峯岸みなみ、丸刈り号泣「AKB辞めたくない」(sanspo.com)
いやーもうどん引きした。ここまでアイドル関係の、ワイドショーレベルでの報道で引いた、って自分の中で今までなかったんじゃないかな。
いちおうお断りしておくと、自分は「アイドルなんかなくなれ」とは思っていない。むしろその逆。アイドルは好きです。
「アイドルなんかくだらない、なくなれ」っていう方向で論理を組み立てていった方が、ぜんぜん楽ですよ。だって本当に、もともとあってもなくてもいいようなものだし、フェミニズム的観点から言っても旗色は悪いでしょう(「恋愛禁止」自体がナンセンスだと言えばよい。まあ、私もナンセンスだと思いますけど)。
ただ、そんな論を組み立ててもぜんぜん面白くない。ショーとして、アイドルにしか見せられないものは確実にあるし、アイドルであるからには、たとえばやっぱり「私、処女じゃありませんてへへ」とか言ってはまずいのだ。
しかし、それも程度の問題である。これから書くのは、程度の話だ。
AKBグループにはまったく興味がなかったんだけど、昨年の「総選挙」あたりから、テレビレベルで彼女たちの努力が「美談」として語られるようになって、何かずっとモヤモヤしたものを感じていた。
彼女たちはいったい何を基準にして努力しているのか? おそらく、AKBグループ内部での自分のポジションをより高く持って行く、ということだろう。私の知るかぎりでの彼女たちの「努力」に対する発言のほとんどはそこに集中している(まあ、人気準で上位20人くらいは、違う基準でものを観ているのかもしれないが)。
しかし、そんな彼女たちにとってほとんど「全世界」であるAKBグループとは何なのか? と考えると、それは「だれかが勝手につくったもの」である。まあ国家でも社会でも「だれかが勝手につくったもの」と言うことはできるが、AKBグループの場合、あまりにも勝手にルールが改定されすぎるし、別にAKBでの一番がアイドルの一番、というわけでもない(と、私は思っている)。
そういう意味では相撲界などともちょっと違っている。相撲界は、あくまでも日本にひとつしかないし、相撲のナンバーワンになるためには、相撲界に入るしかない。
だが、アイドルは違う。
自分はかつて、モーニング娘。がけっこう好きだった。娘。もAKBと同じように、恋愛のもめごとやら「娘。の中でのポジション取り」という問題があったにはあったが、あくまでも基本はファンに「すばらしいショーを見せる」ということが基準になっていたと思う。
的外れでもファンが不満でも、「アウトプットされるもの」が基準になっていたはずだ(少なくとも「ASAYAN」以降は。私はASAYAN以降のファンです)。
ところが、AKBの場合は「総選挙」が象徴的だが、別に歌がうまいとかダンスができるとかはあまり関係ない。というか、私から見てあまりに関係なさすぎる。
よくAKBはプロレスにたとえられるが、それは違うと思う。プロレスは、「ショー」としてのクォリティのために、選手がものすごい努力をしてある程度まで自分の「プロレス」のレベルを引き上げる。
いや、AKBの子たちだって努力はしてるだろうけど、それがどのように自分たちにフィードバックしていくかが、あまりにも見えなさすぎる。
より正確に言えば、アイドルとは本質的にそういうものなのだが、その「努力の見えなさ」を商売にしすぎるのだ。
なぜみんな(受け手)気がつかないんだろう? 自分たちがふだん、いろんな社会システムにこづき回されている、まさにその感じをより悪趣味なかたちで吐き出したのが今回の件ではないか。
そりゃだれだってひとまず(熱烈なファンなら)共感はするだろう。ふだん、一般の人々だって「恋愛したから丸刈り」みたいな理不尽さを押し付けられながら生きているのだから。
そして、峯岸さんを慰めてくれる他のメンバーや、他のファンたちの応援メッセージ、そして何より今回のトラブルにもめげず舞台に立ち続ける峯岸さんに、感動もするだろう。
だがちょっと待て。その「感動」に至るまでのトラブルがつくられたのはどうしてなんだ?
それは、きわめて人工的な「AKBグループ」というものがあったからでしょう?
この辺、ものすごくモヤモヤする。今でも。
なんで、「だれかが勝手につくったもの」を、まあぶち壊そうというのが時流ではないのなら、せめて認識だけはしないんだ?(小林よしのりみたいに、AKBグループの人工性を認識しながら賞賛するのがいちばんタチが悪いんだけどね。あと、AKBと今後の日本社会は、断じて何の関係もないからな。少なくとも、おれには関係ない)。