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【雑記】・「私見・1995年という年」

togetter 1995年についての考察
上記の流れを読んで、思いついたことを適当に。
まあ、いつものやつです。

・その1
80年代前半から90年代初頭、サブカル界では(?)、「すべてを軽く信じ、決して深入りしない」というスタンスというかポーズを取ることが好まれた。
マニアであることを表明することは、もちろん恥ずかしいこととされたし、何かを信仰するなんてとんでもない話だった。
だが実際、サブカルライターで仕事が来たのはたぶん、何かについてくわしい人たちだったのだろう。あくまでも重視されたのは「ポーズ」である。

象徴的な出来事の一つは1987年にウルトラマン・ウルトラセブンの再放送の解説を、泉麻人が行った「泉麻人のウルトラ倶楽部」の放送だろう。一般人が受け入れるオタク・マニアイメージの限界が、当時の泉麻人だった。
その後、ものすごくオタクをカリカチュアライズした存在として90年に「宅八郎」が登場。
90年代後半には果たして宅八郎がオタクとして本物か偽者かといった判断がネット上で問われたりもしたが、そんなことは問題ではない。
宮崎事件以降、ああいう「キャラ化」した人物がガス抜きをしてくれなかったら、90年代半ば以降のオタク復権もうまくいかなかっただろう。

閑話休題。「すべてを軽く信じ、一つのことに傾倒しないというスタンス」が是とされたサブカル界隈が、オウムを単なる「オモシロ集団」として片付けたことは想像に難くない。
togetterにおいてなぜ宮沢章夫がそのことについて反省しているか、勝手に想像するが、おそらくオウムを「ものすごくカッコ悪いものの象徴」としていじったからだろう。
地下鉄サリン事件が露見するまで、狭義のサブカルは(根本敬などを除いて)オウム的な情念を忘れようとしていたフシがある。

・その2
そして95年以降、何がおとずれたかというと、その後の10年間は「オタクの時代」である(togetterにおいて宮沢章夫が言う「大衆化」とはここら辺のことを意味しているのかもしれない)。私は、実はブログ上にオタク論ばかり書いているが、「オタク論」そのものは、根底にあるものを曖昧にしたまま積み上げた疑似理論だと思っている(今、大事なことを告白した)。
しかし、そんなオタク論でもひとつだけはっきり言えるのは、90年代前半から95年を挟んで、「オタクの時代」に移行したということだ。

95年はエヴァンゲリオンがあり、「トンデモ本の世界」が刊行され、「映画秘宝」も出た年である。翌年には本格的なエヴァブームとともに「オタク学入門」が刊行される。
「オタク学入門」が実際売れたかどうかは知らないが、あの本はもちろん「学」の本ではなく、オタク復権の宣言だった。
オタク史的に見れば、89年の宮崎事件以降、「なんだかわからないやつら」から「危険なやつら」へと世間の認識が変貌したオタクが、そのガス抜き的存在としての宅八郎の出現をみて、そこからさらにパソコン通信、インターネットの利用者増加により「情報化社会」がキーワードとなる中、「情報利用巧者」としての側面を強調されるようになったということである。
ちなみに、今調べたら「テレホーダイ」が始まったのも1995年だ。

それにひきかえ「サブカル」が軽いものとされ、「オタクはなりふりかまわず好きなことを追及しているからカッコいいが、サブカルは人目を気にしたり『こんなことを好きなオレってかっこいい』というナルシシズムが入っているからカッコ悪い」という批判が、ある時期まで半ば定番化してしまう。
そうなってしまったことの理由は簡単で、「サブカルチャー」の思想的基盤がほとんど跡形もないくらいに瓦解してしまっていたからだ。

もともと、90年代前半に「ゴーマニズム宣言」の連載が始まり、当時のゴー宣は旧来の知識人の無力さや矛盾を突く内容であった。
みうらじゅんなど、積極的に初期ゴー宣を支持した人たちもいたが、もともと小林よしのり本人が作品内で自分の意志でマイナーな存在にとどまろうとする人たち(サブカル界隈の人たち?)と、基本的にメジャー志向な自分との考え方が違うことを表明していた。
さらには95年にSPA!を離れたあたりから、ゴー宣は安易に支持するしないと言いにくい存在になってしまう。

・その3
小林よしのりは、薬害エイズ騒動以降、潜在的に抱いていた新左翼運動に対する反感をあらわにする。そしてまた、実際に運動するかどうかはともかく、ざっくり言ってサブカルの思想的背景には新左翼的なものがあった。

さらにサブカルをさかのぼる。80年代、「運動」としては地におちてしまった感のあった左翼思想を、「高度消費社会の出現による階級差の消失」ととらえ積極的に肯定しようとしたのが「新人類世代」。
そして、その思想モデルは吉本隆明と糸井重里にあった。

つまり、80年代のCMやマーケティング、コピーライターがカッコいいという風潮、高度消費社会をどう生きるかみたいな村上春樹的なテーマは、すべて70年代の左翼的思想の、時代に即した読み変えであった。
ナンシー関がバブル期に、トレンドウォッチャー的な役割で売りだしていた西川りゅうじんに対し「一緒にしてほしくない」と言ったのは、当時の西川りゅうじんが無思想・無批判に消費社会を礼賛していたように見えたからだ。
とにかく、左翼であろうが何であろうが、サブカルというのは「思想」を基盤としているというところが重要である。

逆に言えば、サブカルというのは思想がエネルギーのようなところがあって、それが薄れてくると元気がなくなってしまうのである。

高度消費社会ということで言えば、サブカルも積極的に肯定していたはずだったのに、95年以降はオタクがそれを担う。なぜか。オタクの方が消費に対し、無思想で無節操だからである。もちろんここで言う「無思想」は「何でもかんでも買う」という意味ではない。購買の際の吟味は当然する。
だが「大人買い」という言葉がいつの間にか定着したように、オタクは物欲に(理念的には)制限を設けない。

・その4
また、サブカル方面は地下鉄サリン事件もキツかっただろう。当時、「オタクの集団」という見方もされたが、私にはどう考えても70年代の連合赤軍事件の繰り返しにしか見えなかった。
オウムの一連の事件を「オタクの浮世離れした犯罪」としてまとめることには無理がある。連合赤軍事件だって、浮世離れ具合では似たようなものだったからだ。

つまり、オウム事件は意地悪な見方をすれば、「連合赤軍事件」をすり抜けた人たちが運動の現場からサブ「カルチャー」の方へ流れ(その中にはオカルトへの傾倒も含まれた)、流れたにも関わらずけっきょくそのスタンスが過激化した果てにはテロリズムがあった、ということになってしまう。

そのようなことを感じ取れれば、95年というのはサブカルにとっては一つの区切りとなった、という見方になるし、まったくのノンポリで何も感じていなければ、大事件はいくつか起こったが時代の区切りとは感じられなくなるだろう。

・その5
さて、では今はどうかというと、サブカルは勢いを盛り返している、と自分は考える。
逆に、オタクは浸透と拡散し、さらにあまりに不況が長引いたせいで、「買い物上手」みたいな観点では称賛されにくくなってしまった。
また、この10年間で「オタク的思考」は、人生哲学としてはいくつも穴があることが明らかとなった。
まずオタクには基本的に倫理観はない。倫理観があるオタクがいたとしたら、その人は別の考え方から倫理観を引っ張ってきているのであって、オタク思想そのものの中には倫理観はない。
次に、恋愛や結婚に関しても無力である。不勉強にして未読だが「電波男」は、恋愛至上主義の欺瞞を暴くと同時に、オタクは妄想で対抗するしかない、ということをも露呈させてしまったとも言える。
もちろん、オタクはオタクであるというだけでは、出産や育児に関しても無力である。

サブカル方面は、911でオウムのときには日本という国の局所的な現象だと思われていた「宗教によるテロ」について考えなければならなくなり、景気の悪さから就労の問題がクローズアップされてもいる。こういう「燃料」が投下されるとサブカルは強い。
また、オタクを一種の仮想敵とみなし発言、行動するという相対的な動きも出てきている。いや敵とみなさずとも、若い世代にとっては右肩上がりの経済やバブルを体験した世代の言うことにはリアリティが感じられないだろう。
もちろん、それは「新人類」だって似たようなものだが、こういうときに考え方の基盤があると、話がわかりやすいことは確かだ。

ただし、世代論的に言えば現在五十代くらいのサブカル世代が、せっかくのチャンスを逃す可能性もある。
togetterの話に戻るが、いとうせいこうは「20世紀のテロリストの倫理が地下鉄サリン事件で終わる」と書いている。私個人は、ロマンチックなフィクショナルな意味あいにおいて、「テロリストの倫理」が終わったのは連合赤軍事件だと思う。あるいは、三菱重工ビル爆破事件。

と、唐突に終わる。

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