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【雑記】・「近年のアニメにおける教養大系とオタク」

「まど☆マギ」について、自分よりかなり若いアニヲタの人と話をして思ったこと。

・その1
「まど☆マギ」の時間ループについて、「たぶんエロゲーのナントカ言う作品からだろう」という話になった。
「ゲーム文脈から観ないとまど☆マギはわからないのではないか」という話にも少しなって、そこで疑問を感じたのは、「エロゲーが元ネタである」ということは共通了解として成立し得ないのではないか」ということだった。

かつて、コンテクストの問題が強く論じられたのはエヴァだった。
理由は、単純に大ヒットしたからで、作品の背景を何も知らない人にも受けたからだった。
だが、それに対して古参のオタクから「オタクからの文脈を、まったく理解しないで論じている人がいる」という意見が出た。

それは、ガイナックスというとりわけガチなオタクユーザーが多い会社がつくっていたからなおさらだった。
(歴史的に言えば、それまでオタク的なコンテクストでつくられた作品を、その流れを無視して平気で論じる風潮が、わりとまかり通っていたということもある。

だから、「エヴァのコンテクストを読み解く行為」は、そのまま「オタク的コンテクストをそれ以外の人に学ばせる」という一種のムーヴメントのようなところがあった。
あるいはまた、ものすっごく大雑把に言って「ネタ/マジ」というオタクにおける二大潮流が、「エヴァ」という作品をどちらに引っ張るか、という争いでもあったわけだ。

・その2
私は、「エヴァ」ほどではないにしろ、「まど☆マギ」にはオタク文脈の総決算的なものを感じる。
だが、「エヴァ」と違うのは、「エヴァ」におけるコンテクストをめぐる論争は「オタク/サブカル」、「在野/アカデミズム」、「エンタメ/ブンガク的」、「ネタ/マジ」などという対立構造であったのに対し、「まど☆マギ」ではオタクの世代間で、すでに理解にズレが出て来ているということだろう。

「エヴァ」のときはまだ、そのベースにあるオタク知識(SF、それ以前のアニメ、市川崑など)が「総合体系」であり得たのだけど、「まどマギ」の描かれた近年は、少なくとも「オタク内で」という意味では、そのような共通認識が瓦解しているのではないか。
いや、特定世代にとっては手の届く「教養」なのかもしれないが、「オタク全体」としても、すでに「まど☆マギ」の背後にあるものに対して共通見解ができていないのではないか。

で、私としてはそれを単なる「世代間の差」にしたくはない。
たとえばまど☆マギ理解のために、時間ループものだったエロゲー(すいません聞いたけどタイトル忘れました)は必須なのだろうか。
あるいは人から聞いたのだが「リリカルなのは」は必須なのだろうか。だが、少なくとも「リリカルなのは」は「アニメファン」の間では、絶対的に必要な教養ではない気がするのだが。

たとえばアニメ「らきすた」で、カラオケで特撮の歌を歌うのはパロディとしてわかる。だが、何話目かに出てきた「イニD」のパロディが必然なのかどうかがわからない。
「えん魔くんメ~ラめら」は昭和縛り、ダイナミック縛りがあったから理解できた。コスパで、萌えアニメと同時に、「カイジ」のTシャツが売られているのも、何となく理解できるのである。

そのような「引用の必然性」が、見えにくくなっているのは「エヴァ」の時代から比べても顕著になっているように思うのだ。

・その3
ネタ元、引用、インスパイア、パロディ、それぞれ微妙に意味合いが違うにしろ、そこにはクリエーターにとってそれなりの必然性がある。だが、それはもはや「オタクである」というだけでは簡単に理解できないところまで、複雑化しているのではないか。

実は私個人は、アニメにおける引用、パロディについては「ケロロ軍曹」でガンプラがよく出てくるようになってきたあたりから、興味を失ってしまった。
最近ではアニメ「絶望先生」や「銀魂」のパロディなどもそうだ。

なぜなら、背後にあるコンテクストがもうよく理解できないからである。
これが、私が年寄りになったからだと結論づけては面白くない。
やはりオタク文化の世代間の断絶化、あるいはオタクが教養を体系化して把握しづらくなっている、という問題にした方がいいと思う。
いや、そもそも若い人は「なぜ教養を体系化しなければならないのか」と疑問に思っているのではないか。

そしてそこまで考えて初めて、面白くなってくる。
というのは、実はオタク第一世代が「オレたちの教養」として定めたことそのものが、単なる恣意的なチョイスにすぎなかった、ということが、近年のアニメを観ることによって逆に明らかになるからである。

さて、91年につくられた「おたくのビデオ」でさえ、その中ではSFマニアやミリタリーマニアにはあまり交流はなく、主人公の周囲に集められたか集まったことになっていた。
ガイナックスは「オタク/サブカル的教養の横断性」にかなり最初から意識的だからいろんな人が集まって来た。

だが、普通の90年代のオタクはそこまでの横断性はなかった。
それでは現在の教養における「恣意性」とは何なのか、逆に「横断性」とは何なのか?

と、ここまで考えてやっと話が面白くなってくる……。

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