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【書籍】・「コミックマーケット創世記」 霜月たかなか(2008、朝日新書)

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これは貴重なことがたくさん書いてある本である。
文字どおり「コミックマーケット」の創世記について書かれた本だが、コミケができる前の66~74年頃のマンガファンダム事情について詳細に書かれている。
現在、「オタク史」を観ていく場合、マンガよりもSF、特撮、アニメファンからの流れでみる場合が多いが、本書を読めばそのどれでもなく(もちろん重なっている部分はあるだろうが)「マンガファン」の立場からの60~70年代を追っていくことができる。

・その1
「コミケ以前」のトピックとして興味深いのは、後のコミケスタッフとなる人たちが「ダイナビジョン」なるものを製作したという事実である。
本書によると、萩尾望都の「11月のギムナジウム」から400コマを取り出し、それを拡大模写(当時は拡大コピー機などなかったので)して8ミリフィルムで撮影し、声や効果音を吹き込んで45分間の作品にしたのだという。

この「ダイナビジョン」、周辺にプチブームを巻き起こしたというのだが、たとえば「ダイコンフィルム」のように後のオタク隆盛のヒントが隠されているわけでも何でもない。その後、まったく引き継がれることのなかった文化である。
こういうことは、記録されて良かったと思う。

聞くだに大変な労力だし、何より一銭の得にもならない行為なのがすごい。実際、無償であちこちのファンイベントなどで上映したそうである。
たまに「80年代のSF大会あたりで初めてファンイベントに経済の認識が導入された」ことが、後のオタクビジネス発展の端緒として持ち上げられるが、それはそれで称賛すべきだろうがやはり最初のうちはみんな無償で(ときには持ち出しで)やっていたのである。

・その2
次に興味深かったのは、通常「コミケ」の歴史を大雑把に概観する場合、「二代目代表・米沢嘉博」から80年代の聖矢・キャプ翼ブームを経て……という場合が往々にしてあるのだが、初代代表の筆者がコミケに違和感を表明して辞任した、ということが書かれていたこと。
一般参加のコスプレに違和感を感じるなど、「創作同人誌の場」という印象がどんどん薄れていくなかでの辞任だったらしい。
また、コミケのたどった路線とは別の道を歩んだ即売会としては「MGM」というのがあるんだけど、筆者はそれともまた別の道を歩んだらしい。というか、「代表をやめる以上、すべての人間との付き合いを断つべきだと思った」というようなことが書いてある。
その後も筆者はアニメライターとして活動していくので、まったく違うところに生活の場を移したわけでもないのだが、この辺のこだわりは当時の人たちではないとわからないのだろう。

・その3
「歴史」なので、個々人がどう思いながらやってきたのかが今ひとつわからないのがちょっともどかしいところではある。
「評論家なんて、他人が一生懸命書いたことにケチを付けているだけ」という風潮は当時もずっとあったはずで、「評論する自分」と「創作する自分」の間の乖離、あるいは「プロとアマ」の乖離に頭を悩ませていた人たちもいたのではないか? と思うのだが……。

・その4
巻末に、75年に書かれた「マニア運動体論」の「序章」がすべて載っている(コミケの母体をつくったのは、マンガ評論サークルである)。
これに関しては、正直困ってしまった。一種の檄文なのだが、なぜこれが書かれたかは当時を知る人しかわからないだろう。

「僕らはマンガの世界を自分たちの中に持っている(大意)」として、それまでの石子順造や斎藤次郎の業績までも完全否定している。これはおそらく、「マンガを自分たちのかけがえのない存在として、心情の代弁者として扱っている世代」としての自負から来るものだと思われる。
別の言い方をすれば、「おれたちはなぜマンガマニアなのだろう、いやそれ以前におれたちはマンガマニアである、と宣言しなければならない」という、切羽詰まったような感情がある、ということだ。

自分には、そういう心情が当時、SFマニアにも特撮マニアにもあったのかどうかが知りたい。だが、ここには書いてない。

率直に言って、この「マニア運動体論」の「序章」は、持って回った言い方が非常にわかりにくい。
文中に引用される当時の評論文に関しても、COMをわざと否定して見せ、70年当時のマンガはつまらないと断じ、少女マンガはマンネリにおちいっていると批判し、若年層のファンは考えがぬるいと説教する。
だが、いったい何を志向しているのかはよくわからない。

もっとも、70年代、マンガがどうなっていくのかを予測できる人間は一人もいなかったのであり、「アマチュアの発表の場をつくる」という実践を伴った運動をなしえたのは、「マンガ」という性質上、当時のサブカルチャーにおいてマンガだけだったのではないかと思う。

それこそが、今になって見えてきた「マンガ」の特殊性と言えるだろう。

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