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・「海月姫」(1)~(8) 東村アキコ(2008~2011、講談社)

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「kiss」連載。
女性のオタクばかりが住むアパート「天水館」。このメンバーは全員「尼~ず」を自称し、異性やオシャレな人々とは付き合わないことをモットーとし、ニートなオタクライフを楽しんでいた。
ヒロイン・月海(つきみ)もそのメンバーであり、いちばん後輩らしい。彼女はクラゲオタクであり、少々対人恐怖、男性恐怖症のケもあるようである。

月海はある日、蔵之介という女装男子と出会う。彼は政治家の次男であり、妙に天水館を気に入って、男性嫌いのメンバーには「自分は女性である」と偽り頻繁に出入りするようになる。
その後、天水館が再開発によって取り壊されることが決定。月海たちは驚きとまどうが、それを推進しているのは蔵之介の父親であった。
蔵之介は、月海に「クラゲのように美しいドレス」をつくることができる才能があることを知り、それを売りだすことによって天水館存続のための資金を稼ごうとするのだが……。

思いきり紹介のタイミングを逃している気がするが、それがおれ流。
とりあえず、「オタクマンガとして」という切り口から感想を書いてみたい。

・その1
私の歴史認識としては、2005年頃の「電車男」のブームとその終息をもって、90年代半ばから続いた、オタク(少なくとも男のオタク)の「公民権運動」(by新書「セカイ系とは何か」)は、終わったと思っている。
で、本作が2008年連載開始である。「オタクを扱った作品」としては、かなり遅い部類に入る。

正直、連載開始以降の数回は読んでいてかなり抵抗があった。まず「男なんていらない!」と叫ぶ女性と、オタクはイコールではない。ましてや腐女子ともイコールではない。80年代後半、男オタクからのやおい女子ディスのために描かれたとすら言える作品「世紀末同人誌伝説」でさえ、物語の結末には夫には内緒でやおい同人誌を購入している女性が登場するのである。

「女オタクイコールモテない、男性を意識していない」という認識は、少なくとも2000年代半ば以降は、(いわゆる「ノンケ」の)女子側の認識にすぎないような気がする。
なお、94年の岡崎京子「リバーズ・エッジ」にも、「暗くてコミュニケーション下手なやおい女」が登場しており、作品評価とはほぼ関係ないところだがそのステロタイプな描写がものすごく気になった。

なお、「海月姫」で言葉の本来の意味での「腐女子」なのは、現状では1回も姿を現さないBLマンガ家の目白樹音先生のみである。他は着物オタク(千絵子)、三国志オタク(まやや)、鉄道オタク(ばんば)、枯れ専(ジジ)というメンツだ。

この段階で、「作者はいわゆるベタなタイプのオタクではないのでは?」と思ったのであった。

・その2
だが、私は本作を「本物のオタクが描いてないから違う」と言いたいのでは、決してない。
設定とキャラクターをいったん受け入れてしまえば非常に面白い作品で、アニメ化や長期連載化にもうなずける。
本作は「オタクを描く」のが目的ではなく、「オタク的な属性を持ったキャラクターを描く」ことが目的なのである。

物語の太い柱として、「再開発でつぶされそうな天水館を、クラゲファッションで何とかしようと奮闘する」という流れがある。
ここで思い出すのは、「プレハブラプソディ」(85年)(感想)という作品だ。
25年以上も前の「プレハブ……」では、第一世代のオタクたち(新聞部、アニ研、SF研、マン研など)が、「あるべき文化」を標榜する生徒会に対抗して、「自分たちの文化祭」をつくり上げてひと泡吹かせるという内容である。
それは、そのままその後のオタク文化の隆盛を物語っている。「好きなことをやって自分たちを認めさせよう!」という、強い意志とその成功に対する確信が感じられる。
90年代半ば以降に起こった「オタク再評価」の流れも、ノリ的には「プレハブ……」と同じものだ。

ところが、「海月姫」では、すべての価値を「尼~ず的なもの」で覆してやろう、というような気概は、登場人物たちには、ない。
そもそも、「クラゲのようなドレスをつくる」才能を持ち合わせていたのは、主人公の月海と、後は和裁のできる千絵子くらいしかいない。まやややばんばさんに至っては、「何もしないでいると天水館がなくなる」という現状認識もきちんとできていないようである。

しかし、これは当世のオタクのあり方を、うまく表現しているとも言える。「ただ、日常を楽しむ」ことにオタクは長けているかもしれないが、それが他に利用できる能力である保証はまったくない。
また、まややたちが現状を認識していないのもリアルだ。多くのオタクは、長期的な計画が苦手だからだ(ソレの専門家みたいな集団もいるが、あくまで「そういうのもいる」ということである)。

・その3
7巻か8巻のエピソードで、興味深いところがあった。
ファッションに興味がある蔵之介と、クラゲのドレスをつくる月海以外の尼~ずメンバーは、地味なお針子仕事などをえんえんとやらされる。
そこで、尼~ず内に不協和音が生じる。楽しんでいるのは蔵之介と月海だけではないのか、と。
私はここで、「単に作品を受容するのみのオタクと、クリエーターとしてのオタク」の意識のズレが表面化するのでは、と思った。
ところが、その「オタクマンガとしての」テーマが立ちがるかと思った瞬間、この問題は「人が集団で何かをやろうとするときに、必ず出てくる問題」だと、普遍化されてしまうのだ。

では、この作者と私の意識のズレは、いったい何なのだろうか。

作者がどの程度の「オタク」であるか、単行本のオマケマンガだけで推しはかってみると、作者がクラゲオタクだったことは本当らしい。さらに、陸上の選手、韓流スターにもハマったことがあるらしい。
アシスタントには、ジャニヲタと宝塚マニアが多いという。

で、思ったのは「この作者は、いわゆるベタなオタクコミュニティに属したことがないのでは?」ということだった。

たとえばクラゲにしても、陸上選手にしても、それにハマることはオタク的行為だといえるが、そのことに関し、同好の士と情報交換していたようにはみえない。
ジャニーズにしても宝塚にしても、確かにそれにハマっている人は「オタク」と言われるが、いわゆる「腐女子」とはちょっと違うことは、わかる人には感覚でわかっていただけるかと思う。

たいてい、オタクをテーマにした作品は、「登場人物のオタク集団の一員としての自覚」がほぼあるはずなのだが、本作にはそれはない。
よくよく考えたら、まややは他に三国志仲間はいないのだろうか?(出てきたかもしれないが、尼~ずのメンバーより希薄な存在である)。コミケには行かないのだろうか?(コミケ描写は、ゼロである。)

月海は、ファッション関連の仕事に関し、まやややばんばさんに「ついていけない」と言われてしまったとき、過去に自分が「クラゲが好き」といういことで暴走して孤立してしまったことを思い出す。

こういう描写は、ベタなオタクマンガにはない。彼らはすでに「仲間」を獲得しているケースが多いし、「仲間」がいるのがオタクだと言える。
では本作の作者はいったい何なのか? というと、「一つのことに夢中になるととことん追求するクリエーター」なのである。

作者がオタクを主人公としたマンガを描き、なおかつ大ヒットさせた、才能とは別の「世代」的な理由としては、彼女の同級生がオタク第二世代よりもさらに下の世代、ということはぜったい言えると思う。
だいぶオタクとそうでない人との壁が、取っ払われた世代だからこそ、逆に「尼~ず」というカリカチュアライズしたキャラクター群を描くことが可能になったのだと思う。

8巻まで読んで思ったのは、そんなところ。

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