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2010年10月

【雑記】・「おれたちこんなに海外でがんばってるのにおまえら何足引っ張ってんだ系」

最初に弁明しておくと、私も私自身が村上隆氏や海外アートの世界については勉強不足のところがあると思ってますよ。

でも、たまたまtwitterで観た、海外で活躍してるっぽいデザイナーの人(1968年生まれ)が、AKBとアニソンに対してすさまじいディス発言をしているのを見て、これはさすがにどうかと思った(興味のある人はどうにかして検索してください)。

その人は、90年代半ばにやっと水準が高くなってきた邦楽が、アイドルブームによってめちゃくちゃにされた、と憤っていて、ロリコン変態文化がコマーシャリズムによって広げられ、真に海外で評価されるべき日本の楽曲がないがしろになっている、と憤っていた。

ま、実際、日本のそういう海外から観た奇矯な文化が向こうに「ネタ」的に扱われている事実はあると思うのだけど、
それ言ったら、日本は日本でアメリカの「ホットドッグ早食いコンテスト」とかを「バカじゃねえの(笑)」って思っている部分もあるんだよ。
広義のサブカルというのは、基本的にそういうもんですよ。

それと、気になるのは彼のグローバリズムへの盲信。
(村上隆氏はもっと老獪だと思うが)

まあ、最前線で現場で英語使って頑張ってんだから、っていう気持ちは、私もありますよ。

でも、それと日本で地べた這いつくばってるおれらが快楽を得られるかどうかはまったく別の問題なんですよ。
そこをまったくわかっていらっしゃらないようだった。そのデザイナーみたいな人は。

別にアイドルやアニメやアニソンやキティちゃんは、「海外で評価されること」がアガリだとはぜんぜん思ってない。
そこのところが、まったくわかってない。

海外で評価されたいというのは、アンタの自由だから。

戦略的に、「このまま評価されないと、世界に認知されないと存続自体がヤバい」みたいな煽りがあれば、こちらももうちょっと危機感持つんだろうし、その辺は村上隆氏はロジックを持っているでしょうが、もう一人の方(1968年生まれ)があまりにひどかったんで。

昔はこういう人(アニソンディスの人)はけっこういたんだよ。80年代半ばにはね。
前にも書いたけど、「サブカル」というのは自分の「個性」で一旗あげないといけない、という気持ちがある。

対するにオタクは、私が考えるに「群体」である。「群体」には別に個々の名前なんかなくっていい、という気持ちが強い。それゆえにないがしろにされて、前島賢氏が言う「オタクの公民権運動」が2000年初めくらいまでに行われていたわけだけど。

秋元が100パーセント、商業主義だけでやってるかというと、それはわからないよ。
っていうか、たぶんやってないと思いますよ。
もしかしたら、秋元康の「内面」について、そろそろ考察すべきときなのかもしれないね。

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・「みうまん」(1) 仲村みう、田辺洋一郎(2010、集英社)

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漫sプレイボーイ、週刊プレイボーイ掲載。
元グラビアアイドルの仲村みうの、やや常識からはずれた家族を描いたドタバタギャグマンガ。

まあ「家族ギャグ」を想像してくれればだいたいの内容は理解できると思います。

たぶん、仲村みうが話した家族の面白エピソードを基盤に、ネタにしているのだろう。
興味深いのは、仲村みうのシュミであるとして「マンガ内マンガ」として「文房具同士によるBL」が描かれたりするところ。アイドルと萌えとBLと家族ギャグがクロスオーバーしているという、不思議な作風。

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・「ブラック・ジョーク」(1)~(4) 小池倫太郎、田口雅之(2008~2010、秋田書店)

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アメリカ51番目の州、ニホン州の東京湾立地にある通称「ネオン島」は、カジノ・売春が合法の遊興都市となっていた。このため国際的なマフィアの競合地と化している。
そこの唯一の日本人経営のホテルを舞台に、ひと癖もふた癖もある登場人物たちの血なまぐさいエピソードを描いてゆく。タイトルのとおり、「ブラック・ジョーク」として。

私はこの作者の絵やアクションは好きだが、お膳立てとキャラ造形に関しては「ああ、これがイマドキの感覚か……」というふうに思わざるを得ない。

本作に酷似した作品としては、マンガ版の「ルパン三世」を思い出す。ルパンの世界にはほぼ悪人しか登場しない。それも、自分の才覚や腕に自信を持って生き抜いてきたやつらばかりである。
しかし、どんなにすごいやつらでも、ルパン三世にだけは勝つことができない。
まあ言ってみればマンガ版「ルパン」とは、そういう話である。

「悪人同士の出しぬきあい」となると、殺伐とした話になりがちで、「ルパン三世」ではそれをジョークでまとめていた。
もうひとつ重要なのは、「ルパン三世」という最強の男がいる、どんな結末でも必ずルパンが勝つ、という「おとしどころ」が決まっていたという点である。

対するに、本作ではさまざまなキャラクターをあまりに並行させて描いてしまっているため、読んでいて「おとしどころ」が見つからない。
義に厚い者も、仲間のためには命を賭ける者も、すべてが「ネオン島」の一登場人物に過ぎず、彼らの生きざまは「ブラック・ジョーク」として……矮小化されてしまうのだ。

これは、私が勧善懲悪的なものの見方をしているからではない。並列したキャラクターの中で、まずまず主人公だと思われる男・吉良潔が「狡猾で手段を選ばない」という性格づけになっていることが、大きく作用している。
つまり、本作は「さまざまな人々を描く」風ではあるが、その根底には「目的のためなら手段を選ばないこと」を是としてしまっている感じがあるため、この世界内で義理人情が描かれても、何となくどうでもよくなってしまうのだ。

またこの手の「非情な掟の世界」において、女性の描き方が、エロ要因としてもキャラクターとしても少々希薄なのがかなり気になる。
そこはかとなく、ミソジニー的なものも感じてしまうのであった。

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【ポエム】・「煮物オリンピック」

来るなら来ると 言ってくれ
おいしい ご飯を つくっておくから

腐った 米で つくっておくから

おかずも 腐った さつまいも

ジュースも 腐った ドロドロジュース

何が入るか お楽しみ

しかし この世でただひとつ
デザートだけは 極上の

腐った卵で つくります

やっぱり腐ってんのかヨ!!

そんな若者特有の
わがままぜったい許しません

両手両足しばりつけ
口に無理やりおしこんで

プロレスラーが顔つかみ
むりやり 咀嚼 させまする

「牛乳は 噛んで飲め」
「牛乳は 女房を質に入れても 噛んで飲め」
「牛乳は 女房を質に入れて 出して また入れて……と繰り返しているうちに」

地震だーっ!!

地震だーーーーーーっ!!

ねぇ、今、地震だったよね?
ゆれたよね?

ゆ・れ・て・湘南

ゆ・れ・て地震

ゆ・れ・てピキャキャキャ

所さんの!

「地震速報!!」

ス・ゴ・イ・デ・ス・ネ~

ス・ゴ・イ・デ・ス・ネ~

ス・ゴ・イ・デ・ス・ネ~……

(所さんの声がだんだん小さくなり、鬼太郎の姿もだんだん小さくなってゆく。)

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【雑記】・「アニメ『俺妹』エロゲー問題、あるいはオタク第二世代(私くらいの年齢の人間)の欺瞞性」

たまたま他人のブログを読んで、リンクをせずに文句を書くシリーズ(笑)。

いちおう私のひとまずの見解。

アニメの「俺妹」に関し、エロゲーメーカーが協力してる、ってのは、私はやりすぎだと思っています。
だれかから文句を言われたとき、言い訳が立たなくなっちゃいますから。
もしも「これを観た中学生が、番組内のエロゲーを買おうとしたらどうするの!」と言われたら、「あれは架空のゲームです」くらいの言い訳の余地は、残しておきたいと思うんですわ。

で、こっから先はそれとは別の議論。
「地上波で、未成年者が何のペナルティもなくエロゲーをプレイする内容を放送していいのか」
っていう疑問も、ネット上で呈されているんですよね。
たまたま、そういうことを書いている人が私と同世代だったので、リンクしないで(笑)いろいろ書きたいと思います。

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・「足利アナーキー」(1)~(3) 吉沢潤一(2009~2010、秋田書店)

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ヤングチャンピオン連載。
楽しいことが何にもない場所、栃木県足利(ということに、作中ではなっている)。
この場所から、高校生の喧嘩師の主人公と読者モデルもやってるというイケメンの親友、そして中学時代、この二人と「黄金時代」を築いたと言われる二人を加えたメンバーが、「日本一のギャングになってやる」という野望をもとに周辺のギャングたちにケンカをふっかけるというヤンキー(ギャング?)マンガ。

本作は微妙なバランスの上に成り立っている。が、現在のところ、非常に面白い。

1巻では、「タイマン」文化を否定する「いまどきの不良」のリアリティが先行していた。これが2巻以降になると、1巻ではどこまで本気かわからなかった「路上のケンカの論理性」を追求するようになってくる。タイマンはなくても、1対1でケンカするときにはどうすべきか、が詳細に語られたりする。

「不良」と「喧嘩師」を「別物」として、「ほとんどの不良は本当にケンカをしたことがない」と断じたり、大勢の人間を暴力による恐怖でビビらせ、自分に手を出させないようにするという過程にもリアリティがある。
ケンカにおける集団乱戦のノーハウについても語られている。どこまで本当かはわからないが、「路上」のリアリティを感じる面白い描写だ。

テーマも、いったいどこまで本気なのかがまだわからない。「何もやることがないから、とりあえずケンカして名前を売って行く」というのは「クローズ」以降のモラトリアム感覚と言っていいだろうが、そのわりには「日本一のギャングになる」という見果てぬ夢を持つ主人公より、荒れる生活をして喧嘩師となった元ボクサーを「クズ」と規定してみたりと、なんだかよくわからないところもあるのだ。

よくわからないところもあるのだが、妙なリアリティを感じることも確か。
本作が「やっても何の得にもならない無駄なことをやる」というモラトリアムに終始するのか、それとも本当に「日本一のギャング」になって何かをしようとうするのか(もしそうなるとしたら、主人公はスーパーヒーローになってしまうが)、どういうおとしどころに持って行くかは非常に興味のあるところだ。

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・「激マン!」 (1) 永井豪(2010、日本文芸社)

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漫画ゴラク連載。
お色気ギャグマンガ「ハレンチ学園」で売れっ子となったマンガ家・ながい激がマンガ家になった本当の目的とは、ストーリー性のあるSFマンガを描くことだった……という、半自伝的作品。

「デビルマンの章」となっており、この巻と現在連載中の誌面では「デビルマン」連載のきっかけからその過程が描かれている。
フィクション、ノンフィクション含めて「マンガ家マンガ」は流行りだが、デビュー時からよりもデビルマンから始めた、というのはそれだけ「SFストーリーマンガ」に思い入れが強いのだろう。
(むかーし、「ハレンチ学園」にはそんなに思い入れない、って発言していたこともあったし。)

この作品がすごいのは、作中での「デビルマン」連載にあたって、もともとの「デビルマン」をわざわざリメイクして今の絵柄で描いているところにある。しかも、断片的に描くだけかと思ったら、かなりガッツリ描いている。
このまま行けば、かなりの分量のデビルマンを作中でリメイクすることになる。
記憶だけで描いて申し訳ないが、たとえば藤子不二雄の「まんが道」では、細かいカットなどは新たに描いていたが、当時の作品はそのまま掲載していたはずだ。

作者が、自分の代表作を作中作としてかなり忠実にリメイクする、というのは前代未聞ではないかと思う。

なお、「デビルマン対ゲッターロボ」でもそうだったが、かつて「おきゃん」な性格だった美樹がおとなしい女の子に変わってしまっているのには何か理由があるのだろうか?

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・「デビルマン対ゲッターロボ」 永井豪(2010、秋田書店)

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恐竜帝国とデーモンが攻めてきたところを、ゲッターチームと不動明が迎え撃つ。
表紙のデビルマンの肌の色が、緑だ。「マジンガーZ対デビルマン」などの、かつての劇場用アニメを意識しているのか? と考えてはみたんだけれど、画像検索してもデビルマンの肌の色って、マニアならぬ身にはよくわからないんですよね。
でも肌色に近いものもあるから、やっぱり劇場アニメ版的なスペシャルな感じを出したかったのかも。

内容は、このまま本当にアニメ化してもいいんじゃないかっていう楽しさでした。
ここでまた、カルト人気の高いマンガ版「ゲッターロボ」に、いったいどの程度、石川賢ではなく永井豪がからんでいるのか? という問題が浮上してくるのですが(「やっぱり「ゲッター」なら石川賢だよな、的な意見が多いかもしれない)、私はここ十年くらいの永井豪の魅力は「能天気さ」だと思っているので、この作品は大いに気に入りました。

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【映画】・「十三人の刺客」

公式ページ

監督:三池崇史、脚本:天願大介

もうすぐ老中になるという殿様(稲垣吾郎)は、手あたり次第に女を犯し、男は殺し、とにかくメチャクチャな狂気の男。
こんな人間がご政道に関係してくれば、民草はひどい目にあうことになる……。
そう考えた現・老中(平幹二郎)は、島田新左衛門(役所広司)に、殿の暗殺を命じる。

すでに武士が刀で斬り合うことのなくなった世で、「戦って武士として死にたい」と考えた十一人の男と一人のトリックスター的男(物語後半に登場)、そしてリーダー・島田の計・十三人が、同じく武士として殿を守り通そうとする鬼頭半兵衛(市村正親)率いる二百人の武士たちと、壮絶な斬り合いを繰り広げる。

ひと言で言って、最高の復讐映画。

この現代に「勧善懲悪モノ」を現出させようとした三池崇史と天願大介の心意気は大いに買いたい。
そしてその上で、「武士であること」をまっとうしようとする二人の男(役所と市村)が敵味方に分かれてしまうという描き方、勧善懲悪をベースにしながらも、どこか「武士同士の戦い」を一種の内ゲバととらえているような少し突き放した感じ。
それでいて小賢しい印象はいっさいなく、全体は骨太なドラマに仕上がっている、その感触がたまらない。

とくに、本作を成り立たせているのは稲垣吾郎だと言っていいだろう。
狂気の権力者だが、どうも完全に狂っているわけでもない。計算されたサディズムで暴挙を行っているようにも思える。だがそう思った瞬間には、また狂っているとしか思えないことをやり出す……というものすごく恐いキャラクターを、見事に演じきっていた。

また、多少ネタバレになるが「彼の言っているのが本当のことかも」といった、イヤラシイ逆説もなく、最終的には極悪人として断罪される。

こういうのを待っていた!

こういうのを待っていたんだ!!

クライマックス前のある「もの」を掲げたシーンには、震えが走ったよ!!
強くオススメする。

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・「12月生まれの少年」(1)~(2) 施川ユウキ(2008~2010、竹書房)

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内省的で本好きな少年、柊(しゅう)とその周辺の人物たちがいろいろやる(主にキャラクターたちの妄想が暴走する)、4コママンガ。

施川ユウキはもともと、ダウンタウン松本的なというか、やや神経症的なギャグを「酢めし疑獄」あたりでは描いていて、こんな神経質な人はマンガを描いているうちに自分が壊れてしまうんじゃないかと思ったが、非常に詩的な方向にじょじょにシフトしていった。本作もその流れと言える。落ち着いて楽しめる作品だ。

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・「バビル2世 ザ・リターナー」(1) 横山光輝、野口賢(2010、秋田書店)

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ヤングチャンピオン連載。
あの「バビル2世」が、なんらかの理由によってアメリカと総力戦を繰り広げる。

かつてのライバル「ヨミ」がいきなり出てくるんじゃなくて、実在の国「アメリカ」とバビル2世が戦う、という趣向は面白いしツカミとしては大成功。

ただし、「アメリカという国」と戦う、ということの大義名分をどれほど深く考えているかには、疑問が残る。
「アメリカが世界を統一して世界政府を創ろうとしている」というセリフがあるんだけど、ここからは、「世界銀行」的な陰謀論の背後にヨミがいる、という展開しか自分は思いつかない。

このあたりは大風呂敷を広げて、何も考えない人がマンガ界には多すぎる(この作品がまだそうだと確定したわけではないが……)。

とにかく、続きに期待したい。

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・「戦国SANADA紅蓮隊」全3巻 平松伸二(2010、日本文芸社)

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戦国時代に生きる破天荒な男、真田幸村を主人公にした時代劇画。

基本的に平松伸二の作品にハズレなんてない。本作も面白いので一気に読める。
それを前提に書くのだが、ただでさえ逸話・伝説の多い「真田幸村」の、どの辺までを飛躍させて描こうとしているのかがなかなか見えてこない、という印象は否めない。

タイトルの「紅連隊」が真田十勇士のことだとしたら、最初から真田十勇士を登場させることは決まっていたはず。そのあたりのことをもう少し早く、明示してくれればよかったのに、と思う。

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【雑記】・「まったくの雑記」

すでに、長文のブログを定期的に読むという文化は消滅しているのかもしれない。

まあ、どうでもいいんだそんなことは。
どうなろうと、与えられた場で書ける機会に書き続けるしかないから。
と、本当にとりとめのないテキストを書いてみる。

まあ、幕の内弁当みたいな感じでお楽しみください(ものは言いよう)。

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【雑記】・「1996年の創作活動から」

昨晩、電車の中で「ニッタさん、むかし『美少女アンドロイドがもてない少年のところに転がり込んで、でもそいつが地球人を監視して娯楽として消費するためにつくられた」というマンガを描いていて面白かったですね」と言われ、「その話、面白いね!」と自分で言ってしまった。

そんなものを書いたのも、すっかり忘れてしまった。
HP「ふぬけ共和国・マンガ」の記録によると、そのマンガは1996年に描かれている。

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【ポエム】・「月は東に日も東」

プリンがものすごい勢いで、サーキットを疾走している

熱狂する観衆たち

プリン同士がくりひろげるデッドヒート

プリンのひとつがクラッシュ!

サーキットの外に飛び出し、埼京線に接触した!

そのときに生まれたのが、おまえなんだよ。

おまえは、生まれたときにはすでに十六歳だった。

酒もたばこも、やっていた。

ただひとつ、おまえが盗んだ自転車を乗り回さないことだけは、
おれたちヤメ検は みどころのあるやつだと思っていたよ。

今日も都会は暑いな。
ヒートアイランドのせいなんかじゃないよ。

秋田犬を飼っている、薄い色の入った中途半端なサングラスを

かけたおっさんが 恐いからだよ

ヤメ検でも 恐いものはあるのさ。

ああいう人ってさあ、ヤクザなの?

それとも妖精?

今の若い人には区別がつくらしい。

つむじの部分にCCDカメラを埋め込む手術が流行っていて、

それによって 世の中を観ているのがイマドキの若者だ。

そういえばキミも十六歳だったな。やはりつむじに?

そうか。つむじにコンビーフ会社の電話番号を タトゥーしているのか。

自分の頭のてっぺんに あるものが、

自分では 見えない……。

この無念さ。

この苦しみ。

そうだよね。

これだ。

これだったんだ。

これが宇宙だったんだ。

いやそうだよ。

宇宙だよ。

何否定してんだよ。

それにしても、おれが頼んだハンバーグセット、遅いな。

「当店では、そのような下劣な料理は受け付けておりません」

なんだこの店ー。
ひでえなー。
カッコつけてんよなー。

なんだかおじさん、泣けてきちゃったよ。

だってそうだろう、
ラブホテルを改造した このレストランで、

ハンバーグセットがない なんてよ

代わりに若鶏のなんとかソテーは いかがでした?

とか言ってきやがった

ああ、おまえが望むなら

そうしてやるよ!

若鶏のなんとかソテーを、豪快に、

豪快に……

(ここで意識が失われる)


「気が付いたときには、おれは真っ白な部屋の中に横たわっていた。周りには何もない。カレンダーも時計もないから、ここがいつ、どこなのかもわからない。だが、いつまでもいつまでも、遠くの方で『東京音頭』が聞こえていた。
どのくらい聞こえていたかというと、半年間くらいは聞こえていたと思う。」

「父さん、ぼくは東京音頭を聞き続けることによって、危険思想を排除し、居間では立派なゲリラです。」

(注:父は彼の手紙を読んで、ゲリラとゴリラを間違えていたという。このエピソードの中で、唯一心あたたまる話であった。)

(主人公の生まれ故郷には、段ボールでつくった現代芸術的モニュメントが建てられたが、二時間後に自然倒壊した。)

(完)

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【超常現象・奇談】・「愛があるとかないとかの話 別の角度からのまとめ」

twitterでつぶやいたことをここにも引きうつしておく。
超常現象に限った話題ではないが、なんとか簡潔にまとめられたと思ったので。

(以下、つぶやき)
「ダメだからいい」、「C級だから面白い」というのは90年代からではなく、すでに70年代後半からあったサブカル内での評価。それと、「現在リリースされているものを何でもクサす」というスタンスというのは、ペアでも何でもない。それはそういう人だから。(続く)

(続き)いわゆるモンド感覚と、「作品の正統的評価」とは対(つい)でも何でもない。ここを勘違いしている人が多い。それと、「著作を読みもしないで適当なことを書いて……」と批判する人が、自分は批判対象の著作をたいして読んでない。(続く)

(続き)なお、モンド的感性を「逆に」「あえて」という感覚にまで広げると、それは「スカした」ファッション文化につながっていく。つまり、「モンド」が「スカした文化」へのカウンターであるにしろ、「スカした文化」も、それなりの基準で「逆に」「あえて」という感性で勝負した部分は(続く)

(続き)ある。さらに言えば、正当な評価基準で文章を書いている人だって、ファーストガンダムの主題歌は変だと思ってるし、昔の特撮ヒーローの背中にチャックが見えることにツッコミを入れることもある。「ツッコミ」と「モンド」は同一ではないが、「モンド」が「作品全体へのツッコミ」なの(続く)

だから、それは地続きである。また、「モンド的感性」でツッコミを入れている人が、「現状の作品に対して正当な評価をまったくしない」ということを、私は聞いたことがない。実際、そういう人はいないと思う。また、ある時代を代表する作品が徹底的に否定された場合、それがどんな政治的な(続く)

(続き)判断でなされようと、必ず歴史的意味がある。「好きな作品をけなされたから気に食わない」のではなく、むしろ状況としての意味を読みとらなければ、単に「評論家サマの御託宣」を聞くだけの存在になってしまうではないか。

「空飛ぶ冷やし中華」(1977)が「料理として単体でクローズアップされなかったものに『あえて』注目する」という、日本のモンド的感性の嚆矢だったはず。しかしそのことに激怒した人間がいたか? たぶんいない。モンド的感性というのはあくまで在野精神というか野党精神の産物であって、(続く)

(続き)「モンドだからこそそれが王道だ」などといった極論を自分は聞いたことが一度もないのだが。「モンド的感性」を異常に憎む人というものの心理がよく理解できん。あびる優が段ボール盗んだということに激怒するタイプの人なんだろうか? なお、私自身がモンド的作品評価に関して(続く)

(続き)気を付けていることは、本気でどうしようもない作品は、取り上げない。「ヘタクソでひどいねーギャハハ」なんてやったこと、ほとんどないと思う。私が「ツッコミ」入りでマイナス評価の書評を書いたのは、最近ではつのだじろうの心霊ものくらい。だがマジメに書きましたよ。

(続く)あ、もちろん「政治的な理由で否定」というのは言論の上で、ですよ。念のため。

私が言いたいのは、ひと口で「(広義の)モンド」と言っても評者の評価基準はそれぞれ異なるということなんですよ。まさか、みんなかつての岸野雄一とみうらじゅんと山本弘とゴミビデオの評を書いてた頃のデルモンテ平山とを同じ評価基準でやってたと思ってんじゃないでしょうね? 心配になってきた。

岡田斗司夫さんも、「C級のもの」に対して特別積極的に探してたって感じはなかった。逆にそういうのばっかり探すのには抵抗がある、的な一文を読んだ記憶があるけど。あと「エヴァンゲリオンパズル」(ものすごいC級便乗商品)をおれが買わずに済んでよかった、とか書いてた。
(つぶやき終わり)

なお、「わざと変なもの、取るに足りないものを愛でる」という文化が「90年代ではなく70年代からある」とわざわざ書いたのは、意外と知らない人が多いかなと思ったので。

「洒落」とか「酔狂」とかにまで話を広げれば、それこそ江戸時代からあった話かもしれないが、「戦後」という枠組みに限っていえば、「あえて」「逆に」「つまらないものがかえって面白い」という感覚が80年代を代表するものであった、とされるのは、ほとんど「正史」であると思われる(実際にはそう一本道ではなかったのは、「オウム」が醸成されていったことでもわかるのだが)。

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【超常現象・奇談】・「愛があるとかないとかの話 その2」

その1の続き。

自分史的に書こうと思ったが、どうもうまくいかない。
とにかく、95年に地下鉄サリン事件が起こったこと、それがサブカルをも巻き込んだ(オカルトがサブカルチャー化したという、結果的に最も大きな証明となってしまった)ことだけをとりあえず確認したい。

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【書籍】・「セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史」 前島賢(2010、ソフトバンク新書)

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「セカイ系」は、すでにオタク内での流行語としての役目が終わってしまった感はあるものの、非常に定義が曖昧で、使うにしてもめんどうくさい単語である。

本書では、「セカイ系」という言葉が最初に使われたところから、現在までその定義がどのように変化していったかを丁寧に書いている。
また、「セカイ系」の定義が曖昧であること自体、歴史性から切り離されていると批判する。この辺はなかなか耳が痛い。

そして、「セカイ系」とはアニメ「エヴァンゲリオン」の後半部分、ストーリーが自壊していきシンジの過剰な自意識がむき出しになった展開と、それに影響を受けた作品群であると規定する。

要は「ストーリーが自壊してからのエヴァが、どのようにオタクカルチャーに影響を与えていったか」という論理展開なのである。
この辺の流れは非常にスムーズで、読み応えのあるところである。

また、「セカイ系」の定義の曖昧さゆえに、その言葉が「エヴァ以前」の作品にさえ適用され意味が拡散していくことを問題視している(と、思う)。
何にでも当てはまるならば、わざわざ新しい言葉が出てくる必要が無いからだ。

そこで、「セカイ系」という言葉がとくに必要だった理由として、オタク的作品内における主人公の「自意識」に、それまでの作品とは比較にならないほどクローズアップした作品が登場したこと、ととらえる。
この辺も、なるほどと思わせる。
なぜなら、本作にいっさい言及はないが、それ以前の古参オタクには「文学に対する絶望、あるいは無関心」という裏テーマがあるように、自分には感じられるからだ。

オタク第一世代の直接の母体のひとつとなったと言われる「活字SF」が、「アイディアさえ面白ければ『人間』が描けていなくてもじゅうぶん成立する」という特殊なジャンルであることとも、関連してくるだろう。

さて。

で、以下は私が勝手に思ったことであり、この「セカイ系とは何か」という書籍とはいっさい関係がない。

だから、本書以外に興味がない人、私が「セカイ系」について思ったことに興味がない人は、読まないでいいです。

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【超常現象・奇談】・「愛があるとかないとかの話 その1」

日常的に変なものを探しては紹介する、ということに取り憑かれて十数年も経った。
その中にはさまざまな「角度」から「変な」、「笑える」ものがあった。

そうすると、「人様が苦労してつくったものを馬鹿にしている」とか「物事の本質を観ないでナナメに観て重要なことをスルーしている」といった批判も出始めた。
「対象に愛がない」とも。

こういった批判は定期的に表れ、しかも抽象的なものが多い。
「最近のテレビは、タレントが集まって馬鹿騒ぎをするものばかりでつまらない。それにひきかえNHKの自然を題材としたドキュメンタリーはすばらしい」
というような批判と、質としては似ている。

「物事を斜めに観ること」の、80年代以降の「歴史的経緯」については自分なりに説明して何度かテキストも書いてきたが、今回はオカルト、疑似科学、超常現象へのスタンスに絞って書いてみたい。

予想外に長くなってしまったので、「その2」に続く。

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【イベント】・「新田五郎のぶっとびマンガ大作戦・出張版 第6回『年忘れ在庫一掃まつり!!』」

「新田五郎のぶっとびマンガ大作戦・出張版 第6回『年忘れ在庫一掃まつり!!』」

2010年ももう終わり! 今年もいろいろなことがありました。でも夏が暑すぎて印象に残ってない! アハ! という方々にお送りするぶっとんだマンガノンジャンル紹介編!! 今まで時間がなくて出せなかった作品も紹介! ただしハードルが上がりすぎないように、「一般的評価の対象外となったマンガとは?」を問い直す初心に返ったイベントにする予定! いちげんさん大歓迎! ゲストは謎の男・V林田さん!!

出演:新田五郎
ゲスト:V林田(「咲-Saki-」ファン)
日時:平成22年12月11日(土)
Open13:50/Start14:10
#昼イベントです

場所:ムーブ町屋 ハイビジョンルーム

荒川区荒川7-50-9センターまちや
地下鉄千代田線・町屋駅0番出口より徒歩1分
京成線・町屋駅より 徒歩1分
都電町屋駅より 徒歩1分
料金:¥2,000(当日券のみ)

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