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【雑記】・「ぜつぼう」

いろいろぜつぼうすることはあるんですが、とりあえず今のところ言いたいことを書くと、

・私は「運命」とか「意味ある偶然」とかはまったく信じていない。また、そういうものがあったとして、そういうものを意識して生きて行ったとしても、意味がないと思っている。

・「芸術かエンタメか」という二元論には、もはや意味はない。

・「面白いから好きなんだ、面白いから面白いんだ」という主張は、ある時期まで(正確には80年代いっぱいまで)逆説的に意味を持っていた。「あえて人間や時代を描かない」という方向を目指した小説ジャンル「新本格」や、「人間は機械である」的な主張の入った「サイバーパンク」も、そういった時代の流れの上にある。
だが、今は「面白いから面白い」というトートロジーには、意味はない。

・タランティーノは、「サンプリング、カットアップ、本歌取り等」の手法で映画をつくったから重要なのではなく、そこにきっちり自己の主張が込められていたから、今でも映画を撮ることができる。

・一般庶民は「殺伐としたもの」をまるで他人事として喜べる存在である(きじまかなえ騒動しかり)。そして、問題なのは、芸能・犯罪実話よりも、「物語」として「殺伐としたもの」を「何となく」消費しているという点にある。
私がそれをただの「現象」ではなく「問題」としているのは、私には私の望む世界が、あるからだ。

・象牙の塔の中のインテリとストリート的バーバリズムという対立概念も、もう古い(大学そのものの体質の古さとは、また別問題である。)

・政治や経済に対する批評、論評は、「結果」が明確に出るので主張する者もそれなりに責任を取らされるが、文化方面に対しては、正反対のことを言ってもトボけていれば、風化が早く、「何が正しいか」は簡単にウヤムヤになってしまう。

・「神話」、「物語」をメカニカルに分析・解体することと、その「神話」、「物語」の「霊性」とでもいったものは、まったく別の領域に属する。
それは科学が発達しても、みんなお墓参りに行くのと似たようなことである。

・「自分探し」は、そろそろ「批判されすぎ」だと言うべきだろう。結婚して一流企業に入れば「大人」のフリをできた時代と比べると、現代は自分の「居場所」を確保することがはるかにむずかしくなっている。「自分探し」という言葉自体が、もはや悪意をもったミスリードである。
本来は「居場所探し」と言っていいだろう。居場所のいらない人など、いるのだろうか? いや、いない。
本当の問題が「自分を探す」ことではないことだとわかっているくせに、いまだに判で押したような「自分探し批判」をする人は、何かをわかっていて隠蔽しているのか、それともお気楽なのか。

・現在、五十歳代くらいで「政治的に若者はどうふるまうべきか」という方法論は、ほぼ完ぺきに断絶した。若い政治団体で、看過しがたい問題行動を起こしているところがあるが、そういうことも、「ある時期から政治的ふるまいの方法が断絶した」ことを考えると、違ったふうに見えてくるはずである。
(オウム事件も、そうした流れの中で起こったことは自明である。)

・「上から目線批判」で当惑している人は、今までそうした「ハッタリ」を常套手段として使ってきた人たちだろう。
私個人は、「上から目線批判」は、「相手の態度だけで批判する」という(「上から目線批判」を批判する人が主張しているような)思考停止ではなく、「ネットマナーのゆらぎ」の問題だと思っている。なぜなら、「上から目線」という言葉は、おそらくネットがなければ成立しない言葉だからだ。
まさか大学の講師に「あなたは上から目線ですね」と言う受講生は、いまい。

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