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【映画】・「さらば愛しの大統領」

監督:柴田大輔
監督:出演:世界のナベアツ
脚本:山田慶太

大阪を独立国にし、初代大統領となった世界のナベアツ。彼を暗殺しようとする者が現れた。刑事たち(ケンドーコバヤシ、宮川大輔)は暗殺の犯人探しに奔走する。

だいたいいい予想も悪い予想も当たってしまった。ナベアツがつくるならだいたいこういう映画だろうな、という予想を一歩も出られなかったのは残念。

しかし、それよりも何よりも、本作のような映画がもっとも退屈なたぐいの批評を生み出す、ということについて考えてみたい。

要するに、映画畑でない人が撮った映画は「批評的かわいがり」の標的の対象に、ああなるんだなあーという感慨が、観ている最中に浮かんできてしまうのである。

たいてい、映画の専門家ではない人が撮った映画は、映画史の文脈から「いかに映画的教養がないか」という観点で叩かれることが多い。それが自分にとっては死ぬほど退屈なのだ。

そもそも、「面白い映画を撮るには、映画的教養が本当に必要なのか?」という問いから始めるべきではないのか。

最初から映画的教養のない人の、映画的教養のなさをあげつらうのは、単なる答え合わせにすぎないのではないか?

たとえば、本作は冒頭に「この映画はアホになりきって観てください。インテリぶって観ないでください」というような文章が出てきてそれに反感を持つ人も多いようだが、別に深い意味はないでしょ、そこには。
「片腕マシンガール」の冒頭に、映画の見方の解説があったのと似たようなものでしょ?

本作における「アホ」というのは、別に無教養を称揚しているわけでも何でもないですよ。
どの程度、ナベアツが内容に関わっているかは知らないので、かなり私の勝手な妄想を書きますが、思い浮かんだのはダウンタウン松本の一連のコントですよ。
松本が、「何かこのコントには深いことが隠されているかもしれない」、「何かを批評しているのかもしれない」と、受け手が思いがちなコントをよくつくるわけですよね。

ナベアツが、松本を座標軸にしているかどうか、ぜんぜん知らないが私の予想ではしていると思う。
そして、「松本のつくるコントのような『深さ』を感じさせないもの」が、ナベアツの目指すものなのではないか、とこの映画を観て思った。

で、「批評性のなさが攻撃性になっている」ギャグというものがこの世にはあるが、たぶんナベアツはそういうことも拒否してる。
それが、この映画ではものすごくはっきり出ている気がする。

ナベアツという、別に吉本全体としてもお笑い界全体としても、売れてはいるが何かを牽引したわけでもない(別に牽引しなければならないわけではない、と私は思っているが)存在が、1時間半、自分の看板を背負ってギャグをやるとどうなるか、ということをこの映画は表しているはずだ。
そういう観点で観ないと、楽しめないと思う。

ただし、「笑い」に関しては、芸人にしろ、映画監督にしろ、役者にしろ、マンガ家にしろ、小説家にしろ、それぞれの領域での方法論があまりにも絶対的である、と思いすぎる傾向はあると思う。

芸人が映画を撮った、ということでとくに芸人のことが言いたいのではなく、どのジャンルの人でもそうなのだ。

80年代、落語家がテレビタレントとして没落していったのには、明らかにその辺の自信過剰があったと私は思っているし、小劇団ブームが「いかにも小劇団っぽい笑い」というものをにおわせるようになってしまったことにも同じような印象を受ける。

まあ、思いついたのはそんなところ。

話を戻すと、映画批評が最も退屈に見える瞬間、それは映画的教養をむやみと振りかざすことだけをもって、事足れりとするその瞬間にある。

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