【イベント】・「第21回 トンデモ本大賞 タイムシフト予約」
第21回日本トンデモ本大賞 日時:2012年6月9日19:00開始のタイムシフト予約はこちら。
私も「と学会エクストラ」で出演させていただく予定です。
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・その1
地下鉄サリン事件から15年以上が経過した。事件直後は、オウムの起こした事件をサブカルチャーの視点から分析した論評が多かった。
だが、当然だがサブカルチャーにはその源流でありながら思想的には必ずしも主流となりえなかった、あるいはかつては主流だったが省みられなくなった古い「考え」が存在する。
本書は「オウムはオタク・サブカルが起こした事件」というステロタイプな見解を超え、その思想的源流を探って手堅くまとめた、ものすごくいい本である。
作者はオウムの思想的な潮流を過去の「ロマン主義」、「全体主義」、「原理主義」に大別し、それぞれについて定義づけて論じている。本書を読むと、80年代を経過したオタクならピンと来るのだが、どれもが70年代から80年代にかけて、アニメ、マンガ、ゲームの中で、それが善として扱われるにしろ、悪として扱われるにしろ、大きな「テーマ」として取り上げられていたことがわかるだろう。
それまでの論評では、「そこ」止まりだったが、本書はさらにそれをさかのぼり、それぞれの「主義」の生成からどのようにそれらが評価され、80年代~90年代のオウムに結実したかが解説されている。
繰り返すがたいへんいい本で、学者レベルの人でなければ一般教養として広くオススメする。
内容については、他のくわしい人がレビューを書いていると思うので、当ブログでは別のことについて書く。
・その2
オウムの思想・行動をオタク/サブカル、あるいは60年代からの社会・政治運動の流れだけで追っていくと、必ず80年代後半あたりでつまずくことになる(と思う)。
なぜなら、オタク/サブカルの流れでは、オウムに含まれる「ポップ・オカルト」は、80年代にはあくまでも「やってる本人は大マジメ、でも効果はまったくないよ」レベルの話だったからだ。麻原が事件前に、「アブないタレント」としてテレビによく出ていたのも「出す側」の、そういう解釈からのことだろう。
政治運動サイドからは、80年代の学生運動、政治運動の沈みっぷりを見ても、オウムの動きは予想のしようもないし事後的にも不可解さが残るだろう。なにしろ、実際そういうスタッフがいたかどうかは私はまだ知らないのだが、いわゆる左翼的な流れとはぜんぜん違うところから出てきたからだ。
だが実は、オウムが内包していた問題意識は、それまでのマンガ、アニメ、SF小説などにしつこいくらいに繰り返し書かれていたものだった。そこからサブカルチャー探求に乗り出してしまうと袋小路に入ってしまうのは前述のとおり。
私が言いたいのはオウムの「要素」が、それまでの「問題意識」としてはすでに出揃っており、それに唯一対抗できたのは、虚構世界での話ではあれ、ヒューマニズムだけだったということである。
ところが、秩序だった整備された世界ならともかく、「ヒューマニズム(ここでは一般大衆の生命や生活は何より尊重すべき、という考え、とする)」とは実は虚構世界では実に脆弱な思想であり、「だっておれは死にたくないし、愛する人が死ぬのもいやだもん」というだけの話なのだ。
では虚構世界のヒューマニズムを支え続けてきたのは何なのか、と言えば、それは「太平洋戦争の悲惨な体験」がいちばん大きかったと言えるのではないだろうか(本書では、その逆で、日本で終末思想が信じられるのは国が太平洋戦争で一度終わってしまったから、という解釈をも取り上げているが)。
おそらく70年代の日本の過激派のテロリズムは、「先の悲惨な戦争によって封印された、主義のための殺人」を復活させようとした試みであったろうし、当然それは時期的には失敗した。ほとんどの国民の支持を得られなかった。
当然ながら、95年までのオウムのあらゆるテロ行為も、国民から支持されることはなかった。
思想史についてきちんと勉強してはいないのだが、「主義」は貫こうとするとヒューマニズムを超えなければならない局面が、必ずあるらしい。
「主義」が多くの人に必要とされるとき、ヒューマニズムがないがしろにされる。
不況続きの日本も、今後どうなるかわからない。未来について考えた場合、オウムのようなカルトが今後すぐに出てくることは考えにくいが、「ヒューマニズムを乗り越えても何かを成し遂げたい」という欲望が、多くの人々の心に宿るという可能性は、大いにあり得る。
アニメやマンガやゲームも、その観点で観ていくと見えなかったものが見えてくるかもしれない。
古いたとえで恐縮だが「北斗の拳」の主人公のケンシロウが、登場時、「精神的な弱さ(ヒューマニズムを乗り越えられない)」ゆえに弱く、強くなってからも人々の統治のためには必ず汚れ仕事を引き受けなければならないであろう「王」の地位を捨て去ってしまったこと(その要素はラオウに仮託されたこと)について、考えてみてもいいだろう。
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いろいろぜつぼうすることはあるんですが、とりあえず今のところ言いたいことを書くと、
・私は「運命」とか「意味ある偶然」とかはまったく信じていない。また、そういうものがあったとして、そういうものを意識して生きて行ったとしても、意味がないと思っている。
・「芸術かエンタメか」という二元論には、もはや意味はない。
・「面白いから好きなんだ、面白いから面白いんだ」という主張は、ある時期まで(正確には80年代いっぱいまで)逆説的に意味を持っていた。「あえて人間や時代を描かない」という方向を目指した小説ジャンル「新本格」や、「人間は機械である」的な主張の入った「サイバーパンク」も、そういった時代の流れの上にある。
だが、今は「面白いから面白い」というトートロジーには、意味はない。
・タランティーノは、「サンプリング、カットアップ、本歌取り等」の手法で映画をつくったから重要なのではなく、そこにきっちり自己の主張が込められていたから、今でも映画を撮ることができる。
・一般庶民は「殺伐としたもの」をまるで他人事として喜べる存在である(きじまかなえ騒動しかり)。そして、問題なのは、芸能・犯罪実話よりも、「物語」として「殺伐としたもの」を「何となく」消費しているという点にある。
私がそれをただの「現象」ではなく「問題」としているのは、私には私の望む世界が、あるからだ。
・象牙の塔の中のインテリとストリート的バーバリズムという対立概念も、もう古い(大学そのものの体質の古さとは、また別問題である。)
・政治や経済に対する批評、論評は、「結果」が明確に出るので主張する者もそれなりに責任を取らされるが、文化方面に対しては、正反対のことを言ってもトボけていれば、風化が早く、「何が正しいか」は簡単にウヤムヤになってしまう。
・「神話」、「物語」をメカニカルに分析・解体することと、その「神話」、「物語」の「霊性」とでもいったものは、まったく別の領域に属する。
それは科学が発達しても、みんなお墓参りに行くのと似たようなことである。
・「自分探し」は、そろそろ「批判されすぎ」だと言うべきだろう。結婚して一流企業に入れば「大人」のフリをできた時代と比べると、現代は自分の「居場所」を確保することがはるかにむずかしくなっている。「自分探し」という言葉自体が、もはや悪意をもったミスリードである。
本来は「居場所探し」と言っていいだろう。居場所のいらない人など、いるのだろうか? いや、いない。
本当の問題が「自分を探す」ことではないことだとわかっているくせに、いまだに判で押したような「自分探し批判」をする人は、何かをわかっていて隠蔽しているのか、それともお気楽なのか。
・現在、五十歳代くらいで「政治的に若者はどうふるまうべきか」という方法論は、ほぼ完ぺきに断絶した。若い政治団体で、看過しがたい問題行動を起こしているところがあるが、そういうことも、「ある時期から政治的ふるまいの方法が断絶した」ことを考えると、違ったふうに見えてくるはずである。
(オウム事件も、そうした流れの中で起こったことは自明である。)
・「上から目線批判」で当惑している人は、今までそうした「ハッタリ」を常套手段として使ってきた人たちだろう。
私個人は、「上から目線批判」は、「相手の態度だけで批判する」という(「上から目線批判」を批判する人が主張しているような)思考停止ではなく、「ネットマナーのゆらぎ」の問題だと思っている。なぜなら、「上から目線」という言葉は、おそらくネットがなければ成立しない言葉だからだ。
まさか大学の講師に「あなたは上から目線ですね」と言う受講生は、いまい。
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「ぶっとびマンガ大作戦Vol.15」がamzonでも買えるようになりました!!
こちらです!!
内容紹介
一般的評価の対象外となっているマンガ作品、またはマンガ評論において取り上げられにくい作品を紹介し、論じる同人誌の第15号。
,今回は「三大中年欲望マンガ特集」と題し、国友やすゆきの「幸せの時間」、柳沢きみお「夜に蠢く」、村生ミオ「SとM」の面白さについて紹介。
,また、麻雀マンガ、レディースコミック、学習マンガ、の各ジャンルにおいて、「これはぶっとんでいる!」と執筆者陣が判断したものを紹介しています。
著者について
主に80年代以降の、一般的評価の対象外となってきたマンガ作品について収集・研究している。また、マンガについてのトークライブ「ぶっとびマンガ大作戦・出張版」主催。ロフトプラスワンなどのトークライブにもときどき出演している。
「密林社」というところが、同人誌のamazonでの取扱いを受け持っているようです。
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