【アニメ】・「魔法の天使クリィミーマミ」第10話「ハロー キャサリン」
マミの使い魔的存在であるネコのネガと、アメリカからやってきた少女・キャサリンが出会い、彼女が幼い頃に日本の昔住んでいた家の庭に埋めた「夢の小箱」を探すために二人は奔走する。主人公のマミはほとんどからまない回だ。
その小箱は、キャサリンが4歳の頃、留守がちな父からもらったもので、その箱を覗くと世界のさまざまな場所を観ることができる。だが、キャサリンとネガがやっとの思いで見つけた箱は、ただの空箱だった。
ネガはキャサリンがかつて箱の中に観ていた光景は、幼い頃の彼女がつくりだした幻だと判断。マミの魔法を使って、小箱の中から「小箱に自分の夢を閉じ込めていてはいけない」と説教して彼女のもとを去る。
もともと熱があったキャサリンは、魔法で出現した人間の言葉をしゃべるネガを高熱で観た夢かとも思うが、小箱の中にはネガに与えたリボンが入っていた……。
検索すると「魔法は夢を実現するさまたげになる場合がある」というテーマのように解釈されていて、それはそのとおりなのだが、本作はむしろ、「幼い頃の思い出」を必死に探す少女とネコ、という、もうバクハツ的に80年代な設定に酔うべき話のように思う。
舞台はおそらく横浜で、港に泊まった船や高級住宅地などがロマンチックに描かれる。すなわち、オチは「現実を観ろ」なのだが、展開は「淡い夢」を探しまわるものだ。
こうした「ピュアではかない、壊れそうな何かを探す、守る」というエピソードはアニメなどで80年代にとくに目立った。
私の独断と偏見によれば、80年代の「守るべき何か」とは、70年代とそれ以前に打ち捨てられてきたもの、価値がないとされてきたもの。
それを拾い上げていこう、というのが「ピュアではかない、壊れそうな何かを探す、守る」のがテーマの作品群だと思うのだ。
この落差は微妙かつ決定的だ。別の言い方をすれば、80年代のオタクとは70年代に打ち捨てられてきたものに価値を与えようとする存在だった。
やや話が飛躍するが、「まどマギ」は、長い時間を経て「はかないものを守る」ことがデフォルト化したフィクション世界の少女たちが、インキュベーターによっていじめ抜かれる作品ということになる。
もっとも、80年代中盤までにすでに「はかないものを愛でる」という行為からの脱却(大人への成長)が、魔法少女ものでも検討されていたことは指摘されなければならないが。
そうしたアンビバレンツな心境がないまぜになったのが、「ハローキャサリン」というエピソードだと私は考える。
なお、前にも書いたが「はかなくも美しい、純粋なものを愛でる」系譜は、現在の「けいおん」まで面々と続いている。「日常系」というのは、要するに、「日常のはかなく美しい何か」を愛でるということだからだ。
そして、そこに「成長の問題」が含まれていることも同じなのである。
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