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2012年12月

【昼ドラ】・「幸せの時間」

「幸せの時間」は、国友やすゆきによる、1997年から2001年に漫画アクションで連載された、色欲と金欲に翻弄された家族が崩壊していくというドロドロな「昼ドラ的」マンガである。
ほぼ10年経ってからのドラマ化なわけで、逆になぜもっと早くドラマにならなかったのか、不思議なくらいのオイシイストーリーであった。

発端は、念願のマイホームを建て、そこに希望を持って引っ越してきた家族(夫・浅倉達彦、妻・智子、受験生の兄・良介、中学生の妹・香織)が、一人の若い女性・高村燿子を車でひいてしまい、その女性が夫と肉体関係をもってズブズブになっていくというもの。

ドラマ化を知ったのが、5、6回過ぎた後であわてて視聴を始めたのだが、まず「漫画アクション」という媒体上、主に「男性視点」だった本作を、「昼ドラ」の主要視聴者層である女性向けに描き直してあることに気づいた。
また、地上波で昼間に放送されるという制約上の問題など、いろいろと見るべきものがあったので、最終回を迎えたこともあり、その辺の話をしていきたい。

まず、単に「いわゆる昼ドラ」のドロドロ、メチャクチャ、アナクロを目指すのではなく、かなり誠実につくられたドラマだと思う、ということは最初に言っておきたい。これをコントとか言ったらつくった人がかわいそうだ。
まず、ヒロイン・智子の家庭を壊す耀子(夫の愛人となる)と花屋・篠田(智子をレイプしようとする。未遂に終わる)には、それなりの「孤独」という理由があったこと。
次に、最終回に突然改心するとかではなく、ドラマが経過していく中で耀子と花屋の心の動きをきちんと描いていたこと。
そして、「絵に描いたような幸せ家族」をつくることだけを考えてきたヒロインの思考の変化をも描き、自身も浮気することによって、自分にとって異物だった耀子を受け入れたこと。
(また、息子・良介がはらませた蓮っ葉なおねえちゃん・奈津とその子供の存在も受け入れている。)

これだけとっても、周到につくられたドラマだとわかる。「ラストが中途半端」という声もあるが、ドラマの流れから言ったら、家族が完全に崩壊する(あるいは元通りになる)方がおかしい。

達彦の親友・矢崎(柳沢慎吾)夫婦が「きれいごとだけではない、理想の夫婦」として登場するのは原作と同じだが、おそらく自主規制で慎吾ちゃんが香織と肉体関係を持たなかったために「子供のいない夫婦と、それに憧れる少女」の聖性は増した。

なお、ヒロイン・智子の浮気はその顛末が少々コミカル、達彦の浮気が地獄の大罪のように描かれるのは主婦向けだから。原作は「つくりもの家族を放置して我欲に徹する夫」が中心だったが、それを妻視点に書きなおした手腕は相当なものだと思う。

なお、会社パートは「家族」というテーマを打ち出すためか原作と比較して大幅にシーンが減っているので、原作で印象深いキャラクター「望月さん」が、脇役に後退してしまったのは少し残念だった。

本作は、簡単に言えば「家族一人ひとりが、自分たちの役割を放棄し、我欲に走ってしまったらどうなるのか?」という、モラル崩壊の物語である。
「それまで形式だけでうまくいっていたものが、そうではなくなる」というのは今日的なテーマだ。ちなみに映画「アウトレイジビヨンド」もそのたぐいである。

ふた昔前なら、厳格な父親か、懐の深い母親がまとめたこと、あるいは逆に、浮気なら浮気でだれかが耐え、だれかがちゃらんぽらんになることで成立していたことが、今は通じない。
ヒロイン・智子の母(丘みつ子)の世代までが、「自分の結婚に愛はなかった」と言う時代。つまり、まず大家族幻想は断たれている。

次に、智子が持っている「ニューファミリー幻想」も、夫・達彦の浮気によって崩壊する。しかも、ニューファミリー幻想は、「大家族制度」以上に倫理観について厳格なため、一度でもルールを犯すと心情的にも「裏切った」と見なされ、「ニューファミリー」は元に戻れなくなってしまう。

結果、浅倉一家が「今までどおりの家族」に戻ることはなかった。しかし、バラバラになるのではなく、どこかでゆるくつながっているような関係は保持されていく……というラストは、当然と言えば当然のものである。

さて、最後に智子の「お弁当」について。
番組のラストに毎回、視聴者から送られてきたカワイイお弁当の写真が載るのだが、ドラマ版「幸せの時間」では「お弁当」や「食事」が、かなりの意味合いを持っていた。
娘・香織が、学校で友達に自分のつくったお弁当を売っていた、ということで衝撃を受けた智子は、それでも弁当をつくり続ける。
智子にとって毎日の弁当づくりは、「家族」を守る象徴的行為なのだ。
彼女は毎日のお弁当を、すべてデジカメで撮ってデータを保存してある。

それでも家族は、いろいろあってなしくずしに崩壊していく。では、智子の主婦としての「弁当づくり」は本当に無駄だったのか? の問いには、本作は「無駄ではなかった」と応える。
主婦の観ている時間帯のドラマだから、というだけではなく、智子の「職業人としての主婦」の矜持の象徴が「弁当」であって、それは娘が友達に売ろうが、いいかげんに扱われようが、関係のないことなのである。

別の見方をすれば、理想ばかり追い求めていた智子が、いろんなものを受け入れて成長していくドラマの中で、「弁当」は「智子の最後のプライド」として機能していた、と言えよう。

……というわけで、マンガ原作のアニメ化へのコメントはよく見るが、「マンガ原作の昼ドラ」の感想はあまり見ないと思ったので、長文を書かせていただきました。

なお、マンガ版について私があーだこーだと感想を書いた同人誌が、アマゾンで売られているので、よかったら買ってください!!

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【コミケ】・「コミックマーケット83」

Buttobihyousi1
月曜日31日東ハ-45b  WAIWAIスタジオ

かに三匹さんと冬コミケで同人誌「ぶっとび!!ビデオジャケット大作戦」出します。
内容は主に八十年代ビデオジャケット考察というか、ハズレビデオを観た後の文句の垂れ流し!
よろしくお願いします。

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【ポエム】・「のろい先生ねぎ!」

「無意味サミット」で話題にされた、「ネギまのキャラクターのプロフィールをデタラメに書く」という企画、別ブログの「ゾミ夫」の方にありました。

こちらにリンクしておきます。
のろい先生ねぎ!(ゾミ夫)

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【冬コミ】・「アンド・ナウの会の同人誌」

アンド・ナウの会冬コミ3日目東ハ45a ‏@andnownokai

品切れだった「僕らを育てたウルトラQの時代」「僕らを育てた合作映画のすご い人」も再販します。同時刊行予定だった梶田興治監督本の第2弾は諸事情の為、延期となりました 新刊は一日目東S31a「ガメラが来た」3日目東ハ46a「開田無法地帯」東ハ56b 「心はいつも15才」に委託します

12月23日 アンド・ナウの会冬コミ3日目東ハ45a アンド・ナウの会冬コミ3日目東ハ45a ‏@andnownokai

飯塚氏から提出された資料のエピソードを聞いた再インタビューと2012年3 月にロフトプラスワンで行われた「ウルトラの世界を語る」のトークを追加した 68頁増加の増補改正版。インタビュアーは開田裕治、三池敏夫、田口清隆。1500円

12月23日 アンド・ナウの会冬コミ3日目東ハ45a アンド・ナウの会冬コミ3日目東ハ45a ‏@andnownokai

アンド・ナウの会、冬コミ3日目東ハ45aで参加します。 新刊は「僕らを育てた合成のすごい人 増補改正版」です。 東宝特撮、黒澤映画、ウルトラシリーズ、東映戦隊シリーズなどの合成、線画担当で、キングギドラの引力光線、ウルトラマンのスペシウム光線を描いた飯塚定雄氏にインタビュー。

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【雑記】・「希望とは?」

「何がカウンターか、何がサブカルチャーか」という議論が、ある時期まで(00年代半ばくらいまで?)行われてきた気がする。
その議論の中で、カウンターカルチャー、サブカルチャーの中に「わざと人をイヤな気持ちにさせる」表現というのが確実に入っていた。

それは、「一般的に、ポップなものはディズニーランドのように楽しいもの、気持ちのいいもの、さわやかなもの」という観念があり、それを逆張りしたものだと言える。
(「ディズニーランドの着ぐるみの中にはジャンキーが入っている」という都市伝説を提示する行為、などはその典型だろう。)

ところが、真剣に周囲を見渡してみれば、ポップで、そこら辺に売っていて、通勤途中のサラリーマンや家事を終えた主婦がひまつぶしに読んだり観たりするようなものの中に、「いやな気持ちのするもの」は、普通に混ざっていることがわかる。

実際、「人をイヤな気持ちにさせる表現があっていい」と主張し続けてきた人たちが、それらを知っているのか、知らないのか、私と違う評価をしているのかどうかは知らないが、だが、実際「あるものはある」のである。

「人をイヤな気持ちにさせる表現」は、ポップであろうがカルトであろうが、必要か必要でないかと言ったら、必要である。「表現の自由」の問題から言っても、あるべきだろう。
だが同時に、「人をイヤな気持ちにさせる」ことは、クリエーターの「若さ」の表現であることも、最近感じるところである。なぜなら、トシをとってくると表現上のストレスに耐えられなくなってくるからだ。
(トシをとり、ポップな表現に飽きたクリエーターが、わざと「イヤな気持ちになる表現」をする場合があり、考え出すと複雑なのだがその件についてはここではおく。)

私は希望が欲しい。

イヤな気持ちにさく時間が、もったいないとも言える。

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【イベント】・「無意味サミット」開催!!

(以下、無意味サミット ブログより引用)
——無意味は、空飛ぶラッコの赤ちゃんである。
——無意味は、ウギャッペである。
——無意味は、モチョンマである。
——無意味は、ダブルモチョンマである。
——無意味は、無意味である。
——無意味は……結論はまだない。

古来より言及の対象とされ、近年Twitterでも「無意味かるた」などで局所的に波が高まりつつある「無意味」について豪華ゲスト陣を迎え、とかく抽象的、観念的に語られがちな「無意味」を技法的、実践的側面を交えて語り尽くして最終的には全てが無に還る完全に無意味な3時間!

無意味のあれこれ、全て見せます喋ります!


初めまして、イベント主催の見る目なしと申します。
というわけで、「無意味」というキーワードを軸に、Twitterの投稿から美術までありとあらゆるものを語るイベントを行います。
当日は様々な無意味物件の紹介や考察を交え、意味はなくとも面白い時間を作りたいと思います。
重ねて言いますが、意味はありません。
無意味です。

でも……

でも……

みなさまのご来場、お待ちしてます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


会場:美学校
   東京都千代田区神田神保町2-20第二富士ビル 3F

アクセス:東京メトロ半蔵門線・都営新宿線/三田線 神保町駅 A3出口より徒歩3分
     JR総武線 水道橋駅 東口より徒歩8分
     地図

開催日時:2012年12月23日(日) OPEN 12:00/START13:00(終了16:00予定)

参加費:500円(無意味ペーパー付き)

出演:
   新田 五郎(B級マンガ蒐集家、と学会会員)
   小林 銅蟲(漫画家)
   平間 貴大(新・方法主義者)
   ぼく脳(芸人)

司会:見る目なし(ハガキ投稿者)

ご予約は美学校サイト告知ページのメールフォームからお願いいたします。

※事前予約は必須ではございませんが、席数に限りがあるため定員に達した場合当日のご入場を制限させていただくことがあります。

イベントに関するご質問、お問い合わせはイベント主催の見る目なしへお願いします。
メール、主催者Twitterアカウントへのリプライ、DMで受け付けいたします。

Twtter:http://twitter.com/mirumenasi
(引用終わり)

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【無題】123539483

つらい……。
人生つらすぎる。
あがいてもあがいても、エスカレーターを逆走しているよう。

人生つらすぎる。
あがターを逆走いても、エスカレーターを逆走エスカターを逆走いるよう。

人生つらすぎる。
こういうときは、あつあつのごはんの上に、空気を乗せて、
「ケキャーーーーーーーーーーッ!!????」

ぜんぜん関係ないが、
「すべてがどうでもいい」
と思っている人間には勝てないよ。

そういう人間、勝ちも負けもないから。

ネット上にはよくいるよね。
直接、仕事とか生存には関係ないから、書くことや受け答え、すべてがどうでもいいと
思っている人間を相手にするのは時間の無駄。

そんなことをしているヒマがあったら、
あがターを走いても、エスカレーター逆走いても、エスカレーターを逆ー逆走いても、エスカレータエスカターを逆走いるー逆走いても、エスカ走いても、エスカレータレーター逆、と唱えていた方がマシだね。

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【無題】

「なんか毛色の変わったポエム書いていましたね」
「何のこと?」
「埋立地につくられたオフィス街に、雨が降っていて……」
「あー、あんなもの、忘れていいよ」
「でも、いつものと雰囲気違ってて、よかったですよ」
「よくないよ、あんなもん」
「いや、そんなことないですって」

「もういいよ、お世辞言わなくても……」
「お世辞じゃないですよ」
「もう、何もかもがいやになったから、書いたんだよ」
「またまた~」
「もうしぬよ、おれは」
「はあ」
「でも、やっぱりしにたくない」
「えー」
「もう、いくら書いても伝わらないから」
「そんなことないですよ」
「あるよ。だって、あれは天からの使者に対する暗号だったんだから」
「どれがですか」
「うるせえ!」
「えっ、すいません……」
「もう、何もおもしろくないよね。本当におもしろくない。何かおもしろいことがあると、次につまらないことが起こるんだ」
「それは、だれでも同じですよ」
「もう何ものこっていない。いや、正確にはのこってるんだけど、たとえばケーキを食べていて、食べている瞬間、まだケーキが残っていても、いずれなくなることは観ていればわかるよね。それがつらい」
「だから、それはだれでも同じでしょ」
「同じじゃないよ。おれ以外、みんな楽しそうだもん。とくに所ジョージね。あんなにクルマ買っちゃって」
「所ジョージ?」
「この世で、所ジョージがいちばん楽しいんじゃない」
「そんなことないでしょう」
「じゃあ、撤回」
「えっ」
「聞こえないのか。じゃあ、撤回!!」

撤回
撤回
撤回
撤回
撤回
撤回
撤回
撤回
撤回
撤回
撤回
撤回

おうせんしゅ
(完)

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・「めしばな刑事タチバナ」(4)~(7) 原作:坂戸佐兵衛、作画:旅井とり(2012、徳間書店)

[amazon]
各所で話題のB級グルメマンガ。
「各所で話題だから、感想書かなくていいか」と思っていたが、第6巻「インスタントコーヒー」のところで、
映画「ゴキブリ刑事」のコーヒーの飲み方がカッコよすぎる」
という指摘に激しく共感したことは書いておく。

映画「ゴキブリ刑事」[amazon]、名作だ。みんなで観よう。

1~3の感想

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・「虐殺!!! ハートフルカンパニー」 原作:ピエール瀧、作画:漫☆画太郎(2011、太田出版)

[amazon]

すいません、まったく理解できませんでした。
同じピエール瀧原作の「樹海少年ZOO1」も、まったく理解できませんでした。

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【無題】タイトル無

朝から曇り空だったのが気になっていたが、出社した頃から降りはじめてしまった。
土砂降りというほどではないが、冬の雨らしい、じとじととした降り方だ。
心の底から温度を奪っていく。

そんな中、どうしても行かなければならない用事があり、埋立地にたった某オフィスへ向かう。
面倒な用を済ませて外に出たとき、雨に強く意識が向いた。

周囲はだだっぴろいところに、巨人が配置したように巨大ビルが建っている。
ビルとビルの間を、舗装された地面がつないでいる。

精緻に設計されたその一帯は、人間がつくったのに人間性を排しているように思える。
すでに日が暮れかかっており、マクドナルドの明かりだけが、強く自己主張していた。

雨はどこまでも、それら人工物を濡らしていた。
緑の配置さえ人工的だったから、それらは自然に見えなかった。
ジオラマの一部にしか見えなかった。
そこに、静かな雨が降り注ぐ。

遠くの高層ビルでは、明りがちらほら目立ち始めていた。
明りのついた窓のバラつきは、何かのパズルのように見えた。
しかし、中で仕事をしている人の温かさは見えない。

ふとコーヒーが欲しくなって、遠くに見えるマクドナルドに足を向けた。
持っているビニール傘の骨のひしゃげ方だけが、この周辺の「人間味」のように思えた。

すぐ近くに思えたが、結構な距離がある。
その間、ずっと雨の音を聞いていた。
高校の入学祝いに買ってもらった、ラジカセで録音したカセットテープの、
「サー」という録音が失敗したときの音に似ていた。

マクドナルドにたどりついた。

中には、だれもいなかった。
閉店時間には早いな、と思っていると、

不意に電気が消えた。

その瞬間をみはからったわけでもあるまいが、
どっと雨あしが強くなった。

カセットテープのような音は、もっと生々しい大きな雨音に代わった。

遠くに浮浪者のような人影が見える。
しかし、ここに浮浪者などいるはずがない。
食うものもなければ、寝る場所もないからだ。

その人影は、よろよろと土砂降りの中をよろめいていたと思うと、フッと消えた。

おれは消えない。

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【イベント】・「『トンデモ本の新世界 世界滅亡編』出版記念イベント と学会SP 世界滅亡なんて笑い飛ばせ!」

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12月14日(金)
『トンデモ本の新世界 世界滅亡編』出版記念イベント
と学会SP 世界滅亡なんて笑い飛ばせ!

Open 18:00 Start 19:00 End 21:30 (予定)
場所:東京カルチャーカルチャー
前売券/¥2000 (その他飲食代は別途) 当日券/¥2500

2012年12月にマヤ暦が終わり、地球が滅亡するって!? 
ならその直前に、トンデモイベントで大いに盛り上がっちゃいましょう! 
新田五郎氏によるトンデモコミックスの紹介、川口友万氏によるアブナイ実験、唐沢俊一・皆神龍太郎氏による爆笑トンデモ予言の紹介と2012年予言騒動の総括等で大いに笑い、“世界滅亡”の年をみんなで楽しく締めくくりましょう!! 

“世界滅亡”にからめた特製カクテルも発売予定です!

【出演者】
・唐沢俊一(作家/評論家)
・皆神龍太郎(疑似科学ウォッチャー/ジャーナリスト)
・新田五郎(オタク・マンガライター)
・川口友万(お笑いサイエンスライター)

前売り券はイープラスにて11/17(土)am10:00より発売開始!!

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【アニメ映画】・「ねらわれた学園」

公式ページ

原作:眉村卓
監督:中村亮介、脚本:内藤裕子、中村亮介

「ねらわれた学園」といえば、1977年に「少年ドラマシリーズ」で「未来からの挑戦」としてドラマ化、1981年に薬師丸ひろ子主演で映画化され、82年には原田知世主演でドラマ化されているSFジュブナイル。
ウィキペディアでみると、さらに87年に新田恵理主演でドラマ化(月曜ドラマランド。どんなのだ???)、97年には村田和美主演でドラマ化、映画化されているそうだ。

同じような「アイドル主演の鉄板原作」としての「時をかける少女」より忘れ去られてしまっている理由は、本作が「ファシズムの恐怖」という、もはや古びてしまったテーマを扱っているからだろう。

普通に考えれば、今さらの「ねらわれた学園」アニメ化は、「時かけ」のアニメ化が当たったから、としか思えない。だが「ファシズム」や「超能力バトル」という「古いテーマ、展開」のせいで、「ねら学」アニメ化には時代的にクリアしなければならないハードルが、かなり高いのである。

で、本作。
気の優しそうな少年・ケンジ、活発な幼なじみの女の子・ナツキ、生徒会長書記・カホリ、そして転校生・京極リョウイチなどを主な登場人物として、京極リョウイチの学園支配と、ケンジ、ナツキ、カホリ、そして(すべてを俯瞰で見ているはずの)リョウイチの恋愛模様を描くのが本作の主旨。
で、恋愛パートの方はわりとしっかり描かれているのだが、学園支配方面の描き方(つまりSF的なプロットの部分)が、今ひとつよくわからないんだよな。

正直、「なんで京極が学園を支配しようとしているのか」が1回通して観ただけではよくわからないんですよ。
もっと言ってしまえば、学園支配パートは恋愛パートに比べて、比較的どうでもいいように描かれている気がするんですよね。

それと、ナツキがケンジにやきもちをやいているシーンで、ナツキがかなりマジでどつくんですよ。
おれは、これはよくないと思ったね。

たとえば「うる星」で、しのぶがあたるをどつくとき、どんどん記号化していって、学校の机がないところでも学校の机でどついていたり、
それと「シティハンター」の「100t」って書いてあるトンカチね。
ああいうものはあくまで記号。「腹を立てている」ってことがわかればいい。
でも、本作では他の動作と同じトーンで描かれちゃっているから、演出にメリハリがない。

そのわりには、肝心のシーンで「タメ」が少ない。ケンジがカホリを好きだとわかって、ナツキが泣き出してしまうシーンとか、「えっ、いきなり!?」って思ってしまう。
手が震えているところが写って、顔が写ると泣いてる……とかそういうタメがないから。

だからこう、全体のトーンとしては書き込み過剰なマンガを読んでいるような印象。
緩急がないんですよ。

テーマも描き不足。
本作のテーマのひとつは、「形成されていく空気」がどんどん同調圧力と化していく恐さ。ファシズムは「これはファシズムですよ」って看板ぶらさげてくるわけではない、っていうのは、「空気」を気にする中学生たちの感じとあいまってなかなかよくできてたと思う。
それに、「情報を共有していることが『わかりあっている』ことと言えるのか?」っていうナツキの生徒会に対する反論は、そこらの超能力ものに対するアンチテーゼでもあって、すごく面白いと思うんだけど、いかんせん、物語(プロット?)がどっかギクシャクしてるんですよね。

超能力バトルを意図的にはずす展開は、こういうのむずかしいと思うんだけど、「むしろそっちの方が当然だろ」って思わせてくれる。これはもう、恋愛パートのおかげだよね。
でも、繰り返しになるけど恋愛パートの「本心が言えない、わからない」っていうのと、学園生活での「空気の形成(心にもないことにしたがってしまう)」っていうのが、ギリギリ、テーマとして噛み合いそうで、私は噛み合ってないと思った。
ここがカッチリしてれば、かなりの傑作になったと思うんですよ。

だから、結論を言ってしまうと本作は「壮大な失敗作」だと思うんだよね。
でも、いろいろとチャレンジしてるから憎めない。
「観てよかった」とは思えます。
本作以降、また「ねら学」がつくられるかもしれない的な、古い作品を新しく仕立てた的な意欲は感じるからね。

なお、まゆゆは予想上のうまさ。エンドロールが流れて来るまで彼女と気づかなかったし、実際、うまかった。

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【アニメ映画】・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」

んーどうだろ。
この感想、もう別に読まなくていいです。
メジャー作品の感想って、ネット上のテキストの波に埋もれて発見されづらく、承認欲求が満たされないんですよね。
たまに「ネットに感想書くより直接製作者側に感想言ってくれ、作品に金を落としてくれ、その方がためになる」っていう正論がありますが、それだけじゃこちらの欲求が満たされないんですよ。

あとそれに似たようなことで、今思い出してもムカつくんで言及しておきますが、
あるオタク系著名人が一時期同人誌を出すことにハマってて、
そしたらその人の担当編集者が、
「どんどん出してください。新刊の企画が増えますから(笑)」
みたいなことを言ってて、「コイツ、バカだな」と思ったんだけど、
その後、見事に出版不況になってザマミロですわ。

なぜ同人誌を買うのか? っていったら、そこには「希少性」というのがどうしても、ある。
通販やってたって、なんだって、5000部以上刷る同人誌というのはあまりないだろうし。
それと、「著者に直接『買った』って感じを伝えたい」ということもある。

同人誌の買い手としてのおれたちは、ただの「モニター」じゃないんだよ。ふざけるな。
その後、そのあるオタク系文化人が出した同人誌は、おそらくより洗練されたかたちで商業出版されたのだが、
私は同人誌の方は買ったが、商業出版の方は買わなかった。
だれが買うかよ。バーカバーカ。

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