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2011年3月

・「オバケのQ太郎」(6) 藤子・F・不二雄大全集(2010、小学館)

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この巻では1965~67年頃の、小学一年生掲載の「オバケのQ太郎」が掲載されている。
(なお、最新刊は10巻。)

学年誌版では、よっちゃんは石森ではなく藤子不二雄が描いているらしい。
子供らしい、かわいらしい話が多く、キャラクターの等身も意識的に低くしている。
Qちゃんと正ちゃんが、サンタクロースの実在を信じている、という描写があったが、この頃から日本でもサンタって信じられていたのだろうか?

5巻の感想

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・「オバケのQ太郎」(5) 藤子・F・不二雄大全集(2010、小学館)

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この巻で、少年サンデー版のオバQは終わりらしい。
名作エピソードとしては、Q太郎が拾ったサングラスをかけて何となくカッコよくなった気になる、というだけで一本仕上げた「サングラスのQ太郎」、小池さんの職業の謎をQちゃんと正ちゃんが追う「上にドがつく小池さん」、落語的なオチで笑わせる「P子のお人形」、ドラえもんのオタク向け名作エピソード「ラジコン大海戦」のプロトタイプとも言える「大海戦」、オバQとドロンパのケンカがエスカレートして、友人同士が二派に分かれて戦うことになる「大戦争のはじまりは?」などがある。

さらに、私が子供の頃にとても感動した「特ダネ カメラマン」が収録されている。事件や事故の決定的瞬間をカメラにおさめ、新聞社に売り込もうと考えるQちゃんと正ちゃん。
「他人の不幸で金をもうけようなんて最低だ」と兄の伸一に言われるが、二人は写真を撮ろうと躍起になる。
ドロンパがライバルとして登場し、すったもんだの展開となるが、傍観者ではいられないQ太郎は常に事故現場に関わろうとし、写真を撮ることができない……。

自分はQ太郎のように生きることができなかった。本当に、藤子不二雄先生には申し訳ないと思っている!

なお、トシを取ってから再読すると、Qちゃんと正ちゃん一家の関係性より、ドロンパと神成さんとの関係性に心動かされるものがある。
口の悪いアメリカオバケが、「アメリカ」とはもっとも縁遠い日本的頑固オヤジ(しかも孤独)と二人で住んでいる……。この設定はすばらしい。
ドロンパと神成さんの食事シーンでは、神成さんはナイフとフォークで、ドロンパとともに洋食を食べているのだ。
その1コマだけでも、孤独な老人のドロンパへの愛情が見てとれるではないか!

4巻の感想

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・「オバケのQ太郎」(4) 藤子・F・不二雄大全集(2010、小学館)

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この頃から、アメリカオバケのドロンパやQ太郎の妹であるP子が登場する。
ドロンパには、深読みすればことアメリカに対する藤子不二雄の「優しい」アメリカ観が見てとれる。
ちょいとスカしていていけすかないが、決して悪いヤツではない。でも会えばQ太郎とケンカばかり……なんて、心憎いキャラクターである。
P子は、「まぬけな兄にはしっかりものの妹」という常道キャラ。
ドロンパとP子の関係性も面白い。二人とも知的で、お似合いのカップルだ。

なお、ひさしぶりに読んだオバQの読後感は自分で書いた1巻の感想とまったく同じものだった(自分で書いているんだから当たり前と言えば当たり前だが)。

読んでいると、こみ上げてくる懐かしさと同時に、藤子不二雄が提示した大人像に近づけなかったことに対し、申し訳なさで心がいっぱいになるのだ。
それでも、前に、進まなければならない。

3巻の感想

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【雑記】・【定点雑記20110328】

予想どおり、ネットの言論シーンはひどくつまらないものになってる。
でもしょうがないよね、現状は言論でどうにかなる状況じゃないもの。

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【雑記】・「原発観・オロオロオメオメ派」

ここのところ、「雑記」を書くことが続いている。
このブログは本来、マンガレビューが主流であるはずなんだが、時勢が時勢だけに、我慢してください。

さて、ここ数日のエントリで「思想の問題は、震災によって一時期的に棚上げになっている」というようなことを書いた(この辺を読んでください)。

それでですね、これから書くことは、「今すぐ何かやらなきゃいけない」って話ではぜんぜんないんで、そういう話を求めている人は読まないでいいです。

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【雑記】・「やる偽善? それは『善』でしょ!!」

震災以降、募金やチャリティイベントなどが行われているが、そんな流れの中で「偽善」という言葉が頻繁に使われている。
「偽善かもしれないけど募金します」とか、「偽善だと言われるんだったら積極的に偽善をやってやる」とか。
しかし、何度も思うが、じゃあ「善」って何だ?
毎度書いていることなのだが、ウィキペディアの「偽善」の項目がなかなか面白かったので、それにコメントしていきたい。

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【雑記】・「石原のブキミさ」

ゆうきまさみ氏のつぶやき

純真無垢だった石原少年は、きっと1945年の8月15日を境に心のどこかが壊れて、ほとんどの日本人が嫌いになっちゃったんだよ。「だから、みんないなくなってしまえ」って、いつも思ってるの。だけど彼の嫌いなほとんどの日本人がいなくなるわけがないので我慢できないの。もう休んだほうがいいよ

これを読んで、自分はポンと膝を打った。

最近になってやっとわかった私もマヌケだが、石原は普通の右翼とかいわゆるタカ派の政治家とは違うのである。
右翼は、一般庶民にもどかしい思いをすることもあるかもしれないが、「積極的に憎む」ということはないはずだ。
政治家にしても、わっるいヤツで、「一般庶民に無関心」とか「票田としか考えていない」っていう人はいても、有権者を「憎んでいる」という人はおそらくほとんどいないだろう。

だが、たぶん石原は現在の日本人全体を憎んでいるのである。
憎んでいるから、弄ぶ。
特攻隊がどうの、決死の思いで行動した消防士や自衛隊がどうのと言ったところで、たぶん石原にとっては「戦前の残滓、幻影」にすぎないのだろう。

簡単に暴言を吐き、すぐに撤回するのも、心の奥底ではどうでもいいと思っているからだ。
彼の「天罰発言」は、彼の知性の限界と品格のなさと、そして現・日本人へのルサンチマンを表現しているが、もともと彼は日本人に絶望しているので、別に「天罰が起こったから反省して生きていこう」とか思っているわけでもない。だから簡単にひるがえす。

何もかもを「どうでもいい」と思っていて、いちばん大切なのは自尊心。
そういう意味では、私利私欲に走る政治家や、「売国」的な政治家よりよっぽど恐い。

なお、こうした心性(戦前教育と現在とのズレに対する違和感)は、とくに珍しい、というわけでもない(石原の表明の仕方が下品すぎるだけだ)。
戦前教育を受け、「兵隊さん」に憧れたものの、敗戦によって大人たちの主義主張がひっくり返った、そんな世代は大きな(頭の中の)絶望感を抱えている。

似たところでは、大藪春彦や梶原一騎がそうだろう。
大藪春彦のつくった「伊達邦彦」というキャラクターの犯罪の原動力は、敗戦体験であるらしいことがほのめかされているし、梶原一騎の作品に、理由は不明だが非常に虚無的なキャラクターが出てくることも有名だ(矢吹ジョー、空手バカ一代の有明省吾、「愛と誠」の太賀誠など)。

(いちおう断っておくが、大藪春彦も梶原一騎も、すばらしい作家であり、彼らの虚無感の表明は戦後の歴史でも必然であったと言える。彼らの作品が、60年代、70年代の「ワリを食った人々」の虚しさと共鳴したことは、本稿の趣旨とは関係ないが指摘しておく。)

実際に従軍した世代も、戦後に虚無感を持ってはいただろうが、「死から生還した」という感覚の方が強い人が多く、また生活を立て直すのに必死で絶望などしているヒマなどなかったのだと思う。
ところが、それより下の世代はそうではない。とくに作家のような感受性で勝負している人たちならなおさらだろう。
だから、石原の小説を読んだことはないが、作家としてなら「そういう人はいるよね」程度の話なのだが。

こういう人が都民のリーダーだと思うと、都政がどうのという以前に、単に不快である。

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【雑記】・「定点雑記20110323、あるいはとりとめないです」

twitterにはもはや思ったことは書けない。気のきいたワンフレーズになりがちで、「うまいこと言う大会」になってしまうし、震災以降の混乱は日常的な面で共通認識を持っていた知り合いとの、非常時の考え方の違いを明確にしてしまうためいらぬもめごとにも発展しかねないからだ。

さて、すべてではないと思うが、ネットでたまたま目についたかぎりの反原発派の人たちのルサンチマンの噴出には、正直引いた。気持ちはわかるけど、戦略的には間違っていると思う。
「反原発運動」が右のものか左のものか、実はまったく知らないのだけど、政府や東京電力が信用できないと思っているのと同じレベルで、一般人の多くはそういう「運動する人」のデータ提示にも信用を置いていない。
とくにヒダリに関しては、原発以外でも「歴史を捏造する」というマイナスイメージがあることは、もっともっと自覚した方がいいんじゃないかと思う。

「大衆人気を信用しない社会運動」にも、このポピュリズムの時代に一理はあるが、反原発運動こそ、大衆から支持を得なければどうしようもないものだろう。
それを、ここぞとばかりに「それ見たことか」とやっていては、得られる信用も得られなくなる。

さて、自分は311の地震の前には勝手にそろそろ「思想の時代」が来ると思っていた。

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【雑記】・「虚無、そしてシステムと個人」

ニヒリズム、シニシズムにおちいっている人間は、「思想的非常時」(肉体非常時にではない)には、強い。
危機となるべき思想がないから。

一周して、何も考えてない人と反応は同じ、ってことになる。よくも悪くも。

逆に、何か主義主張のある人ほど混乱し、うろたえ、悩むことになるのだろう。
それをファニーととるか、あきれたものだととるか。
それはあなた次第です。

なお、ルールやシステムを超えた、善意から来る個人的行動が「いい話」になるわけだが、
本当は「いい話」の部分を個人の問題ではなく、集団や、ルールやシステムの問題に還元しなければならない。

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【雑記】・「災害は『経済成長主義の破綻』、『第二の敗戦』か」

やはりどうしても、そういう発言にみんな支配されがちのようだ。
「成長主義の破綻」という考えは、もしも原発を日本が建設しなかったとして、現状まで成長し得たか、というシミュレーションをしてみて、原発を建てなければどうしても無理だったら、まあそんな感じかな、程度のものではないだろうか。

何度も書いているように、日本の成長神話はとっくに終わっていた。小泉改革とホリエモン騒動は、その最後っ屁だった。
ま、地震とは関係ないですわな(ビーグル38の口調で)。

これだけ大きな(継続中の)災害なのだから、歴史的な一つの区切りになることはぜったいに間違いないけれど、この地震やそれに伴う事故を「日本の経済成長主義の破綻」の象徴ととらえることには、私はどうもイデオロギー的なものを感じて二の足を踏む。

というか、今頃気づいたのかよアンタ、と言わざるを得ない。

もう少し正確に書くと、もともと2000年代の不況の10年間で、日本の経済成長神話は終わっていた。
たとえば、いわゆる「バトルロワイヤルもの」がエンターテインメントでパターンの定番となったが、これは成長主義から、限られたパイを奪い合う方向へと時代が変化したことを意味していた。

で、今回の地震とそれにともなう災害で、「成長神話の破綻」がものすごく明確なかたちであらわれた……とまあ、そういう言い方ならできるかもしれないが。

もしも何の前触れもなく、今回の地震で「もしかしてこれって、成長神話が終わったってことなんじゃ!?」って気づいた人がいたとしたら、じゃあ、地震が起こらなかったら日本の成長神話は破綻していなかったの? 地震のあるなしで、変わるわけ?

変わりませんよ、それは。10年くらい前から、そうだから。

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【雑記】・「定点雑記20110321」

まだ落ち着いているとは言いがたいが、ネット上ではじょじょに今後の復興についてや、一歩引いた包括的な振り返りの段階に来ているように思う。

こういうときに、パンキッシュな思想は、弱い。それはやむをえない。日常を破壊する、ないしは日常に不協和音を生じさせようとする思想は、有事に対して言うべきことがあまりないのである。
ある種の混乱状態で、「自治」を志向する考えもあるのかもしれないが、これだけ被害が大きいとトウキョクの干渉を受けざるを得ない。

あるいまた、「本音で生きる」、「やりたいことをやる」という考えも、劣勢に立たされる。有事には「他者と強調すること」が第一義だとされるからだ。

また、「情報強者」として生きる人たちも大変そうである。情報が一気に噴出し、その取捨選択をやり続けなければならない。とくに原発問題に関しては、その情報の選択は大変そうである。

逆に、「日常改革主義」はこういうときに最も大きな力を発揮する。「いつもどおり」に行動し、主張し、「有事」に際しては「日常」のほころびを察知し、そこを修復、あるいは有事のために改変する柔軟性もある。
ただし、「日常改革主義」は、破壊を元に戻すことには最良の力を発揮するが、いったんそれが実現されると(いや、実現されなくても)おそろしい虚無感やイライラ感を引き起こすことにもなる、ということはつけ加えてもいいだろう。
現状は、それが見えにくい状態になっている、とも言える。

社会心理学的な分析を、ネット上でほとんど観ることがなかった。
私が知らないだけか、まだその時期ではないと沈黙しているのか。

パニックの問題、都内の買占め(とされる現象)、節電行為、普通の消費行動、被災地の人々の心の問題、被災地での盗難・犯罪行為、すべて何らかの心理学的説明ができるはずだ。私の知るかぎり、そうした問題は人々のモラルや「日本人とは?」という話に直結してしまっている気がする。
心理学、もはや流行らないのか?(わからないが)

こういう時期には、シンプルな言葉が必要になってくる。

「大丈夫だ」、「心配ない」、「必ず復興できる」、「あなたを思っている」、「ただ、祈っている」……。
もちろん、声かけだけで事足れりとするのもまずいとは思うが、日常は空虚でしかない言葉も、こういうときには意外な力を発揮するのである。
ふだんは「ケッ」と思っていたビーイング系などの「ガンバレソング」がラジオから流れてきて、意外と励まされたという人も多いのではないだろうか。

それは悪いことではないと思う。上司がうるさいとか伝票の書き方を間違えたとか、そういった(災害から比べれば)小さなことから自分を鼓舞する歌が、もっと大きなことに対する精神的な対抗手段として読み変えられていく、結構なことではないかと思う。

比較的大文字の言葉が、コトが大きくなるほど必要になってくる、というのはごくあたりまえのことなのだろう。

そうやって、生きていかざるを得ないものなのだ、人間は!!

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【雑記】・「なんとなくメモ」

細かいメモ(報道や発表、twitterなどで気になる「知識の混乱」)(kikulog)
地震や原発、停電などについての知っているようで知らない初歩的な知識。

津波、原発と現場の祈り(時の過ぎ去るがごとく)

現場は復興ということから精神的には祈りが第一になるが、現場と離れた所では、野戦病院に対する研究所のように、祈りではなく精神的な解析が必要になる。つまり哲学だ。

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【雑記】・「今さらな話20110319」

前のエントリにも書いたとおり、復興やその後の日本という国の設計思想について語るには、時期尚早だろうという気持ちが強いのだが、時期尚早の中で語っている人が多いので、似たような話をもう一度書いておく。

「今後、物質的な幸福の追求はむずかしくなるだろう」とか「成長神話は終わった」という意見を散見する。しかし、そんなものはとうの昔に終わっている。
具体的には、バブル崩壊時に終わっている。

正確にはSFにおける「サイバーパンク」が日本に入って来たとき、その予見は確かにあった。
サイバーパンクとは、それまでの簡単に言えば「エアカーがチューブの中を走っているような」、「ドラえもん」に出てくるような未来像の否定であったはずだ。
すべてが統括された世界(「完璧な計算でつくられた楽園」)ではなく、決して経済的に豊かなわけではなく、あちこちが機能不全を起こし、ところどころがグチャグチャになり、それでもネットワークのテクノロジーは異常に発達した世界。
まあ、作家によってサイバーパンクのヴィジュアルイメージはぜんぜん違ったりするが、少なくとも完璧な設計思想に基づいた世界でないことは確かだろう。

話はやや脱線するが、そのようなイメージが引き継がれなかったのは、SFのヴィジュアルに影響が大きいハリウッド製のSF映画が、ずっとオールド・スクールな未来像を描き続けたからだと思う。
「アイ,ロボット」とか「G.I.ジョー」とか、今とてもテキトーに思いついたが、そういう別にガチのSF映画とも言い難い映画のヴィジュアルイメージに「とりあえず」持ってこられたのは、いつまで経っても「昔の未来」のイメージだったのだ。

閑話休題。
とにかくバブル崩壊後、成長神話など崩壊しているし、「物質的な幸福」といっても何なんだそれはという気はする。「物質のみの幸福」なんて、あるはずがない。
ただ、一方で小泉総理が象徴的なように、「何らかのかたちで成長神話を復活できないか?」という思考フレームもあった。
人間、どうしても「つましい生活を送りましょう」というスローガンには乗りにくい。だからこその小泉内閣から現在の民主党までの「日本の経済的復活希望」のラインがあったのだが、一方でやはり成長神話はとっくの昔に崩壊していたのだ。
そこを考えないと、今までの国民が単なるバカにみえてしまう。

いちばん「物質のみの幸福」に接近していたのはバブル期の数年間で、日本でもむしろ例外的なはずだ。

「成長神話は終わった」、「物質的な快楽は終わった」などと、知性ある人から軽々しく言われるとガックリ来る。
それは自明で、(時期尚早のこの時期に何かを書くなら)その先に行かないといけない。

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【雑記】・「地震や原発について20110316」

今回起こった地震、今後起こるかもしれない地震、原発の現状、その他もろもろに関しては、テレビに、ラジオに、ネット上に溢れているので多くは書かない。

被災した方々には、謹んでお見舞い申し上げます。

以下に書くことは、私がある書き込みを読んだことに対する私怨の吐露である。
直接、災害やそれに伴うあらゆる意味でのフォロー(感情的・思想的なものを除く)とは何の関係もない話で、当事者ではない人にとっては一次的にはどうでもいいことであるがゆえに(二次的にはそうでもない)、書いてもいいだろうと思い、書くことにする。

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【書籍】・「コミックマーケット創世記」 霜月たかなか(2008、朝日新書)

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これは貴重なことがたくさん書いてある本である。
文字どおり「コミックマーケット」の創世記について書かれた本だが、コミケができる前の66~74年頃のマンガファンダム事情について詳細に書かれている。
現在、「オタク史」を観ていく場合、マンガよりもSF、特撮、アニメファンからの流れでみる場合が多いが、本書を読めばそのどれでもなく(もちろん重なっている部分はあるだろうが)「マンガファン」の立場からの60~70年代を追っていくことができる。

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【映画】・「ファイナル・デスティネーション」

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2000年、アメリカ
監督 ジェームズ・ウォン

・魅惑のノイローゼ・スプラッタ開幕!!
10年も前の映画について、何を今さら書くんだと思われる方もいらっしゃるだろうが、ホラーやスプラッタに対してくわしくない私としては、本作の恐怖表現に実に今日的なものを感じたのであった。

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・「どげせん」(1) 板垣恵介&RIN(2007、日本文芸社)

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四十代のくたびれた中年男・瀬戸発(せと・はじめ)。彼は決してケンカが強いわけではないのに、あらゆるトラブルを解決してしまう。
「土下座」によって!

……という、史上初の「土下座マンガ」が本作である。

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【アニメ】・「おたくのビデオ」

監督:もりたけし
脚本:山賀博之(岡田斗司夫名義)

ガイナックス作品。第1話「1982 おたくのビデオ」、第2話「1985 続・おたくのビデオ」の二部構成。

1982年。大学に入学し、テニス部に入った久保健は、高校時代の友人・田中にエレベーターの中でバッタリ出くわす。
田中はマンガを描いており、彼の周辺にはSF、アニメ、特撮、ミリタリー、コスプレ、アイドルなどさまざまなオタクたちが集っていた。
テニス部よりも田中たちとつるむことが面白くなってしまった久保は彼女にふられてしまうが、一念発起して「おたくの中のおたく」になることを決心し、起業する。

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【ポエム】・「目玉が飛び出るアメリカの安オモチャ」

目玉が飛び出るアメリカの安オモチャ
「ボクって、アメリカン・トイの安っぽさが好きなんですよね~
え? 美少女フィギュアですか(笑)、え、いやちょっと(笑)MURAKAMI TAKASHIとかは好きですけど(笑)」

そこにタキシードを着たブタがやってきた
礼儀正しいブタだった

そしてこう言った
「おめえのことなんか、TAKASHI MURAKAMIは気にも止めていねえよ!」

また、こうも言った
「ロールスロイスには、故障はございません!!」

気が付くと、少年は砂漠の真ん中に一人たたずんでいた
手にサバ缶を持って

「どうだ、この野郎。『砂漠(サバク)でサバ缶を食う』という、これがアートだこの野郎!!」

観ると、そこにはなべおさみそっくりの陰険そうな男が立っていた。
「た、助けてください、ここから連れ出してください」

なべおさみそっくりの男は言った。
「おまえはおれの舎弟になったんだろ? 舎弟はボスが黒いカラスを白いと言ったら、白だ!!」

「助けてください、助けてください……」

少年は泣いて命乞いをした。
なにしろ足がくるぶしまで砂に埋まっていて、抜けだせないのだ。

なべおさみのそっくりさんと少年との不毛な問答が10分近く続いた後、
遠方からトラックがやってきた。

「あっ、トラックだ。助けてくださあ~い!!」
少年はサバ缶を持っていない方の手を振って、大声で叫んだ。

トラックは、なべおさみそっくりさんと少年の前で止まった。

中から出てきたのは、骨ばった顔の黒ブチめがねの男で、いかにも「自分は業務でやっているだけ」
という顔をしていた。

「あの、『キン肉マン』のニセモノ人形、届けに来ました」
彼はそう言った。
なべおさのみそっくりさん(略してNOS)は、不審そうに荷台を観る。
そして静かに言った。
「頼んでねえよ」

黒ぶちめがねの男はそれに対し、
「森のリスさんの差し入れなんで……」

それを聞いたときのNOSの開かれた目!!
(略してNOSMRM)

「……っと、そこで目が覚めたんだ」
アメリカン・トイを愛し、美少女フィギュアをとことん小馬鹿にしている男は、隣に眠っているプレイメイトの乳首を、別に性欲もないのに何となくもてあそんだ。

「ソウデスカー、ニポンジン、オモシロイネー」
プレイメイトが片言の日本語でそう言う。

朝のまぶしい光が、カーテンの隙間から差し込んできた。

「……さて、今日はエロゲーの発売日だ」

アメトイ好きの男は、
美少女フィギュアはバカにしているがエロゲーは大好きなのだった。

男がベッドから降り、洗面台に向って鏡を見ると、
その顔はなべおさみだった。
(完)

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