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【映画】・「ノルウェイの森」

公式ページ
監督・脚本:トラン・アン・ユン

1987年刊行の、村上春樹のベストセラー小説の映画化。
公式ページによると「日本の国内小説累計発行部数歴代第1位」だそうである。

60年代後半、大学生のワタナベ(松山ケンイチ)は恋人が自殺してしまって以来、精神のバランスがおかしくなってしまった直子(菊池凛子)を愛するようになる。
遠方の療養所にいる直子にはなかなか会えない中で、彼は緑(水原希子)にも逆ナンされる。まあそういう話。

・その1
まずは、原作について、1987年の時代の空気も含めて。
本作は当時の村上春樹の小説の中では異質な作風である。
それまではどちらかというと寓話的な、ファンタジックな要素を盛り込んでいたのに、本作ではまず登場人物に固有の名前がある。そして時代背景もきっちりと描かれている。
おそらく、作者が「今回は趣向を変えてみよう」と思ったのは明白で、それが大当たりしてしまったのだから、作者本人としては売れてうれしくないわけはないが、かなり調子を狂わされたのではないか。

下世話な言い方をすればメンヘルな女の子を好きになってしまった、自分が傲慢であることに気づかない男の話、だと思う。時代背景がきっちりしている、と書いたが、時は学生運動真っ盛りの頃。しかし対照的に、徹頭徹尾個人の物語でもある。
87年というと、もっとも日本的な個人主義が幸福な時代だったかもしれない。「個人主義であること」が、同調圧力に対する自分自身の態度の表明であると、信じられた時代だ。
(その数年後には「宮崎事件」が起こり、「宮崎の部屋」は「それまでの地域社会がまったくあずかり知らぬ個人的世界」があることを社会に知らしめ、個人主義を手放しで称賛する空気は消える。)

小説「ノルウェイの森」の大ヒットは、おそらくそれ以前から続く少年ラブコメマンガブームや、その後の「トレンディドラマ」のブームなどと無縁ではない。
「個人主義でありたい」、「他人に流されたくない」、「でも人と愛し合いたい」という矛盾が、取りようによっては毎回登場するスーパーマン的な主人公の中で見事に融合している、というのが村上春樹作品の特徴である。本作はそれをファンタジー的なギミックを抜きによりストレートに書いたので、わかりやすくなってウケたのかもしれない。

・その2
また村上春樹作品の主人公の特徴として、「内気そうなのにセックスには自信満々」という側面がある。80年はとにかく「セックスしなければ人にあらず」とでもいうくらい若者の間に同調圧力が広がっていた時代。しかし当然、ギラギラしていてはカッコ悪い。
そんな中、村上春樹作品の主人公は、ふだんはツラリと「セックスのことなんか興味ない」みたいなそぶりを見せているくせに、いいオンナを観るとギンギンに勃起しているような男である(映画の中でも、直子に対し「自分は今、勃起している」と告白するシーンがある)。
この内省的でありながらの圧倒的な非・童貞感、おしゃれズルムケ感は確かに新しかったし、読むものにどのような免罪符をも与えることができた。
要するに、内省的でモテないやつも、内省的ではないヤリチン小僧も、どちらも感情移入が可能な稀有なキャラクターなのだ。

「ノルウェイの森」とはそもそも徹頭徹尾、セックスの物語である。個人主義、メンヘル、セックスといったら若者共通の興味の対象であり、60年代後半にそうしたことに意識を向けた者たちに、80年代の若者が共感を抱いても何ら不思議はないのであった。

・その3
さて、映画の話であるが個人的には非常によくできており、村上春樹の小説でしか成立し得ないような物語をよくぞここまで映像化したな、と感心することしきりであった。

主演の松山ケンイチも菊池凛子も役にあっていたし、緑役の水原希子もものすごくチャーミングだった。
徹底したセックスの物語であるにも関わらず、ハダカがまったく出てこないのにはさすがに違和感を感じたが、まあそれはしょうがないのかもしれない。

映画では、ワタナベと直子の心のズレが非常によく描けていたし、原作のキモもおそらくそこにある。直子は恋人のキズキ(高良健吾)の死から立ち直ろうとして最後まで立ち直れない。それはキズキの「死そのもの」が影響しているだけではなく、生前のキズキと彼女の心のズレが問題としてひっかかっている。
そういう喪失感が、うまく描けていたと思う。

一方、どちらかというと「健全」の側にいるという設定らしい緑のキャラ造形に関しては、ちょっと透明感ありすぎかなという感じはしてしまう。現実味のない美少女になってしまっているから。
ただ、演じる水原希子の目力というか目から出てくる「秋波」があまりにもすごい。すごすぎる。
もう最初の登場シーンから「ああ、この子はワタナベとやりたいんだなあ」ってすごくよくわかる(実際、はっきりとそう口にする)。

そして、もちろんワタナベと緑も心がズレまくる。この、各登場人物たちとの徹底したチグハグ感を描いていることがこの映画の魅力。他人とつながりたいのに、そう思うほどかぎりなく気持ちがズレてゆく、その感覚が丁寧に描かれていた。

だからこそ、象徴的にワタナベがある女性とセックスすることになるのだが、その安易さが(原作も含めて)気になった。なんだ、セックスすれば気持ちもつながれるのかよ、それが結論? という疑問は残る。

で、ここからは私が意識的に筆をすべらせるが、村上春樹って基本的に自分のセックスによほど自信があるんだと思う。
というか、ある能力に対する「自信」とは他の自分の能力との差異の認識から生まれるはずだから、そういうことすら考えたことがないんだと思う。

原作ももともと悪くない作品だとは思うが、村上春樹の作品が他の文学作品と比べても突出して売れたのは、そういう独特の「スーパーマン性」が、少なくとも男にとっては憧れになるからなんじゃないかと思うのであった。

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