【雑記】・「アニメ『俺妹』エロゲー問題、あるいはオタク第二世代(私くらいの年齢の人間)の欺瞞性」
たまたま他人のブログを読んで、リンクをせずに文句を書くシリーズ(笑)。
いちおう私のひとまずの見解。
アニメの「俺妹」に関し、エロゲーメーカーが協力してる、ってのは、私はやりすぎだと思っています。
だれかから文句を言われたとき、言い訳が立たなくなっちゃいますから。
もしも「これを観た中学生が、番組内のエロゲーを買おうとしたらどうするの!」と言われたら、「あれは架空のゲームです」くらいの言い訳の余地は、残しておきたいと思うんですわ。
で、こっから先はそれとは別の議論。
「地上波で、未成年者が何のペナルティもなくエロゲーをプレイする内容を放送していいのか」
っていう疑問も、ネット上で呈されているんですよね。
たまたま、そういうことを書いている人が私と同世代だったので、リンクしないで(笑)いろいろ書きたいと思います。
・その1
まず、「未成年は痛み、リスク、罪悪感を伴ってエロを楽しむべき」という理屈ね。
私は、それは正論だと思いますよ。
正論だと思うけど、我々の世代(今回はあえてそう書く)が未成年だった頃、エロにアクセスするのにそれほどの危険を伴ったかどうかは、疑問ですね。
最大のリスクはポルノ映画館に入ることで、でもすでに80年代はポルノ映画は下火だった記憶がある。
となると次はAVですが、AVのレンタルにどれほどのリスクが伴っていたかも、はなはだ疑問。
だいたい、オタク第二世代なんてほとんどの場合、下の世代に説教できるほどの立場にはない。
オタクというのは基本的にグダグダなものだった。同人誌即売会では未成年へのエロ同人誌の販売は禁じられているけど、そのおどろおどろしい(?)雰囲気はイヤでも体感できてしまう。
80年代の少年マンガ誌では、実際のセックスには至らないギリギリの表現があらゆるところで追求された。いわゆる「少年エロコメ」というやつで、月刊誌には一作はそういう作品が載っていた。
土曜日の昼間には、東映のバイオレンス映画がテレビ東京などで放映されていた。和姦でもレイプでもアリだった。
東映じゃない別の映画だけど、不良たちが集まってオナニーしてどれだけ精液を遠くまで飛ばせるか、なんて作品を、かなり浅い時間にやっていたのである。
もちろん、現在と単純比較するつもりもないが、「俺妹」の「未成年者に悪影響を与える罪」について考えると、正直、それほど大きいものではないという気はする(「表現規制派につけいる隙を与える、という問題点はあるが)。
・その2
なぜあえて「オタク第二世代」というふうに今回のエントリで規定したかというと、我々(繰り返すが今回あえてこう書く)が若い頃は、「大人になれ論」ってのが流行ったわけ。一部で。「別冊宝島」を読んでいるような層に。
オタクというのは基本的に、子供時代にやってきたことを「卒業」せずにやり続ける人種。だからそこには当然、社会的に小さな摩擦も起こるし、当人に罪悪感もある。
そこに現れたのが「大人になれ論」。これは時代背景として、日本の経済大国化と家族制度の解体によって、若者が共同体内での立場の確保にしがみつかなくてもよくなったということがある。つまり、必ずしもパーフェクトな「大人」にならなくてもよい環境となった。
しかし、同時にそれは自らの立場を非常に不安にすることでもあった。社会内で自己規定ができないわけだから。
だからこそ、「大人になれ論」は、旧来の共同体(学校や地縁・血縁、会社社会)での中で自分を見つけよ、ということを強く訴えたわけね。
その中には、具体的には書かれていなかったけど「ジャリが好むようなアニメやマンガはあえて見ない」という項目も、あり得たわけで。
でも、実際の歴史はもう少し複雑に進んだ。我々は宗教的求道者ではないから、アニメやゲームやマンガを捨てずに(肉体的に、社会的に)大人になった。
で、そんな中で、「オレはかくかくの倫理で『大人』だった」と言われても、どれほどの意味があるのか。
たとえば「エロ業界にいるオレは日陰者の立場を受け入れているぶんオトナだ」って、それは正論かもしれないけど、それ何なんだ。
新橋の酒場で自慢ばなししているのと、そう変わらないんじゃないのか。
あるいは、「オレは未成年にエロを解放することによって世の中変えてやる!」というアナーキズムにたやすく相対化されはしないか(注:私はアニメ「俺妹」がそういう存在だとは思っていませんが)。
・その3
オタクコンテンツというのは本質的に、ヤングアダルト向けのギリギリの商売、と言ってもいいかもしれない。
どこで線を引くかの問題はいつだってむずかしかったし、現在もそうだというだけのことだ。
何も、先人が常に正しい道を通ってきたわけでもない。
そうそう、それと忘れていた。
「何かを得るには、痛みに耐えねばならない」という「青春の倫理観」が通っていない、と批判される作品というのは最近でもいくつかある。
ダメ少年が急に救世主だということが明らかになっちゃったりする映画とかね。
しかし、日本のオタク文化は、実は、西欧的なイニシエーションをグダグダにすることで成り立って行ったのだ。もともとの土台がそうなのだ。
我々はそれを「罪」と知りつつ、やってきた。
「おれたちには倫理観があった。でも近頃の若い者にはない」とは、言いきれないのである。オタクに限っては。
アニメ「俺妹」に倫理観の欠如があるならば、それは我々世代の何かが失われたわけではなく、そんなもの、最初からなかったのである。
オタクには倫理観が欠如したままで、おそらく仕事の場その場で議論がされ、その場その場で何らかの決定がくだされただけだ。
何度か書いているが、「オタク」というライフスタイルには「倫理観」はない。だから「倫理観」は別のところから引っ張って来なければいけない、というのが私の持論である。
あたかも、昔からオタク内部に倫理観があった、とするのは、欺瞞でしかない。
・その4
なお、アニメ「俺妹」に関して、確かに第三話の時点においてヒロインは「未成年なのにエロゲーをやる」ということに何のペナルティも受けてはいない。
だが、因果応報の宗教説話じゃあるまいし、それってそれほど問題か? という議論も成り立つわけである。
私個人は、まさに作品内の欺瞞(というか、巧妙(?)なごまかし)があった第3話を、けっこう面白く観てしまった。
「未成年者がエロゲーをやることは是か非か」ということを問題とするなら、本当にごまかしとしか言いようのない物語内での解決方法だった。
だが、そこに妙なリアリティを感じてしまう展開でもあったのだ。
この「妙なリアリティ」にこそ、「味」が含まれていて、それは反社会的なものではあるのだろうが、そこは「倫理的に許せない」とかそういう話じゃないだろうが、と私は思う。
話がそれた。
少々話が飛躍するようだが、
「昔はエロへのアクセスは大変で、見つかったらひどいペナルティを受けた」
「昔は一人はガキ大将がいて、ガキ大将に殴られたこともあるが、守ってもくれた」
「昔は知らない子供でも、悪さをしていると近所のおじさんが注意してくれた」
これらの話は、我々世代が若い頃にはすでに「神話」になりつつあった。
オタクのセクシュアリティに関しては、「萌え」の発見があった90年代からの論考が多いようだが、(あくまで妄想の世界で)倫理観をグダグダにしたのが、80年代以降のオタクである。
少なくとも「オタク」という立場で、第二世代が後続に説教なんかできやしない。
それほどの立場か、っつーの、というのが私の意見である。
(もちろん、「年長者」としてなら説教はできる。ただし、それはオタク論とはまったく別の問題となる。)
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