホンネ」を打ち出したのに対し、伊代ちゃんはどこか「裏」的な「ホンネ」感があった。
実際にはないが、「ファンの人って気持ち悪いですよねー」とニコニコしながら言ってしまいそうな、でもそんなことしないだろうな、という安心感を持っていた。
だからこそ、伊代ちゃんの「本を出したんですって?」「はい、まだ読んでいませんけど(笑)」と言ったという都市伝説がまかり通るのだし、ナンシー関が喝破したように「なぜかバラエティの伊代ちゃんはぞんざいに扱われている」という状況が出現したのだ。
だが、それが彼女のアイドルとしての「親しみやすさ」、タレントとしての息の長さにつながっているのでる。
マンガ家の島本和彦が大ファンだったことでも有名。

第9位 斉藤由貴

第三回ミスマガジン。野村誠一の独特のソフトフォーカスのかかったアイドル的フォトが強烈にイメージに残っている。
デビュー当時からCM(「青春という名のラーメン」だったっけ?)を見ても私が「これは売れる!!」と確信したかわいさで、独特のイモっぽさに愛嬌があったし、そこがある程度、女性ファンも獲得できた理由なのだろう。
初代「スケバン刑事」のダイコンぶりも忘れられないが、それも愛嬌としてかたづけられてしまいそうな雰囲気があった。

第10位 南野陽子

楽曲に関し、「順位は高くまで行くが落ちるのが早い」というのはそのとおりだと思う。
その理由は、こういってはナンだが歌唱に面白みがないこと。
ドラマ「スケバン刑事」でブレイクしたのは事実だろうが、あのドラマがあまりにむちゃくちゃだったため、歌手としての活動にはあまり影響はなかった気もする。
検索すると「ミスマガジン」ではないようだが、講談社のミスマガジンがよく出ていたアイドル雑誌にひんぱんに出ていて、イメージは「ミスマガジン」に近い。
どんなイメージかというと、「徹底的に男好きのする美少女」という感じで、実際はそうでもないんだが写真の撮り方とかが、そうだったんですよ。
野村誠一撮影のグラビアが、そう思わせたのかもしれない。野村誠一の写真は、「徹底してエロ」というよりは今でいうところの「萌え」に近いものだったから。

第11位 中山美穂

当初はヤンキー路線で売ろうとしたらしいが、もっと女性っぽい印象で売りだした、という「はてな匿名ダイアリー」の意見には同意。
というか、逆に言うとそれくらいしか書くことがないのだ。それは路線変更後の彼女がかなり正統派なアイドルだったことを証明してもいる。
「ママはアイドル!」というドラマでアイドルを演じられたのも、そうした部分が大きい。なお彼女の愛称「ミポリン」は、そもそもドラマ内でのものだったと記憶する。

第12位 原田知世

実は「月刊OUT」か何かで、ゆうきまさみがゴリ推ししていたという印象しかない。
映画「時かけ」で強い印象を残したのは間違いないが、いわゆるアイドルマニアとは違う人が騒いでいたという感じ。
感覚的に言うと、ちょっと前に「ももクロ」にはまっていた人の温度に近いものを感じていたと思う。
ウッチャンナンチャンのバラエティでコントをやっていたが、「ああ、この人コント興味ないんだなあ」と骨の髄まで思い知らされた。

……とまあ、こんな感じです。
こういうのって、世代で簡単に変わっちゃいますけどね。

|

【同人誌】・「夏コミ情報」

コミケ 日曜日(二日目) 東地区“O”ブロック−07a WAIWAIスタジオ です。

一般的評価の対象外となっているマンガの紹介本「ぶっとびマンガ大作戦」の新刊・19号が薄いですが、出ます。
(400円)

なお、バックナンバーも何号か持って行きます。
残部少数のものもあるので、ぜひこれを機会にお買い求めください。

・「ぶっとびビデオジャケット大作戦」 400円
変なビデオジャケットを集め、中身も見て、あーだこーだ書いてます。かに三匹さん(かに温泉)との共著。

【委託】
・「と学会誌31」 と学会

小説本(注:当日、本人はいません)
・「双生姦」 とよかわさとこ 500円
「札幌に住む双子のミウとミキヒコ(29歳)はお互いのボーイ/ガールハントの成果を報告しあうほどの仲良し姉弟。しかし、そんな毎日に異変が…。ちょっと変わった姉弟のラブ?ストーリー」

・「鳥類の時間」 とよかわさとこ 2000円
「現代に住む青年福野は偶然に出会った美女だりあに謎の宿命を感じて惹かれていく。一方隠れキリシタンの雇われ用心棒シロフクの運命は不具の姫が収容されてきたことによって大きく変わっていく。二人の正体は、そして関係は?楽しくて悲しいファンタジーSF」

サークル;女医風呂
・「HeNoVe 2012 SUMMER」 500円
・「HeNoVe 2012 AUTUMN」 600円
「ライトノベル的なものを書いてみよう!」という趣旨でメンバーが書いた短編小説集です。
新田五郎も書いています。

【他のサークルに書いた原稿】
以下のブースで頒布される同人誌「特撮が来た」で、「特命戦隊ゴーバスターズ」について、ちょこっと書かせてもらっています。

「開田無法地帯」8月11日(日)東P-02a
「ガメラが来た」8月11日(日)東V-60a

|

【書籍】・「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」 大塚英志(2004、講談社現代新書)(自分のウェブサイトから改稿して転載)

[amazon]
内容 amazon(「BOOK」データベースより)
ロリコンまんがの誕生、岡田有希子の自死、キャラクター産業の隆盛、都市伝説ブーム、フェミニズムの隘路。現代日本社会の起源を探る試み。

他の人はどうだか知らないが、80年代中盤~後半には、個人的にさまざまなオタク的事象や物件を説明してくれる人を望んでいた。
しかし、周囲にはそういう人はいなかった。私の認識では、当時、上の世代にも下の世代にも届く言葉で「おたく論」を商業出版していたのは大塚英志と、後は浅羽通明くらいだった。それと橋本治かな。

本書は、その頃からの著者の興味をそのまま90年代後半に語り直したといった趣のもので、ものすごく生意気な感想を言えば、語り直したことによってその主張と表現はより老獪になったように思う。
15年前に「こりゃいくら何でも言いすぎだろう」とか「単なる当てはめなんじゃないの」と私が感想を抱いた部分にフォローが入っていたりして、著作として「うまく」なっている。
それでいてリアルタイムでの若書きや勇み足も口をぬぐわず正直に認めているところが、「老獪」と表現したゆえんだ。

・新人類とオタクの「内面」
内容としては個人的に「新人類」に対する文章がいちばん面白かった。
80年代前半に「新人類」な人々がやっていたのが「擬態された運動」で、それの背景には左翼革命的な考えがあって、消費社会の実現による階級差の消失という思想があって、それの親玉(親玉という表現はしてないが)が糸井重里であった、というのはたぶん本当のことだろう。

糸井重里がインターネットに乗り出したときに言っていた「好みのジーンズをつくりたいと思ったとき、ネットで知り合った製造、流通、販売のプロたちが今までになかった自分たちの好みのジーンズを完成させる」といった例は、まさにそんなユートピアを連想させるから。

しかし、「新人類」と「おたく」が男性原理を隠蔽していた、というのはどうかなと思った。これは大塚英志のおたく論全般に言えると思うんだけど、評する対象であるおたくなり新人類なり女子高生たちを、あまりに「主体性」があると無前提に決めつけているように感じる。

もっとも、彼にとってはそれは当然といえば当然で、今まで大塚英志のキーワードって「通過儀礼」だと思っていたんだけどそうではなくて、本書を読むと「内面」だということがわかる。
おたくおたくと言いながらも、彼の考えの基盤は「内面描写」に固執した24年組の少女マンガにあり、あくまでも対象の「内面」から切り込んでいこうとする批評スタイルは昔から変わっていない。

「新人類」と「おたく」と男性原理ということからすると、隠蔽も何も、そんなことに考えも及ばなかったというのが大半だったと思う。「すべての価値は等価だ」と考えていた「新人類」の大半の人は自分は「思想家」だとは考えてもいなかったし、したがってフェミニズムにも興味なかったんじゃないかな。で、「等価だ」と考えるのも当然自分の都合のいいような等価でしかなかったから、何も考えなかったのも当然だと思う。

「おたく」側にしても、80年代当時のマンガを読めばわかることだが、男性原理という観点から慎重な検討が加えられた作品などほとんど存在しない。いや少女マンガだってそうだったかも。

何が言いたいかというと、「ある問題を検討してこなかった」とか「隠蔽してきた」と糾弾されてしかるべき立場の人、というのは、逆に言えば「全般的に気配りができていなければならない」人だということで、そういった「自覚」がめったやたらと不問にされていったのが80年代という時代だったと思う(だから呉智英は「士大夫」という言葉を持ち出してきて、そのグダグダ状態を律しようとしたと記憶する)。
たとえば「女の子の前でエロ本を読む」ことがセクハラかどうかなんて、当時ほとんどの男が考えていなかったし、それは新人類がどうのというよりは、男性全般の問題だろう。

・アイドル論批判
同じことは、岡田有希子の自殺にひっかけた当時のアイドル論批判にも言える。ここでは「自分たちのイメージを『アイドル』として女の子に押しつけた」男たちが糾弾され、また押しつけられたイメージを演じるか、あるいは自殺かの二者択一をせまられかねず、自分の心情を語る言葉を持ち合わせいなかった当時の女の子の状況、みたいなものについて語られる。
もともと、私は宮崎勤にしろ酒鬼薔薇にしろ、特定の個人から社会問題を敷衍させて語る手法があまり好きではないのだが、ここでのアイドル論批判もほとんど言いがかりに近い(それは、特定世代に神聖視されている岡田有希子と、現在のグループアイドルの状況を比較してもわかることだろう)。
確かに言いがかりに近いのだが、何となく岡田有希子の心情を理解できた気になってしまうし、当時の男性原理の発露の問題としてもまったくないわけではないことなので、「老獪」と書いたのはそういう意味が含まれる。
「少女民俗学」ですべりまくった筆が、ここでは抑えられているし。「内面」からのアプローチが、面白い方向に転がっていった例だとは思う。

「内面」の問題は、他にも宮台真司がブルセラ女子高生を語ったときに「内面、自意識がない」とか何とか言ったこととも関連して語られていて、24年組にハマったんだとしたら大塚英志のイライラはわからないではないけど、それなら根本敬の考える「自意識」についてはどう思っているんだろうかという疑問は残る。

(大塚英志の、少なくとも90年代半ばくらいまでの著作では「この人は○○を知らないか、わざと無視しているのではないだろうか」という立論が非常に多い。そういう部分が極力少ないのが、本書のいい点なのだが。)

根本敬の著作に、確か自分の小学校時代の傍若無人な中年男性教師(理科室の冷蔵庫にビールを入れていて飲む、女性教師にはセクハラし放題、確か暴力もふるう)の「自意識のなさ」にある意味感動してしまうということが書かれていたと記憶する。
根本敬が「イイ顔」のオヤジを追っているのも彼らの「自意識(または自意識のなさ)」に興味があるはずで、それらは憧れの対象になりながらも同一化はできない、という複雑さ、別の言い方をすれば奥ゆかしさを持っていると思う。

しかし、大塚英志や宮台真司は人間には最初から「内面」とか「自意識」があるもの、と想定して物事を語っているフシがあり、宮台真司の女子高生論に至っては個人的には「何でガキの自意識なんか問題にしないといけないんだ?」と私は思っています。

・ちょっと何でもかんでも「不毛」だと思いすぎなんじゃないか?
……ということで、おそらく大塚英志がなぜいつもぷんぷん怒っているかというと、たぶん自分が読者対象としている「おたく」の内面とか自意識が最初から明確に見えてこないからで、私からするとそんなの当たり前だと思うんだけど、まあこの人にとっては「怒って当然」なんでしょうね。

ちょっとショックだったのは、大塚英志が「おたく文化」に対して「関わってるけど不毛だと思う」と明言していること(本書p320)。ちょっと引用が長くなるからしないけど。「関わってるけど不毛」というのと「不毛だけど関わってる」というのはぜんぜんニュアンスが違うと思う。
昔の彼には、自分が不毛な場に居合わせているのだという妙な居直りみたいなものは確かにあった。でも、もうちょっと屈折した愛情みたいなものが見られたけどなあ。なんか「不毛だと思ってんなら、やるなよ」とか思った。
しかし考えみれば、内縁の奥さんから「フリーの編集者なんて男の子の一生の仕事じゃない」と言われたとか何とか昔書いてて、それで浅羽通明から「だったらなぜそれを自分で『一生の仕事』に仕立て上げようと思わないのか」みたいなマッチョなことを言われてたけど、最初っから不毛だと思ってたらそりゃいやだろうなあ。
それに、論壇誌に書いてる理由も理解できるような気がするし。などと書いちゃいけないかなあ。

冒頭の話に戻ると、大塚英志を「おたく論」の代表選手の一人だと世間が認知しているかどうかはわからないが、たぶん完全に思想とか論壇寄りでない書き手として、外部向けの言葉を持って当初商業誌に登場してきたことは確かだ。
で、今思えばあんなに「おたく、おたく」と言っていたのに、大塚英志は24年組少女マンガが大好きで、文学を除けばたぶんそれがいちばん好きで、そこを立脚点にして語る人、であったというのは強調しておいていいと思う。

意見が違うとか何とかいう以前に、同じオタクライターでも、SF、ミリタリー、特撮、アニメ、といったところを出自にしている人とは明らかに文章の感触が違う。
あるいはファンジン出身者からアニメや特撮のムックをつくってきた人とも違う。

個人的には論の立て方がどうとか言うよりも、90年代半ばまでの仕事としては、大塚英志のおたく文化に対する「不毛さ」の感覚と、たぶん当事者ではないがゆえに落としていったマンガやアニメ以外の他ジャンルの人の発言、に思いをはせたりする。
そういう意味ではこの人はよくも悪くも代弁者であって、おたく自身ではないと思ってしまう。
それは、本書での岡崎京子に対する(正確に言えば、岡崎京子というマンガ家の成立に対する)熱の入れ方から見ても思う。基本的にこの人はマンガとその周辺プロデュース担当なのだなと。
(04.0324)

|

タモリストラップの怒り

おお 道路標識よ
そして パルテノン神殿よ
あなたはどうして ドミトリイなの?
ペレストロイカって 懐かしいねって
缶ビールひとつで 言ってしまっていいとも~!
お嬢さん ガンベルトと アンメルツを忘れてますよ
知らない男子中学生の
寝起きドッキリ見せられて
われ 泣きぬれて
ハンモックと トランポリンを
間違え 堂々訂正す
(完)

|

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »