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【雑記】・「『おおらかな時代』とは何だったのか」

昔のとんでもないテレビ番組や映画、あるいは人物エピソードなどから「昔はおおらかな時代だったんですねえ(笑)」と言ってまとめることが多い。私もよくある。
でも、「おおらかな時代」って何なのだろうか。

昔の……具体的に言うと80年代くらいまでに活躍したタレント(の一部)がなぜ豪快に見えるのかというと、そこには社会的要因としては以下のようなものが考えられる。

・芸能界は今以上に「やくざな世界」であり、そこに入ってそれなりの人気を得るにはそのタレントの才能の絶対性か、あるいは強い押しの強さが必要だっただろうということ。
一般的な「豪快タレントエピソード」の理解は、この領域にとどまっている。

・おそらく、芸能界は今よりずっと儲かっていたので、アウトサイダーを受け入れる余地が広かった。

・現在以上に、タレント間の上下関係、あるいは弱肉強食が明確だった。だから勝者と敗者が明確に分かれ、勝者は「伝説化」される可能性が現在より高かった。

・プロジェクトチームがあったとしても、その表層的な「手柄」は、すべて「顔」となったタレントが持って行った。
おそらく、たとえそうであっても金銭面や待遇などでの安定性が他のメンバーにもあり、名を捨てて実を取った人も多かったかと思うが、それでも陰で泣いている人はいただろう。

微妙に話はずれるが、高部知子などはもし、現在スキャンダルを起こしても当時ほどには駆逐されなかったのではないかと思う。逆に言えば加護ちゃんは80年代に同じことをしていたら、芸能界にいられなかっただろう。

あるインタビュアーによると、若い世代ほど豪快エピソードを持った天然ボケなタレントは減り、常識的な人が増えているという。
だが重要なのは、それこそが、日本の一般市民が志向した結果だということだ。

つまり、一人ひとりの(より意地悪な言い方をすれば凡人同士の)公平性に重きを置く、という志向である。

一人ひとりの公平性に重点を置いたら、そりゃ「豪快な人」は生きづらいに決まっている。
そして、そうした志向はどこまで本当か知らないが、学校の運動会や学芸会での過剰な平等性とつながっているはずである。

だが、それでは過去に戻せるか。戻せない。
たとえば、テレビの洋画劇場でおっぱい見放題だった過去。今はネットで見放題だから、わざわざ元に戻す必要があるのか、という反論が生まれる。

地域コミュニティが崩壊してしまっているので、地域の公平性、平等性を重視するとより上位の(警察、行政などの)監視を受け入れざるをえなくなる。
となると、「昔はおおらか問題」は「監視社会化」とも関連してくるのである。

また、時代が変わったことによって、現在自分が得ている恩恵について考えるのもいいだろう。

もう山賊(好意的な比喩です)の自慢話を聞いて喜ぶだけ、ってのは、そろそろ終わりにしたい気もする。

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