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2013年4月

・「ドラゴンボール」全42巻 鳥山明(1986~1995、集英社)

週刊少年ジャンプ連載。
孫悟空という少年が、さまざまな冒険をしながら「7個集めると、どんな願いでもひとつだけかなえてくれる」という伝説のドラゴンボールを探して冒険をする。

言わずと知れた有名作であり、連載終了後も新しいファンを獲得しているという。
「ドラゴンボール」直撃世代の上限は、1986年に16歳だとすると44歳。連載は10年続いているから26歳のときには購読をやめている可能性もあるので、ヴォリュームゾーンは現在の40歳前後ということになろうか。
ドラゴンボールの連載時期は、いわゆる「ジャンプ黄金時代」とだいたい重なっていることもあり、特別な「メジャー感」を醸し出している。
ちなみに「北斗の拳」の直撃世代はもう少し上の年齢となる。

で、現在でも劇場版新作アニメが公開されている本作なのだが、現状、新しくリリースされている作品と違った、すでに「古く」なってしまった部分、ある意味、「ドラゴンボール」というか「少年ジャンプ」が「終わらせてしまった」部分を、指摘してみたいと思う。


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【映画】・「HK 変態仮面」

監督・脚本:福田雄一

SM嬢の母と正義感あふれる刑事の父のもとに生まれた色丞 狂介(鈴木亮平)は、拳法部所属だがふだんは弱虫な少年。
だが、女性のパンティを頭からかぶると、スーパーヒーロー「変態仮面」に変身し、悪を倒すのだった。

なんでも大ヒットしているということで、まことにめでたい。でも大ヒットの理由はよく理解できません(笑)。確かに絶妙な原作チョイスではあったとは思うが。

プロットは基本的に、近年のアメコミヒーロー映画のフォーマットをごく単純に踏襲している。
ただし、スーパーヒーロー映画ファンとして見た場合、「ちょっとヒーローものに対して愛情が足りないかな」と思ってしまった。
本作に出て来る「スパイダーマン」のパロディなんて、もっと大胆にやってもよかったと思うし、ニセ変態仮面に傷つけられた変態仮面の名誉も、最後まで回復されないままなのだ。

ただし、変態仮面の肉体、動きの再現度はハンパない。主演の鈴木亮平は、このために身体をつくったとも聞く。
要するに、本作は「変態」を追究した映画であって、「仮面」の部分はまあ添え物なのだろう。

ギャグに関しては、福田雄一のノリを理解していればより楽しめると思う。
しかし、どういうわけだか、日本のコメディ映画の多くはしゃぎすぎというか、はりきみすぎた「おもしろ」を提示してしまうのだが、本作もなぜかそうなっている。ギャグの部分で、サービス過剰なのだ。
それと、脚本のやや雑なところも目についた。「変態仮面」連載時の少年ジャンプでは、「ホモ」とはギャグ的にだれでも引いてしまうような印象で、それを前提にしないと実は変態仮面の股間を押しつけて来る攻撃などは成立しない。
それなのに、本作では「モーホー仮面」をどう倒したかが描かれないのは、おおいに不満である。
このため、ただでさえややアナクロな物語が、完全に90年代的なものになってしまっている。

まあでもこういう映画に目くじら立てるのも、おとなげないと思いますよ。

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【書籍】・「伊上勝評伝 昭和ヒーロー像を作った男」 井上敏樹、竹中清(2011、徳間書店)

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「隠密剣士」、「仮面の忍者 赤影」、「仮面ライダー」などの脚本家、伊上勝の評伝。

まず、伊上の息子であり「平成ライダー」の立役者的存在の脚本家・井上敏樹の、冒頭の文章が圧巻。
天才で、なおかつ家庭をメチャクチャにしていた父への愛憎相半ばする気持ちを綴っている。
娘が父親をどう見るかわからないが、息子はほとんどの場合、父親をライバル視する、と私は思っているので、井上敏樹の父への思いがビンビンに伝わってくるこの文章は、伊上のみならず井上ファンも必読だろう。

関係者のインタビューが何人か収録されており、これらも1960年代頃からのテレビの子供番組事情を知るうえで、貴重なものである。

ただし、本書では、「伊上勝が具体的にどういう脚本家だったのか」が今ひとつよくわからない。
「これは伊上脚本である」と見当をつけて「赤影」や「仮面ライダー」を観た人向け、つまりマニア向けと言われても仕方がないつくりになっている。

私が子供の頃観た特撮ドラマは、本書の伊上脚本の特徴としてあげられる、「話のつじつまが合っていない」とか「説明不足」、「だが勢いはあった」ということは言える。
それが「紙芝居を元にした脚本」というのも、間違ってはいないだろう。

だが、特撮マニアではない私の記憶では、昭和四十年代の多くの子供向け特撮ドラマはつじつまがあっておらず、紙芝居的であった。そもそも、伊上に限らずある世代はほとんどが紙芝居を観ているはずである。
だから、「つじつまが合わない、紙芝居的、勢いがある」というだけでは、「伊上勝とそれ以外の脚本家」を区別することにはならない。
そこが非常に気になった(この点、岩佐陽一が文章を寄せているが、短すぎる)。

もう一点、気になったところは本書の内容とは少し離れるのだが、
「つじつまを合わせて、きちんと心理描写なんかもして」という脚本を嫌う人が一定量、オタク内で存在することを不思議に思っていたのだが、どうやら時代の勢いで「つじつまは合っていないが勢いのある脚本」が、子供番組において求められた時期があったらしい、ということだ。

「仮面ライダー」が、石森章太郎などの「怪奇性を打ち出したい」というコンセプトでは人気が出ず、アクション中心の伊上脚本で人気が出た、というのは事実ではあるだろうが、スルーできない重要な問題がある気がする。
なぜなら、伊上の関わった「仮面ライダーアマゾン」や「変身忍者嵐」や「スカイライダー」、いずれも「当初は怪奇性がウリ」で、「テコ入れ的に怪奇性が排除されていった作品であり、同じことを何度か繰り返しているからである。

東映の昭和ヒーローものにおいて、成功の原因は「石森的な怪奇性」なのか、「伊上的な勢いのあるアクション描写」なのか。あるいはその両方か。
この辺のことを考えるのは、案外重要なのではないか(マニアにとってはとっくになされた議論であっても、だ。)

それともうひとつ。
本書の中の井上敏樹の「捕捉」は、彼独自の「ヒーロー論」になっており、評価する人もいるようだが私個人は、「変わったことを考える人がいるものだなあ」以上の感想しかなかった。
ここに書かれていることは、私個人は「奇妙な視点」だと思う。というか、そんな考えでヒーローものの脚本を書いている人がいるとは、知らなかった。
その「奇妙な視点」を読むだけでも、価値はあるだろうとは思うが。

アマゾンではすでに中古しか取り扱いがないのは、残念だ。

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【雑記】・「学者ジョーク、学者門外漢見解よ、なくなれ」

・学者ジョーク
私は子供の頃、学者に憧れていた。
理系だったらお茶の水博士やギルモア博士。文系だったらだれだろう? 稗田礼二郎かな。
彼らは自分の専門分野にぜったいの自信を持ち、ときに憂国の気分や正義感にかられて行動する。

実在の学者でもそうだ。
中には軽妙にジョークを飛ばす学者もいる(というか、マスコミに登場する学者の多くはそういう目立ちたがりな一面を持っていると思う)。

私は学者の飛ばす、風刺の効いたジョークにもある時期まであこがれていた。

だが、四十歳を過ぎてから、まったく憧れなくなった。
彼らは高みから下界を見下ろして気のきいたことを言っているつもりになっているだけで、多くの場合、社会や人間心理に対して皮肉を効かせたそのジョークは、実際には何の役にも立たない。

芸人だったら発言が実際の役に立たなくてもいいが、学者ならどうだろう。「別にいいじゃないか」と思われる人もいるかもしれないが、私はイヤである。
「社会風刺のようなそうでないような」コメントなど、私は学者に求めていない。

最近では、ネット上でそういうものを見るとムシズが走る。

・学者門外漢見解
こちらの方は、一般的にもときおり、批判の対象になる。
学者には専門分野がある。こちらが得意だからといって、あちらが得意だとはかぎらない。
ところが、「あちら」の分野で、本を何冊も出している人がいる。専門家のようにふるまっている人がいる。

これはいまだに「学者なら、別の分野でもそうひどい仕事はしないだろう」という幻想が、一般人にあるからだろう。

私がそう感じるのは、たとえば原発問題などのシビアな分野ではなく、むしろ娯楽の分野だ。

編集者が別の仕事で研究室に行って、たとえば映画なら映画の本がけっこう並んでいるのを見て、「先生、映画にくわしいんですかぁ。それじゃ一本、映画についてエッセイ連載してみませんか?」
学者「いやあそれほどでもないんだけどね。ウヘヘ」

そういうわけで、愚にも付かない映画評論や書評やマンガレビューが世に出て来るわけである。
そうに決まってる!

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【イベント】・「トンデモ本大賞」

6月8日(土)14:00~
於:お台場カルチャーカルチャー

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【創作小説】・「自作小説」

小説 美しくも残酷な思春期が嘲笑う
中学校に自主的に発足した少女たちの文芸サークル。それは退屈しのぎに犯罪を行う恐ろしいコミュニティだった。中年理科教師が調査に乗り出したとき、ある「者」が電撃的に到来する!!(2011年執筆)

小説 美しくも残酷な思春期が嘲笑う(完結編 ザ・ラスト・バトル)
前回の「美しくも残酷な思春期が嘲笑う」の出来がどうにも不満だったので続編を書きました。前作が「マッドマックス」だとすると、本作は「マッドマックス2」です。ぜんぜん雰囲気が違います。荒廃した地球が舞台のスペクタクル巨編になっております。やけくそです。前作を読まなくてもいいとは思いますが、前作も読んだ方が楽しめると思います。畜生。ホッピー飲んで、寝るぞ!

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