【雑記】・「学者ジョーク、学者門外漢見解よ、なくなれ」
・学者ジョーク
私は子供の頃、学者に憧れていた。
理系だったらお茶の水博士やギルモア博士。文系だったらだれだろう? 稗田礼二郎かな。
彼らは自分の専門分野にぜったいの自信を持ち、ときに憂国の気分や正義感にかられて行動する。
実在の学者でもそうだ。
中には軽妙にジョークを飛ばす学者もいる(というか、マスコミに登場する学者の多くはそういう目立ちたがりな一面を持っていると思う)。
私は学者の飛ばす、風刺の効いたジョークにもある時期まであこがれていた。
だが、四十歳を過ぎてから、まったく憧れなくなった。
彼らは高みから下界を見下ろして気のきいたことを言っているつもりになっているだけで、多くの場合、社会や人間心理に対して皮肉を効かせたそのジョークは、実際には何の役にも立たない。
芸人だったら発言が実際の役に立たなくてもいいが、学者ならどうだろう。「別にいいじゃないか」と思われる人もいるかもしれないが、私はイヤである。
「社会風刺のようなそうでないような」コメントなど、私は学者に求めていない。
最近では、ネット上でそういうものを見るとムシズが走る。
・学者門外漢見解
こちらの方は、一般的にもときおり、批判の対象になる。
学者には専門分野がある。こちらが得意だからといって、あちらが得意だとはかぎらない。
ところが、「あちら」の分野で、本を何冊も出している人がいる。専門家のようにふるまっている人がいる。
これはいまだに「学者なら、別の分野でもそうひどい仕事はしないだろう」という幻想が、一般人にあるからだろう。
私がそう感じるのは、たとえば原発問題などのシビアな分野ではなく、むしろ娯楽の分野だ。
編集者が別の仕事で研究室に行って、たとえば映画なら映画の本がけっこう並んでいるのを見て、「先生、映画にくわしいんですかぁ。それじゃ一本、映画についてエッセイ連載してみませんか?」
学者「いやあそれほどでもないんだけどね。ウヘヘ」
そういうわけで、愚にも付かない映画評論や書評やマンガレビューが世に出て来るわけである。
そうに決まってる!
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