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【雑記】・「勘だけで書くので、間違っているかもしれません」

例の都条例問題。
抽象論をネットに書いても何の意味もないと思い、今までブログには書いてこなかった。
しかも、私が思っていることは単なる勘である。
だが、自分のやってるブログなんだから何を書いても自由だと思い、書くことにする。

・その1
念を押しておくが、本当に勘だけで書く。

おそらく、都市圏の生活コミュニティがかなり破壊されているし、またそれを一般層はみずから望んでいるのだ。
地縁・血縁の面倒くさい関わりから、多くの人が抜けでたいのだと思う。

(それがなんで都条例と関係あるかは、後でわかります)

「体感治安」の悪さというのは、「隣の若者が何をしているのかわからない」という恐怖感から来る、と私は思っている。
「ああ、近所の札付きのあいつらがまたなんかやってるよ」というのと、「どこから来たのか、ぜんぜんわからない若者がたむろして騒いでいる」というのとでは、恐怖や不安の質が違う。
たとえ無害な若者であっても。感覚として。

どうして地縁・血縁社会が崩壊しつつある(あるいは、崩壊しつつあるように感じられる)のかについては、たぶん研究している人がいるだろう。

ではどうすればいいのか。みんなお隣に塩やしょう油を借りに行くような、そんな緊密な人間関係が欲しいのか。
たぶんそうではないのだろう。

つまり、何も考えていない一般層にしても、地域コミュニティが崩壊しつつあることは自覚しているにも関わらず、それを建て直そうと言う気はおそらく、ないということだ。

・その2
そして、地域コミュニティが崩壊したら、それまでコミュニティ全体で機能させていたセーフティ・ネットには当然期待できなくなる。
そうなってくると、行政というかいわゆる「お上」に何とかしてもらうしかない。

もう一度書くと、
・地域コミュニティの崩壊イメージ(望む部分もあり、惜しむ部分もあり)
・地域コミュニティにあった「安全」イメージの崩壊
・自分たちだけではどうにもならないので、お上を呼びこんでくる

この流れになるのだと思う。

要するに、都条例の問題は、どこのだれが黒幕だとかいう問題は別にして、それが通りうるということは、監視社会問題の一つだと私は考えている。

防犯カメラの問題などと同質である。
アキバに、通り魔殺人事件後、防犯カメラが多数設置されたが、通り魔殺人そのものは防犯カメラが設置されていたら防げた事件というわけではない。
それでも、秋葉原の安全イメージを保持するため、導入したのだろう。

他にも、十代がタバコを吸わないようにと「タスポ」を導入してみたり、なんやかやといったそういう「制限」と、本質的に都条例の規制は同じものだと自分は考えている。

「こういうわるいことが起こっているので、このような規制をしましょう」

という提案は、断りにくいものなのである。

「税金を上げましょう」

というのとは、ぜんぜん質が異なる。

そもそも、現在叫ばれている「監視社会問題」だって、問題視している一般層はきわめて少ないだろう。
たとえば「外食の店はすべて条例で禁煙」とか言われたら、積極的に反対する人は少ないのではないか。

・その3
戦後、一貫して日本人は個人主義を求めて生きてきた。
広義の文学の世界では、その流れに竿をさすように定期的に「反・個人主義」が叫ばれるが、それは言うなれば「こういうことを忘れていませんか?」という一時的な問題提議にすぎない。
時代の流れは個人主義、ビジネスライクになり、それに竿さすかたちで少数派に支持される議論がちょっとだけ起こる。
要はこの60年間、その繰り返しである。

あるいは別の角度から見れば、「個人主義」を都合よく補完してくれるのが「恋愛至上主義」と、その延長線上にあるニューファミリー幻想だ。

「恋愛」は日本においては「大家族」に対する対立項である。
だからこそ、クリスマスは恋人同士で祝うことが主流というイメージとなった。
クリスマス、外国の神様の生誕祭、個人主義の国、という日本人の勝手なイメージである。

で、その先にはニューファミリーがある。現在、全共闘世代以下のほとんどの夫婦者が、私個人は「ニューファミリー」だと思っている。たとえ両親と同居していても、意識の上では個人主義だろう。
そういう層が、今回の都条例に関しては、おそらく消極的に賛成するのである。

(繰り返すが我ながら勝手なことを書いているが)
この不景気下に共働きで、子育てもしつつ、なおかつ奥さん方となれば自分たちの祖母や母親から、「いかに親戚や隣近所の付き合いが面倒くさいか」をさんざっぱら聞かされてきたに違いない。
もちろん、自分の夫がAVを観ていても不快になる人たちである。
しかも、イメージとして子供の誘拐などの報道がさんざんなされている。

そうなると、どうしてもお上(別の言い方をすれば「システム」)に頼ってしまいがちになる。

未成年問題ならエロ、酒、タバコ、すべてをだれかに管理してもらいたい、と思ってしまう人がいてもおかしくない。

だからこそ、世の中の流れが「個人主義」に向かっているからこそ、そこに上からのシステムが導入されることをはばむのは、容易なことではない。

もっとわかりやすいたとえにするならば、学校のクラスで「なんとなく」雰囲気が落ち着かないからと、学級委員やボス的な存在、あるいはムードメーカーなどの役割や生徒間の話し合いを無視して、いきなり担任の教師や、場合によっては校長先生が出てきて管理しようとするような状態が、現在の日本だと思う。

「先生が管理します」と言われれば、みんなひとまずは正論だと思ってしまうのである。

このように、規制問題は尋常じゃないくらい、日本近現代史に関わるくらい、根が深い問題だと私は思っている。

なお、私は都条例に対し、「現状でよかったものにさらに上乗せした」という、まったく意味のないものだと考えている、ということは明記しておく。

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