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【映画】・「いつかギラギラする日」

1992年
監督:深作欣二、脚本:丸山昇一

2012年に見た1992年の「いつギラ」
「いつかギラギラする日」は、プロの銀行ギャング(ショーケン、チバちゃん、石橋蓮司)に1億円を積んだ現金輸送車を襲うというおいしい仕事を持ち込んだ若者(木村一八)と、チバちゃんの若い愛人(荻野目慶子)が強奪した5000万円をめぐって裏切り、裏切られるアクション大作である。
当時はどんな評価だったかサッパリ覚えていないが、現状の日本映画では考えられないほどの予算を(おそらく)投入し、スタッフもすごい人をそろえ、観始めたら2時間の長さをまったく感じさせない傑作であることは間違いない。

ただし、公開された92年という年は微妙である。すでに80年代的価値観は古いとされつつ、翌年にはバブル崩壊、長期不況が決定的だと人々は確信し、三年後にはオウム事件が起こり、エヴァンゲリオンが放送される。時代が変わるのだ。

ウィキペディアによると、深作監督は本作の企画を持ち込まれたとき、「女性の観客が中心になりつつあった当時、果たしてアクションを撮る必要があるのか」と疑問を呈したという。
そんな時代の映画なのだ。

そこで、毎度おなじみ後だしじゃんけんで、この作品がどのように新しく、どのように古かったのかについて考えてみたい。

中年サイド
この映画においてショーケンの内面はきわめて希薄である。ただひたすらに、奪われた金を取り返そうとするマシーンのようだ。
彼は長年つれそっている内縁の妻(?)(多岐川裕美)がいる。
どうやら彼は、彼女との関係性について疑いを持ったことはないらしい。
彼の心に虚無感があるとすれば、それは昔ながらのアウトローとしての虚無感である。

若い愛人(荻野目慶子)を持つ男(千葉真一)は、銀行を襲って得た金は常にパーッと使ってしまう、もっとも能天気な男として描かれている(深作監督の映画「資金源強奪」の梅宮辰夫的キャラ設定)。
彼は中年サイドの中ではもっとも無邪気で、愛人との仲を疑ってみたこともない。

借金に追われ、妻子もいる男(石橋蓮司)は、銀行強盗に関して最も切実な理由を持っている。こういう男をきっちり配置してくる作品は、少なくとも現在のマンガではあまり観られなくなった。
彼の存在が、「金の争奪戦」という、「ただのゲーム」に堕しやすいプロットに生命を与えていると言ってもいい。

若者サイド
ライブハウスを建てるために、ヤクザから5000万の借金をした元警官(木村一八)。
しかし、ライブハウス経営は生活のためではなく、やっても半年も持たないことはわかっている。
単に、自分の信じるロックミュージシャンのためだけに、その半年間のライブハウスを開こうとしているのだ。
彼は「退屈な毎日だからこそ、何かデカいことをやってやろう」というタイプの虚無を抱えている。

チバちゃんの愛人(荻野目慶子)が、この作品の「虚無」のキーパーソンである。
「雑踏の中で自分はだれにも見られていない」という虚しさを感じた彼女は、注目されて生きる充実感を得るために、ただそれだけの動機で木村かずややプロの銀行強盗たちを振りまわす。

「自分をだれも見ていない」虚しさ、というのはきわめて80年代的な虚しさ、だということができる。
「個性の時代」と言われつつ、「自我の肥大化」が、糾弾された時代だ。
なにしろ、どうも彼女は生活には困っていないらしいし、何もしなくてもチバちゃんとくっついていれば生きていけるのだ。

荻野目ちゃんと木村一八は「共闘」する。しかし一八はあくまで自分の「夢」を達成させるために動くが、おぎのめちゃんにはそんな具体的なものは何もない。徹底して刹那的。
彼女の「虚無感」は、たぶんショーケンにもチバちゃんにも、そして殺し屋(原田芳雄)にも理解できない。
理解できないから行動の予測がつかず、ひっかき回される。

しかし、おぎのめちゃんには「自分は虚無である」という自覚はある。
自覚があり、そのことに苦しんでいるからこそ、観客は共感できる。

これが現在なら、「自分が虚無であることに気づかないで、メチャクチャをやる」というキャラクターでも通るところだ。

中年サイドと若者サイド
ひるがえって、もう一度「中年サイド」を見てみる。
彼らには、血まみれになって生きてきた泥臭い「人間」としての哀愁がある。
だが、若者サイドの木村かずやとおぎのめちゃんには、そうしたものはない。
しかし、面白いのはそんな世代間が、必ずしも完全に対立していると描かれているわけではないことだ。

彼らには、どこかで交感があるのだ。どこかで虚無を共有しているのである。
いわば、70年代的感性と80年代的感性の交感だ。

それはファンタジーにすぎないかもしれない。
けれど、そのセンチメンタリズムが、たまらない。

また、両世代の中間的存在としては多岐川裕美がいる。
彼女はショーケンを愛している自分にはまったく疑いを持っていないが、どこかで状況そのものに虚無感を抱いているようなところがある。

だがそんな中でもやはり、いちばん「内面」が希薄なのはショーケンであり、かれが最も「銀行強盗マシーン」であり、「野獣」である。
しかし、それゆえに観客はラスト近く、「銀行」の看板を見ただけで笑顔になるショーケンを見て嬉しくなるのだった。

……とまあ、そんな「自意識」をめぐる90年代初頭の物語として観ることも、本作は可能なのだ。

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