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【テレビお笑い】・「THE MANZAI2011」

もうお笑いの感想は、書くのをやめようと思ってた。
ぶっちゃけると、そっち方面で食って行こうとしている人の圧(あつ)が二、三年前から強すぎて、
「そんなに必死なら、おれはもういいよ」
という感じになった。

かつてこのブログで、M-1でのノンスタイルについての芸風の話について、かなり頭を使って、なおかつ狭い世界だけど他の人がどう語っているかをも念頭において、一生懸命書いたエントリがあった。
だけど、我ながらあまりにも思考ゲームに終始してしまっていたし、前の理由……「あんたらがそんなに必死なら、おれはもういいや」という理由で、そのエントリは削除した。

(ちなみに、「必死な人の圧に押される」というのは、90年代半ばのオタクムーヴメントのときにも私が感じたことで、そのときから現在に至るまでオタク論は書き続けているが、だれかに評価されたことは一度もありません。)

さて、番組の感想。

・その1
ひと言で言うと、
「出演した漫才師は面白かったが、番組としては意外なほど面白くなかった」。

まず、いい点。
審査員がM-1よりも雑多な感じで、番組全体がいい意味で軽くなった。
M-1よりも気軽に楽しめる印象になった。

もうひとついい点。
現場の雰囲気はわからないけど、漫才師もやりやすそうだった。M-1で悪い方に転がってしまったときのような、番組全体が減点方式で演者が実力を発揮できないような雰囲気ではない、と感じた(実際は知らん)。

意外に面白くないと感じた理由を、箇条書き。
・コンテストのルール説明に時間がついやされすぎ。なかなか漫才が始まらない。最初の組が出るまで30分くらいかかった?
・出場組数が多すぎて、緊張感が続かない。
・たけしや爆笑問題の出演は面白かったが、やはりここは紳助ありきでつくられた番組だったのかもしれない、と思った。紳助ありきのはずのところに紳助がいない、という違和感が残った。
・番組全体が長い。4時間以上あった? さすがに途中で集中力が途切れる。

・その2
後は関係ない話。
というかむしろ「お笑い評」の話。
過去に演芸評論はあったけど、漫才を中心とした「テレビのお笑い評論」というのは成立しづらかった。
でも、ネットでいろいろ出てきた。評論というのは、商業ベースではコンスタントに需要がないと育つのに時間がかかる。
小説や映画やゲーム、芝居、音楽などは値段が高いのでレビューが恒常的に必要とされるが、マンガやテレビのお笑いは非常に低価格(というかテレビに至ってはタダ)なので、それほどレビューにみんながお金を払いたがらない。

逆に言えば「タダのレビュー」は重宝されるし、「タダだ」というだけで重宝されるところもある。

だからこそ、2~3年前のお笑い評論は面白かった。
いろんな人のM-1についての感想を、ネットで読みあさったりもした。

今は、もう個人的にあまり面白くない。

ま、私の心境が変わったんですよ。
読んでいてイライラすることが多くなった。

……と、ここからゴチャゴチャ書こうと思ったけど、やっぱりやめました。

・その3
話をTHE MANZAI2011に戻す。
なんかもう、なんだっけ、めちゃイケの太った子が出てたとか、上原が出てたとか、あんまそういうのもどうでもいいんだよなー。

M-1のときは矢口の笑い顔がアップになるところまで観ていなきゃいけない、というタイトな感じがあったんだけど、THE MANZAIは意識してそこまでキッチリつくっていなかったんだろうし。

2~3年前からいろんなお笑いライブに行くようになったんですが、「なんでこの人、売れないんだろう」っていう人がたくさんいることを知りました。
「テレビに出られない人」たちだけで、もうひとつテレビ局がつくれるくらい、います。
そうなってくると、「テレビに出られる人数が限られているから」という単純なことしか思い浮かばないんですよね。

「だれそれの方が面白かった」みたいな話も、それは決勝のレベルで語られるのと同じように、こういう選抜形式の中ではあらゆる段階であるんだろう、と考えられる。

それにいちいち言及する意味があるのかな? と思ってしまいますね。

今、「笑い」に対する期待が、アニメ、マンガ、ゲーム、映画、芝居、音楽、あらゆるジャンルの中で「芸人」にだけ役割が集中しすぎているのではないか、とか思ったりもします。
昔、ギャグマンガ家になっていた人が、今は芸人になってるんでしょうね。

で、なぜそう思われているのかというと、芸人こそが、「笑い」のロジックを知っている、と人々に思われるようになったからでしょう。

芝居における「笑い」の方法論もかなり確立されているはずですが、それよりも一般の人に「芸人の笑いのロジック」が信用されているということなんでしょう。

「芸人こそが笑いの専門家であり、それなりのリスペクトを受けるべきである」
というのは、芸人自身の願いだったとも思うし、私もそうあるべきだとは思うのですが、

それでは逆に、「芸人の方法論」に従わないで「人を笑わせる」ということをし続けてきた人々、
すなわち、ギャグマンガ家、ギャグ小説家、演劇人、かつてのイカ天バンドのように音楽に「面白」の要素を取り入れてきた人たち、

そういう人たちの存在はどうなんだろう、とは思います。
現在は、逆にそういう人たちにも意識して目を向けるべきときかもしれませんよ。

あるいは「方法論があること」はそんなに重要なのか? ということに立ち戻っても、面白いかもしれません。

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