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【雑記】・「自分の言いたいこと」

この件に関し、もうちょっとくわしく書いておこうと思う。

・その1
男も自分が男であること、女も自分が女であることに対して愚痴を言うことがある。その場合、必ず一方の性に対して責任を押し付けるかたちになる。
しかし、それを「正当な主義主張」だなどと言わないかぎり、人間には人目に触れないところで愚痴を言うことは「ガス抜き」として許される。

しかし男の愚痴と女の愚痴は必ずしも対照的ではない。なぜなら、「女の愚痴」の方が、「自分たちは男性中心社会でワリを食ってきたのだから、多少大声でものを言ってもいいだろう」という意識があるからである。
もちろん、愚痴の内容によってはセクハラや労働条件の性別による格差など本当に男性中心社会ゆえに生じている問題もあるだろうが、一方ではもちろん、そうでない場合もある。

愚痴というのはあくまで、論理化できない「文句」のことであって、これをもしも、「男性中心社会だから文句を言ってもいいんだ」という前提で吐露しているのであれば、それはすでに「思想」の領域に入ってしまっていることは、話者は自覚するべきである。

・その2
だが、それでは女子のそういう態度を(いちおう断り書きしておくと、男性だって男性中心社会にワリを食っている、と愚痴る場合もあるわけだが)、どのようなかたちであれ正当に批判できるかというと、これが非常にむずかしい。
なぜなら、たいていの男たちは多かれ少なかれ、男性中心社会の恩恵を受けて生きてきたからである。
女性には女性ゆえに得する場面もあるのかもしれないが、公平に観て「男性の受ける恩恵の公平性」は男性間である程度平等だが、「女性が女性であるということで受ける恩恵の公平性」は、男性ほどにはないと私は観ている。

だからこそ、「負け犬の遠吠え」などで議論が起こった。「負け犬の遠吠え」で言われている「負け犬」とは(すいません読んでないので勘だけで書きますが)、「結婚しているかどうか」、「子供がいるかどうか」などをいちいちチェックしてくる田舎モノたちに犬の腹をみせ、「ハイ、私たちは負け犬です。それは承知していますので、もう関わって来ないでください」というメッセージであるはずだ。

「わざと負けて見せることによって得をする」というような遊戯が成立するのは都市部のホワイトカラーのみで、ブルーカラー系の独身女性の場合、立場がまったく異なってしまう。
この点、男の場合、ホワイトカラーだろうとブルーカラーだろうと、「独身であること」の意味はそう変わらないのとは大きく違う点である。

・その3
話がそれた。
とにかく、数年前から「別に男性であることを謳歌していない男性が、女性であることを謳歌する女性に暗いルサンチマンを抱くのではないか」という予想はしていた。だが、こういうかたちで噴出(?)するとは思っていなかった。
「女性性を強く打ち出すことによって恩恵を受けている女たち」を批判するのなら、包含的なものにしなければいけないとは思っていた。ところがやはり、脊髄反射的なdisの方が、出てくるのは早かったというわけだ。

ちなみに、くだんのtwitterのような指摘を過去に行っていた者もいる。それはナンシー関である。
ナンシー関は「自己満足の自己実現」にはきわめて敏感に反応したライターだった。たとえば川島なお美。たとえば「女優」イメージを強く打ち出そうとしていた頃の南野陽子。たとえば「ミニモニ。」で、そろそろ「コドモの擬態」がキツくなってきた頃の矢口真里。
ここにあげたのは女性のみだが、男性だろうが女性だろうが、彼女の視線は鋭かった。

しかしである。ナンシー関が女性だったからこそ、彼女たちを批判できたということは厳然としてある。どっかのチャラい男性ライターが、川島なお美批判をしたってそれは嫉妬心かおばさんdisという意味に受け取られてしまう。
私個人は「ナンシー関の不在を嘆く傾向」に関しては知的怠慢だと思うので不快で仕方がない。しかし、「テレビをぶったぎる」というのとは別のフェーズで、「女を批判できる女」が、コラムニストとしていなくなっている現状はあるし、実際、たぶん求められていないのだろう(室井佑月? 今井舞? ええっと、だれのことですか???)。

ガッツリ相似形というわけではないが、なんとなくナンシー関と比較されるのがマツコ・デラックスである。
彼女(彼?)の立ち位置をまだ細かく検討していないが、何かのコメントで「ナンシー関は男性目線。自分は女性目線なので比較されても困る」と言っていた。本当のことだろう。

・その4
最後に、知り合いが言っていたことで至言があったので書いておく。
「肉食系であることを標榜している女性はまだまだ。本当の肉食系は、『肉食系ではない』かのように擬態して、男を『捕食する』」

このことを考えると、「我こそは肉食系なり」と主張している女性が本当にやりたいことは「男を食う」ことだけではないことが明らかになってくる。
では、彼女たちがやりたいことは本当は何か?

そこまで考えないと、面白くならねえんだよなあ。

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