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【単なるヨタ】・「エヴァQを観る前に」

まだ、エヴァQを観てないが、ネットを眺めていての雑記。

「エヴァ」のテレビ本放送のとき、私は実はガイナックスというものを知らず(「ダイコンフィルム」とかは知ってたが)、同時に「エヴァ的なものを毛嫌いする層」というものの心情も、よくわからなかった。
で、それを理解しようと「勉強」して、そんなことも忘れて約17年が過ぎた。

最近思うのは、エヴァ本放送時に五、六歳だった人たちも二十歳を過ぎ、なんとなくその層で「毛嫌いしている人っていないなー」ということである。
私の世代(ファーストガンダム放送時、小六)で、ガンダムが熱狂的に好き、という人はいても、「観るのも嫌い」といった「毛嫌い」をことあるごとに表明する者がいないのに似ているのだろう。

幼少の頃、人から与えられるマンガやアニメやゲームは「あって当たり前」のものであり、自分の思い出の風景の一部である。
だから、よほどどぎつい、いわゆる「トラウマ化」するような作品でないかぎり、「大好き」、「好き」という感情はあっても、「大嫌い」という感想は持ちにくいのではないか。
幼少時代の「大好き」の反対語は「興味がない」だろう。

そんな彼ら(というか正確には現在三十歳以下の世代)が、新劇場版「エヴァ」を観る際、あの九十年代半ば以降に起こった醜い論争みたいなことには、なりにくいのではないか。
いや、どんな世代でも論争をやるときはやるが、私が言いたいのは、そもそも90年代の「エヴァが好きか嫌いか」という論争においては、

「ブンガク的なふるまいをするエンタメを許せるかどうか」

ということが争点になっていた、ということである。

ところが、若い層にはそもそも「ブンガクかエンタメか」という対立構図自体が、希薄なのではないか。

同じことは「アウトレイジビヨンド」にも言えると思うのだ。
北野武の作風は、どう見ても「ゲイジュツ的、ブンガク的」である。
「アウトレイジビヨンド」のかもしだす雰囲気はゲイジュツ的だ。だが、観る側は罵声合戦のモノマネなんかしながら、楽しんで観ている。
「アウトレイジ」も「アウトレイジビヨンド」も、プロデューサーがそれを「仕掛けてきた」感があるが、もはや時代の空気感として、
「ブンガクかエンタメか」
という二項対立自体が無効なのだと思う。

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