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「隠密剣士」、「仮面の忍者 赤影」、「仮面ライダー」などの脚本家、伊上勝の評伝。
まず、伊上の息子であり「平成ライダー」の立役者的存在の脚本家・井上敏樹の、冒頭の文章が圧巻。
天才で、なおかつ家庭をメチャクチャにしていた父への愛憎相半ばする気持ちを綴っている。
娘が父親をどう見るかわからないが、息子はほとんどの場合、父親をライバル視する、と私は思っているので、井上敏樹の父への思いがビンビンに伝わってくるこの文章は、伊上のみならず井上ファンも必読だろう。
関係者のインタビューが何人か収録されており、これらも1960年代頃からのテレビの子供番組事情を知るうえで、貴重なものである。
ただし、本書では、「伊上勝が具体的にどういう脚本家だったのか」が今ひとつよくわからない。
「これは伊上脚本である」と見当をつけて「赤影」や「仮面ライダー」を観た人向け、つまりマニア向けと言われても仕方がないつくりになっている。
私が子供の頃観た特撮ドラマは、本書の伊上脚本の特徴としてあげられる、「話のつじつまが合っていない」とか「説明不足」、「だが勢いはあった」ということは言える。
それが「紙芝居を元にした脚本」というのも、間違ってはいないだろう。
だが、特撮マニアではない私の記憶では、昭和四十年代の多くの子供向け特撮ドラマはつじつまがあっておらず、紙芝居的であった。そもそも、伊上に限らずある世代はほとんどが紙芝居を観ているはずである。
だから、「つじつまが合わない、紙芝居的、勢いがある」というだけでは、「伊上勝とそれ以外の脚本家」を区別することにはならない。
そこが非常に気になった(この点、岩佐陽一が文章を寄せているが、短すぎる)。
もう一点、気になったところは本書の内容とは少し離れるのだが、
「つじつまを合わせて、きちんと心理描写なんかもして」という脚本を嫌う人が一定量、オタク内で存在することを不思議に思っていたのだが、どうやら時代の勢いで「つじつまは合っていないが勢いのある脚本」が、子供番組において求められた時期があったらしい、ということだ。
「仮面ライダー」が、石森章太郎などの「怪奇性を打ち出したい」というコンセプトでは人気が出ず、アクション中心の伊上脚本で人気が出た、というのは事実ではあるだろうが、スルーできない重要な問題がある気がする。
なぜなら、伊上の関わった「仮面ライダーアマゾン」や「変身忍者嵐」や「スカイライダー」、いずれも「当初は怪奇性がウリ」で、「テコ入れ的に怪奇性が排除されていった作品であり、同じことを何度か繰り返しているからである。
東映の昭和ヒーローものにおいて、成功の原因は「石森的な怪奇性」なのか、「伊上的な勢いのあるアクション描写」なのか。あるいはその両方か。
この辺のことを考えるのは、案外重要なのではないか(マニアにとってはとっくになされた議論であっても、だ。)
それともうひとつ。
本書の中の井上敏樹の「捕捉」は、彼独自の「ヒーロー論」になっており、評価する人もいるようだが私個人は、「変わったことを考える人がいるものだなあ」以上の感想しかなかった。
ここに書かれていることは、私個人は「奇妙な視点」だと思う。というか、そんな考えでヒーローものの脚本を書いている人がいるとは、知らなかった。
その「奇妙な視点」を読むだけでも、価値はあるだろうとは思うが。
アマゾンではすでに中古しか取り扱いがないのは、残念だ。