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【雑記】・【定点雑記20110328】

予想どおり、ネットの言論シーンはひどくつまらないものになってる。
でもしょうがないよね、現状は言論でどうにかなる状況じゃないもの。

あくまで自分基準でしかないのだが、そろそろ「復興」について語るのもアリになってきた。
で、「復興プラン」について語られつつあるわけだが、どれもひどくつまらない。

「この災害を機会に、新しいビジョンの国づくり、街づくりを提議しよう」っていう意見が出てきてる。「復興」概念として、「復興ではなく改革を」という場合と、「復興する際に何らかの改革が行われるのは当然として、その部分をあまり語らないで復興を語る」場合。
この二者の背後にはイデオロギーがある。いや、あって悪いと言っているのではない。
ただ、若い人はわからないかもしれないので、いちおう書いておく(ウチみたいなブログ、若者は読んでないかもしれないが)。

反原発・脱原発派のもの言い(ものの言い方)は、かなりマズいという印象は継続している(中にはちゃんとした人もいるのかもしれないが)。
原発がいる/いらない以前に、震災・事故以前に「原発がいるのかいらないのか」ということに興味を持つということ自体、ある種の感覚を共有している人たちであって、もっとそれに自覚的にならないといけないと思う。
当人たちにとっては当たり前のことでも、1から説明しなければならないレベルの人たちはたくさんいるのだから。

日本人の「社会運動フォビア」の根は、反原発・脱原発運動をしている人たちが考えているより、ずっとずっと深い(連合赤軍事件以来ね)。

ACのCMが、震災後のものに変わったが(SMAPとトータス松本のやつ)、やはり文句を言っている人もいるようだ。
「ぽぽぽーん」は能天気だからダメ、かといって応援してもダメとは。
「『日本は強い国』と言われるのは不快、弱さを認めることから被災者の救済は始まるのでは?」という意見を読んだがいいがかりとしか言いようがない。そんな批判、何の意味もない。
たぶん、「世界にひとつだけの花」の歌詞に文句をつけるようなタイプだろう。

ネット上で、「ガンバレ東日本」というステッカーをつくって売ってその収益を募金する、という人がいた。それに対し、「ガンバレ」じゃなくて「ガンバロウ」にしてくれ、と言ってきた人がいた。
いや気持ちはわかるよ。いろいろと。でもそんなこと、本当にサマツなことじゃないの?
SMAPのCMに文句を言っている人もそうだけど。

それと、被災地や事故現場でがんばっている人たちをヒーロー視することに疑義を唱える文言も多く見た。
「ヒーローに期待するのではなく、自分でできることをやれ」みたいな。
これも気持ちはわかるが、そんなことわかりきったことでしょ。
いくつか複数のそうした意見を読んで、「ああ、日本に真のスーパーヒーローものは今後もジャンルとして育たないな」と、やはり状況をかんがみてサマツなことながら、思ってしまった。

原発に放水した消防士のいちばん偉い人が、出動するとき奥さんから「日本の救世主になってください」ってメールが来た、って話があった。
彼が救世主かどうかは、わからない。一人の人間がすべてをおさめることのできる状況ではないから(本当に大変な仕事だとは思うけど)。
だけど、「おれは日本の救世主になる!」って思って出る元気もあるんだよ。
ヒーローというのは、そういうもんですよ。

同じことは災害全般の中での人々の立派な仕事に対して、「さすが日本人」、「さすが日本」とか言わないでほしい、という外国籍の人の意見にも言える。
これもわかるけど、「さすが日本人」って言う場合、「アナタだけは関係ないよ」って思っているわけではないでしょ。
「地球市民」的な考え、「国家とも地域とも離れた理想的な個人像」は、まだまだ一般の日本人にはイメージしづらいですよ。
アイデンティティの危機があったとき、どこに拠り所を求めるか、って話でしょ。
そうすると、やはり多くの日本人は「戦後復興した日本」、「技術大国日本」というイメージに心の拠り所を求めている人が多い。これは仕方ない。誤解を恐れずに言えば、サッカーを応援するのと近い。日本のチームのメンバーに、外国人が入っていても「がんばれ日本」って言うもの。

だれもが災害の被害者に対してなんとかしてあげたい、それは事実そうだけれど、その立場には温度差がある。
被災地の人たちや原発のすぐ近くに住んでいる人たちも、メディアを通じてそれを感じているかもしれないし、都内に住んでいる私も、そこから遠く離れたところに住んでいる人たちの「他人事感」を感じることがある。
でもそれはしょうがない。だって友人や隣人の災難だって他人事と思ってしまうことがあるのだから。

今回の災害、気合だけで乗りきれるようなものではないはず(他人への共感を継続させるには、気合がないと無理)。
で、そこからシステムの問題に多くの人は言及するわけだが、けっきょくは国や旧体制に頼るしかない、というところに話はループしていく。
あれ、ちょっと暗いオチになってしまった……。

でも本当、「今、個人ができること」と「システムの問題」って、どっちも重要だけど引き裂かれているんですよ。
それをどうつなぐか、ってことを考えてる人は少ない。
昔だったらそれは「国」で済んでた。そういう理屈はあった。儒教とかもそうでしょ。
今は、昔とおんなじようにするわけにはいかない。

とりとめなく終わる。

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