【雑記】・「退屈な言説について考える」
前にも書いたが、「退屈な物言い」というのがこの世にはあって、実際何が起こったか、どんな作品がリリースされたかということよりも、それをめぐる言説のつまらなさにうんざりすることがある。
はっきり言って、ある事象や、作品を観て、それについての感想が読む前から浮かんできてしまうような場合、「なんでそういうこと書くの?」って本当に思う。
「とりすましたものにツッコミを入れていい」と、自分に最初に教えてくれたのはビートたけしだった。
最近のたけしは常に「伝説」とされて語られることが多いが、やはり80年代という時代とマッチングしたというのは確実にある。
80年代とは、70年代ほどではないが建前が生きていた時代であり、たけしの前には無限の「ツッコミどころ」が存在していたはずである。
そして現在。そんな作業はごく当たり前になった。
もちろん、今でもたけしは何かにツッコミ続けているのだろうが、むしろ「映画監督」としての素養がクローズアップされているのは、やはりそちらの方に魅力があるからだろう。もしくは時事に対するツッコミよりは、あきれるくらいのナンセンス志向の方に。
そこまで理解したら、後はどうふるまうかだが、現在はツッコミ側があまりに増えたため、「ツッコミのしのぎあい」、「ツッコミのマウンティング」が行われている時代だと言える(ここでいう「ツッコミ」は、漫才の役割上の「ツッコミ」ではないことは文脈上、理解してください)。
「事象に対するツッコミ」は、「ツッコミへのツッコミ」があまりに輝きすぎると効力をなくす。だから、みんな荒野のガンマンみたいに、お互いの瞬殺を狙ってしのぎをけずりあう。
そんな状況は、現場の緊張感があるわりにはひどく退屈だ。退屈な光景だ。
あと、自分は「理屈をこねくりまわすこと、そのことの面白さ」を自覚しつつ、それだけで押し通すことには限界があると思っているし、案外、「理屈」に「社会的意義」を「捏造」することは、重要なことなんじゃないかと思っている。
その「捏造」のあり方こそが、今の自分のいちばんの興味の対象かな。
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