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2011年7月

【雑記】・「まあ、そういうしかないんだろうけど」

ネットウロウロしていたら、「27時間テレビで行われた3on3で、岡村がバスケットボールをぶつけられてマジギレした」というようなことが書いてあった。

で、検索してみるとそのときの動画もあったし批判に対する岡村のANNでの弁明も聞くことができた。

すべてを総合して、岡村の言い訳は、そういうしかないにしろそれはないとは思う。

これは、常にバラエティ擁護の立場の自分でもそう思った。
(あ、バスケットボール選手のブログを荒らしたりするのは論外としてね。)

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・「シュルルン雪子姫ちゃん」 永井豪、天津冴(2011、角川書店)

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「どろろんえん魔くん」の幼なじみにして妖怪パトロールメンバー、雪子姫を主人公にしたスピンアウト作品。
天津冴がどういうマンガ家か、承知して買ったのだがこの人の作品について真剣に考えると「マンガ文法って何なのか」、「マンガのリーダビリティって何なのか」についてつっこんだ話になりそうなのでやめておく。

キャラの服が脱げるときに「キャストオフ」と擬音が入るのだけが面白かった。

なお、企画としても、永井豪のH描写に共通するサディズム/マゾヒズムは、連載当時のジェンダー感において機能していたものだと考えざるを得ず、萌え文脈の中ではまったく違うものに感じられてしまう。
したがって、萌えと永井豪作品は意外と食い合わせが悪い、というのが私の見解ではある。

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・「どろろんえん魔くん 完全愛蔵版」 永井豪(2011、角川書店)

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1973~1974年、少年サンデー連載。

閻魔大王の甥っ子・えん魔くんが、人間界にやってきて雪女族の幼なじみ・雪子姫、河童の妖怪・カパエルとともに妖怪退治をする。

アニメ版の方は、70年代独特のドロドロ感があるが、マンガ版の本作は基本、ギャグノリ。しかし意外とと言っては失礼だが、今回再読しても面白かった。超多忙の中で、手クセ感は少なくギャグは生き生きとしている。一部では有名な妖怪怒黒のエピソードも、単なるスカシ以上の楽しさがある。
「ドロロンえん魔くん メ~ラめら」は、このマンガ版のノリをもとにつくられたのだろう。

今回、「完全愛蔵版」と銘打ち顔などを多少描き直している。逆に、過去の単行本には収録されていた大人になったえん魔くんの読み切りはカットされてしまっている。残念だ。

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・「バビル2世 ザ・リターナー」(2)~(3) 横山光輝、野口賢(2011、秋田書店)

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ヤングチャンピオン連載。
絵はむちゃくちゃにうまいが、3巻でいまだに戦いの全貌が見えてこないのはちょっと……。
やっぱり敵は超大国アメリカなのか?

1巻の感想

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【雑記】・「テレビは芸人の救済場所か、完結編」

このエントリの続き。

「寄席芸人以外の芸人のゴールはテレビタレントらしい」ということは書いた。
それに対して、「知ったこっちゃない」という人も多いだろう。

テレビタレントの完成系はいくつかパターンがあるが、さんま、紳助とスザンヌ的なタレントに大別されると思う。
大雑把に言って「指揮する側とされる側」である。

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【雑記】・「テレビは芸人の救済場か」

何度も書いているが、テレビバラエティ批判は、いくつかのベタなテンプレに分類される。
テレビ批評、批判というのは他ジャンルとは違い、特殊事情がある。
箇条書きしてみよう。

・いくら口汚く罵っても構わないと思われている。他の創作物に対して慎重なコメントをする人でも、テレビバラエティを罵ることに何らの痛痒も感じないケースが多い。

・「テレビの芸は本当の芸じゃない」という考え。

・「テレビバラエティは、何も考えずつくられている」という無根拠な思い込み。

・「くだらないテレビバラエティ」を批判する人が持ち上げるのは、たいていがNHKのドキュメンタリーである。

今回は、ネットで目にした「深夜テレビは売れない芸人の救済場」という意見について、反論してみたい。

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・「Zマジンガー」全5巻 永井豪(1999~2000、講談社)

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人間のために戦ってきた機械神・Z神(ゼウス)は死んだが、兜甲児が乗りこむことによって「Zマジンガー」として復活、ギリシャの神々の名を持った機械の神たちと戦うことになる。

うーん、「キューティーハニー 天女伝説」(感想)を読んでも思ったことなんだが、近年の永井豪は旧作をリメイクする場合でも、明確に違う設定やプロットが頭にあって、そっちを描きたくて仕方なく旧作を描いている気がする。

「キューティーハニー 天女伝説」は実質的には早見青子という女探偵をハニーがサポートする物語だったし、本作は「ギリシャ神話の名を持った、神の域に達したロボットたちの人間(?)模様」を描きたいというのが先に立ち過ぎてしまっている。

根本的な問題として、表情豊かな神々に対してマジンガーは無表情なので、なんだか印象が薄くなってしまう。
もう少し神と人間の対立構造をつくって、「人間でもここまで対抗できるんだ!!」っていうのがないと、人間が添え物になってしまうんだよね。

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・「変身忍者嵐 外伝」全2巻 石ノ森章太郎、石川賢(1999、大都社)

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1972年、冒険王連載。石川賢作画。

石森版と違い、展開はテレビ版にある程度忠実であるという。
それにしても、驚かされるのが随所で炸裂する残虐描写だ。70年代の子供向けエンタメの残虐描写については、その歴史的背景を論じなければいけない。
しかし、いろいろ考え込んでしまったのは本作をイベントで紹介しようと思ったら、やはり残虐描写にスポットを当てなければならないだろう、ということだ。

「昔はヒドかったんですね」で説明を終わらせたくないのだが、若い世代は誤解してしまうかもしれない。ここが紹介における悩みどころだ。

なお、70~80年代の残虐描写と現在のそれとは違っている、というのが私の見解だが、書くと長くなるのでやめます。

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【雑記】・「無題」

おれの人生は失敗だった。
昨日、その結論が出た。

(あ、アダチくんにとっては成功。おれ、アダチくんにいろいろと教えてあげたから。10円玉をピカピカにみがくときれいだよ、宝石なんか買う必要ないよ、って。)

「どこから間違えたか」さかのぼると、小学校四年生から。
その頃、私は「今、一生懸命勉強をがんばれば、大人になってからラクできる」
と思い込んでいたのだ。

大ウソだった。

あの頃の同級生たちは、秀才も悪ガキも、全員、社会に出てから会社に泊まり込んだりして土曜も日曜もなく働いている。
ちっともラクじゃない。
店員も医者も、同じように忙しい。

まったくイヤになった。

秀才も悪ガキも、かわいかったあの子も、みんなみんな、仕事で徹夜したりサービス残業したり子供が熱を出しているところを押して会社に行ったりするのが、
まあ好きなわけはないだろうが覚悟はしていたらしい。

おれははっきりと言わせてもらう。

「こんなの、夢で観たのと違う!!!!!!」
(ガリガリガリクソンの名言より)

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・「新・変身忍者嵐」全1巻 石ノ森章太郎(1998、大都社)

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「希望の友」1972~73年連載。
基本設定は少年マガジン版と同じ。
「希望の友」、確か学研の学習雑誌と同じく、配達してくれるタイプの雑誌ということで、数多くの児童マンガが連載されていたらしいが実物を一回も観たことがない。

この「変身忍者嵐」、石森時代劇を堪能するならマガジン版だが、面白さから言ったらこの「希望の友」版に軍配が上がるではないだろうか。
月刊誌掲載のためだろうが、毎回のメリハリが実に効いている。

ごくたまに話題になる衝撃の最終回については、単に「ひっくり返すためのどんでん返し」であって、あまり意味はないように思われる。
なにしろ、「マガジン版」以上に丁寧に描いていた「化身忍者」の設定を、最後にまるごとひっくり返してしまうのだから。

ただし、忍者もの特有の「荒涼とした感じ」に通じるところはある気がする。

なお、マガジン版も一種のどんでん返しで終わるが、こういう終わり方、当時流行っていた気がする。

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・「変身忍者嵐」全2巻 石ノ森章太郎(1997、大都社)

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1972年、少年マガジン連載。
江戸時代、謎の忍者集団・血車党はハヤテの父から動物の力を我が物にできる「化身忍者」に変身する秘法を手に入れ、日本支配をもくろむ。
父によって化身忍者に改造されていたハヤテは、刀のツバを鳴らすことによって「変身忍者嵐」に変身し、化身忍者を残らず倒すために立ち上がった。

子供の頃、慣れ親しんだ「嵐」だが、内容はほとんど忘れてしまっていた。今読むと、いろいろと興味深い要素がある。
70年代前半というと、忍者もの、伝奇時代劇が新作として視聴者に普通に受け入れられる、ギリギリの年代だったのではと思う(同時期に「快傑ライオン丸」とかもやってたが)。

もともと子供向けだったせいか、このマンガ版では伝奇ものとしての要素はほとんどなく、実在の人物がからむということもない。
何しろ、「なぜ変身できるのか」の理由さえ描かれない。ただひたすらにストイックに、ハヤテが化身忍者を倒していく過程が、石森独特の情感あふれる時代劇描写で描かれる。ヒロインもほとんど物語にからまない。

化身忍者は首を切り落とさないと死なない、という設定になっており、全体的に残虐風味。ちなみに、同時期のマガジンには永井豪が「デビルマン」を連載していた。

ラストも「忍者もの」の終わり方にふさわしい、荒涼とした感じで終わる。
本作はヒーローものというより、忍者ものの文脈で語られるべき作品だろうと思う。

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・「少年の町ZF」(1) ラボック光編 小池一夫、平野仁(2011、小池書院)

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1976年から、ビッグコミックオリジナル連載。

ある夜、とつぜん「ラボック光」と呼ばれるUFOの編隊が空に現れた。その光は高陣山あたりで消えた。
それを目撃した11人の少年たちは、翌日光の正体を突き止めるため高陣山に向かう。そこでは次々と怪奇な事件が起こり、すっかりおびえきった少年たちは翌朝、下山する。

すると街は驚くべき変化をとげてしまっていた……。

話には聞いていたが初めて読む。面白いが何しろ序盤なので、感想の書きようがない。導入部に、当時のUFOに関する知識が散りばめられているところに時代を感じさせる。

コンビニコミックだが、巻末に次回発売日が記されていたり「全5巻です」と最初から書かれているのは良い。
第1巻を買った時点で、何冊買わされるのかわかっていた方が、買う方もその気になるというものだ。

ただし、あいかわらず小池書院の単行本は初出をまったく載せない。勝手な想像だが、小池先生が「この作品はいつの時代にも通用する!」という自負があるから載せないのではないかと思っているのだが、やはりこういうことは大事なので載せてほしい。

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【イベント】・「ぶっとびマンガ大作戦・出張版」第8回!!

トークライブ「ぶっとびマンガ大作戦」第8回
9月3日(土)昼
場所:ムーブ町屋
ゲスト:リタ・ジェイ

内容はこれから詰めます!
これは面白い! やばい、あつい、まちいがいない

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【イベント】・「トンデモ本大賞2011ミニ後夜祭・アノ大会の舞台裏こっそり見せます・語ります!」

トンデモ本大賞2011ミニ後夜祭・アノ大会の舞台裏こっそり見せます・語ります!

3・11と9・11の間、6・11に開催されたトンデモ本大賞2011。
20年の集大成となったこの大会の裏にはと学会員たちの汗と涙の大奮闘
劇があった! 秘蔵ビデオと証言で、全部バラしちゃいますと学会の秘密!
本大会でアクシデントで流せなかったアノ映像も出ます!

【特典】後夜祭特製(?)グッズ販売予定!
【出演】皆神龍太郎・唐沢俊一・開田裕治、他と学会員

7月27日(水)
OPEN18:30 / START19:30
阿佐ヶ谷ロフトA

前売¥1,800/当日¥2,000(共に飲食代別)
前売チケットは6/25(土)~、ローソンチケット【L:31952】 にて発売!

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【雑記】・「ヒーロー/自分は間違った方向に行っているのだろうか?」

映画「キック・アス」関連で、あのバットマンみたいなやつとその娘は、ギャングと変わらない殺人鬼であることがコミック版ではより強調されてる、みたいなテキストを読んだんだけど、正直、「マスクヒーローキチガイ説」はもういいや、って思う。

わざわざそういうことを指摘して、それが支持される、ってことは「マスクヒーローはキチガイだ」っていう指摘が心にストンと落ちる人が多いということだろう。
自分は、そのこと自体が、現代という時代を表していると思いますよ。

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【雑記】・「マウンティングについて」

暴言と知性について(内田樹の研究室)
「マウンティング」的行為について、こんなことが書かれている。


それ自体はいいも悪いもない。
ひとつの政治技術である。
それが有効であり、かつ合理的である局面もあり、そうでない場合もある。
今回彼が辞職することになったのは、政府と自治体の相互的な信頼関係を構築するための場で、彼が「マウンティング」にその有限な資源を優先的に割いたという政治判断の誤りによる。

気になるのは、これが松本大臣の個人的な資質の問題にとどまらず、集団としてのパフォーマンスを向上させなければらない危機的局面で、「誰がボスか」を思い知らせるために、人々の社会的能力を減殺させることを優先させる人々が簇生しているという現実があることである。
「ボスが手下に命令する」上意下達の組織作りを優先すれば、私たちは必ず「競争相手の能力を低下させる」ことを優先させる。

この一文、絶賛の声が多いし、私も大半は同意するが、重要なことを書いてないと思われるのでそれについて書いておく。

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【映画】・「マイ・バック・ページ」

公式サイト
監督;山下敦弘、脚本:向井康介

70年代初頭。大手新聞社に勤める沢田(妻夫木聡)は、学生運動をする学生たちにシンパシーを感じつつも、決して当事者になれない自分に負い目を感じていた。
ある日、自称活動家の梅山(松山ケンイチ)からのコンタクトで、今後起こすというテロに関して取材をするが、先輩記者は梅山を「ニセ者」だと言いきる。にも関わらず、沢田は梅山に惹かれていく……。

とても丹念につくられたいい映画で、私は感動した。だが、時代背景が最低限わからないと、なぜ沢田が梅山を信じてしまったのか、観客は理解できないだろう。

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