【雑記】・「怒りがおさまらん」
私が前に勤めていた会社の上司は、当時38歳で、現在生きていれば五十代の後半。
年代的に言えば「全共闘世代に憧れていた世代」で、オタク第一世代より少し年齢的には上になる。
東北の田舎で中学・高校時代を過ごし、ゼンキョートーの影響で、公害問題をうったえた映画を学校の体育館で上映したのが自慢だったらしい。
いやそれはそれでいいんだよ別に。勝手にやればいい。
びっくりしたのは、何かのおりにこんなことを言ったこと。
「自分のおじさんは生まれつき耳が不自由で、話していても何を言っているのかわからない。だから、たまに親戚連中が集まったとき、おじさんがしゃべってても適当にわかったフリをして、後は無視している」
「ろう学校では、耳の不自由な人が話すと聞き取りづらく、他人に不快感を与えるのであまりしゃべるなと教えているらしい(注:そんな事実はない)」
聞いていて唖然としてしまった。
オマエには、ゼンキョートーも、左翼も、右翼も、政治も、子育ても、障害者問題も、すべてを語るいっさいの資格はない、と私はこのとき思った。
そういうことを語っている人がいかにもアホそうなどうしようもないヤツだったら、私もあきれはするが「怒り」の感情はわかなかっただろう。
ヨシモトタカアキなんかをひもといている、インテリ気取りだったから腹が立ったのだ。何やってんだ。本読む意味、ないじゃないか。
ごく最近、似たような経験があった。
あまりに生々しい差別発言は、目の当たりでされると唖然としてしまい、とっさに否定できなくなってしまう。
これはもののたとえだが、みんなで楽しくお酒を飲んでいるときに、
「ところで、黒人ってみんな死ねばいいのにね」
と真顔で言われたら、みなさんならどうする? まず最初に、ブラックな冗談だと思うだろうし、もしそうでないことがわかってしまったら、その発言を「冗談」として解釈することによってやり過ごそうとするのではないだろうか?
思い出すだけで気分が悪くなってきたので、この話はここまで。
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