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【アニメ】・「おたくのビデオ」

監督:もりたけし
脚本:山賀博之(岡田斗司夫名義)

ガイナックス作品。第1話「1982 おたくのビデオ」、第2話「1985 続・おたくのビデオ」の二部構成。

1982年。大学に入学し、テニス部に入った久保健は、高校時代の友人・田中にエレベーターの中でバッタリ出くわす。
田中はマンガを描いており、彼の周辺にはSF、アニメ、特撮、ミリタリー、コスプレ、アイドルなどさまざまなオタクたちが集っていた。
テニス部よりも田中たちとつるむことが面白くなってしまった久保は彼女にふられてしまうが、一念発起して「おたくの中のおたく」になることを決心し、起業する。

・その1
実は私、80年代にリアルタイムでゼネプロとかガイナックスって知らなかったんだよね。
えーウソだーそれでオタク論とか言ってたのかよ、ふざけんじゃねーよと思っている人もいるかもしれないけど、事実だからしょうがない(ダイコンフィルムくらいは知ってたが)。
というか、この「おたくのビデオ」を観ると、ああ、おれの青春に交錯するわけなかったよなあこういう人たち、という気持ちが強くなった。

だって、アニメは多少観てたけど、SF、ミリタリー、特撮、コスプレ、あとアニメでもとりわけメカの動きなんかに、興味を振りむけるヒマがなかったんですよ。

まあ自分の話はいいとして、本作は今から観ると、80年代のオタク的教養がなんだったのかがわずか2時間足らずでわかるのがすばらしい。
つまり、上記にあげたことどもである。

実際には、本物のおたくにインタビューするというフェイクドキュメンタリーの実写パートにあるように、アニメマニアとミリタリーマニアが濃い交流を持っていたというわけでもなかったのだろうが、包含的にはそういうことになる。
メンタリティとしては「いつまでも終わらない学園祭を楽しみたい」というような感じだろうか。

もちろん、二次元美少女もはずせない。本作のストーリーのカギを握るのも二次元美少女であり、実際の異性には興味が薄く(あるいは近づけず)、二次元の少女にいれあげるおたくたちの様子が、実写パートでは自虐的に、揶揄して描かれている。

・その2
本作が、82年から91年というわずか9年間のおたくの(というか正確にはガイナックス界隈の)変化を追っているのも、今観ると興味深い。もちろん史実ではないだろうが、たった9年間でおたく市場は劇的な拡大と変化をとげている。
そして最後には、物語は2030年代くらいまで飛ぶ。
おたくの人生を貫いた久保と田中はなぜか若返り、海底から発進した宇宙船に乗って、宇宙へと旅立ってゆく。
実際、91年というとそれくらいイケイケに思っていてもおかしくない年だった。

そして、もちろんこれは後出しジャンケンを承知で言うのだが、本作に決定的に欠けているのは「後続の敵」である。91年当時、まだおたくは趣向やメンタリティが一枚岩だった(もちろん個人個人のケンカとかは普通にあるよ)。
おたくは91年当時、自分たちが最先端であり、無意識のうちに後続世代もそれを受け継いでくれると信じていたのではあるまいか? あるいは逆に、自分たち界隈だけが突出した才能集団であり、孤高の存在でいられると思っていたのか。

おそらくその両方だろう。

自分たちの商品を買ってくれるのは当時の同世代人か後輩たちであり、それは市場を形成していたという意味では後継者だったし、また逆に、ガイナックスほどのオリジナリティを持ったおたく集団が後続から出てくるということは、考えにくかったのではあるまいか。

・その3
さて、現在では世代断絶が決定的とも言えるおたく界だが、本当は一つだけ共通点がある。それが本作にも出てくる「実際の恋愛には奥手が多い」ということと「二次元美少女に対する偏愛」である。
何度も繰り返して書くが、「萌え」とは、どうしても先行世代を切り離すことができない後続世代(知識や技術を習得しているおたくほど偉いということなら、先行世代を追い抜くことは論理的には後続世代には非常にむずかしいので)が、先行世代と後続世代を切り離すためにつくった線引きの言葉である。

話が多少それるが、ロートルオタクは「萌え」概念に対して、「二次元に対する性的欲望を糊塗している」とか「市場をきわめて狭い奇形化したものにしてしまった」とか「オタク知識を『勉強』せず感性にだけ頼っている軟弱者」だとか非難するが、おたくを巨大な文化系サークルだと考えた場合、体育会系野球部でもあるまいし、後続世代が先行世代から自分たちを切り離そうとすることは、歴史の必然ではなかったかと、今にして思う。

おたく第一世代は、同世代の「新人類」と底の部分ではメンタリティが酷似している。彼らの最大の特徴は、先人をリスペクトしつつも、自分たちが「第一世代である」と強く打ち出したことにある。自分たちが第一世代であるということはどういうことか。先輩がいないということだ。
(実際には違うのだろうが)あくまでもおたくの基本コンセプトは、同学年や近い世代の友人たちとやる「学園祭」なのだ。

ならば、後続世代が「センパイ」を忌み嫌う場合があるのも仕方がないのかもしれない。そして知識量で対抗しづらい彼らが武装できるとしたら感性でしかないわけで、それの集積が「萌え」概念だと自分は思うわけだ。

・その4
本作では現実の恋愛はきわめて類型的にしか描かれないが(それが目的ではないから当然だが)、実写パートではしつこいくらいにおたくたちの恋愛下手や二次元好きを揶揄している。まるでそれが裏テーマであるかのように。
本作では、前述のようにストーリー上、「二次元美少女キャラクター」が重要な役割を果たす。キャラクターデザインだって園田健一だから、二次元美少女の専門家みたいな人である。
にも関わらず、本作には「萌え」概念誕生以降の、二次元美少女に対するおたくの視線のネットリ感みたいなものが決定的に欠けている(まあ簡単に言えば、山賀博之と実写パートをやった樋口真嗣にそのテの趣味が希薄なのであろう)。

その意図的に排除された部分が、やがて「萌え」ブームとして大爆発を起こすことになるのは、本作が「第一世代の理想としてのおたくの一生」を描いているだけに、今観ると歴史が改変されてしまったようで非常に興味深いものがあるのであった。

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