【超常現象・奇談】・「愛があるとかないとかの話 その2」
その1の続き。
自分史的に書こうと思ったが、どうもうまくいかない。
とにかく、95年に地下鉄サリン事件が起こったこと、それがサブカルをも巻き込んだ(オカルトがサブカルチャー化したという、結果的に最も大きな証明となってしまった)ことだけをとりあえず確認したい。
・その1
オウムのやった犯罪は正しかったのか。
私は正しくないと思う。
麻原が、事件を起こす前に、わりと普通のテレビ番組などにも出ていたことは説明した。
事件以前にも、思想的にどうかと思われる部分もあったかもしれないが、それは私の勉強不足で知らない(が、思想が行動の基盤になっている以上、その可能性は高い)。
やはり倫理的、道徳的に首肯しかねるモノに対してまで、私個人は優しい目を向けることはできない。
私にとって「愛のない論評」というのが存在するとしたら、それが理由である。
ただし、「常識の範囲内」なら笑ってすませられる。
たとえば、草なぎクンが路上で全裸になろうが、どうでもいい話である。
その線引きの話を、している。
・その2
超常現象に対して、「あるのかないのか、ボンヤリしたスタンスが好きだ」という人は非常に多い。私もできればそんなスタンスでいたい。
だが、どうしても白黒付けなければならない、シビアなことになる可能性が高いのが、オカルトや超常現象だと自分は思っている。
たとえばプロレスにシナリオがあろうがなかろうが、国家的大事件になるとは考えにくい。
だが、超常現象やオカルトの場合は、容易に人の人生を左右しうる。
同じサブカルでも、超常現象やオカルトは、どうしても真偽を一度は確かめなければならないジャンルだと、自分は思っている。
だからこそ、「愛がない(つまり批判的な)」論評が生まれざるを得ない。
それが、他のサブカル内ジャンルと最も違う点である。
インテリの人たちで「オカルト結構じゃないか」と言っている人と言うのは、現時点で具体的にどういうことを言っているのか知らないが、理屈で考えれば、
・オカルトが人を扇動する可能性があると認めたうえで、それを容認する立場
・きちんと管理すれば、オカルトが暴走することなどないだろうという立場
この二種類しか、今のところ考えられない。
前者は「そういう考え方」なので、「はいそうですか」としか言いようがない。極論になるが、戦争肯定の立場と同じで、そういう立場の人たちが一定数いることも知っている。また、絶対的にこういう考えを真っ向から否定できるかというと、実はこれがなかなかむずかしい(どうむずかしいかは書けば長くなるので割愛)。
が、後者の認識は、私は甘いと思う。
私個人の立場ではやはりオウムの場合、オカルトをも包含した宗教団体であり、「宗教的イデオロギーによって集団で殺人が行われた」というところに重きを置く。そして、それゆえに批判的にならざるを得ない。
その件に関して、「愛がない」などと言われては、こちらもたまったものではない。
・その3
「危ない1号」が90年代鬼畜ブームの端緒と言われているが、その数年前から、「鬼畜的スタンス」というのはサブカル内に存在していた。
一言で「鬼畜」と言ってもいろいろあるのでまた話がややこしくなってしまうが、反体制、非・体制的なサブカルにとって、オウムのもろもろの所業(とくに地下鉄サリン事件、および弁護士一家殺害事件)は相当にキツい事件だったはずである。
なぜなら、「なんでもかんでも均等に笑い飛ばすのが良い」とか「だれも相手にしないような危ないところにギリギリまで接近し、そこからなにがしかの教訓を掴み取る」ということは鬼畜ブーム以前にも、サブカルのスタンスとしてあり得たからだ。
「危ないから面白い」と言っていたところに、オウムが「本当に危ないこと」をしてしまい、それでもなおオウムを「ウォッチング」するならば、それなりの大義名分が必要になってくる。
あるいまた、オウムをテロリズム批判から難ずるなら、テロそのものの成否、「正義の戦争はありうるのか」という大変に面倒な問題が浮上してしまい、「そこまで言及するつもりはない」という人もいただろう。
私の同時代感覚では、オウムが80年代、「クラスの目立たない少年」のような存在としてスルーされていたのと同じように、事件後は「あいつは特別だから」、「あいつはヤバい」、「あそこまで言っちゃうとマズい」などと言いながら、クラスのイケてる連中(あるいは不良っぽい連中)がスルーしていったとしか思えない。
オカルトや超常現象に、たやすく対抗できる手段としては、やはり「常識」から観ておかしいかどうか、判断するしかない。
だれかの血を飲んだら何かがよくなるのか。砂糖玉をなめたら病気が治るのか。普通に、一般常識で考えればわかるはずだ。
ただし、「一般常識」というのも曖昧で流動的なものだ。だから常識だけでは人を説得できない場合、「理屈」が必要になってくる。
やはり、多少は無粋でもことの真偽は確かめて、「偽」と思われる情報は遠ざけておくのが、普通の人々の妥当な生き方だろう。
(この場合、ただ「あいつらは変だから」と敬遠するのではなく、内実をきちんと確かめるのがポイントである。)
前述のとおり、カルト教団の過激な行動にもそれなりの理由とカウンター的な意義がまったくゼロとは言えない。
だが、それによってこうむるマイナス面を考えた場合、「普通」に寄っていった方がたぶんマシであり、そのためにはそれなりの理論も必要になってくる。
私の、オカルトや超常現象のデバンキングに対する感覚は、そのようなものである。
だから、「愛のない論評」も成立させざるを得ない。
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