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【雑記】・「もう人の悪口はいいや、と思う日」

石立鉄男のウィキペディアの項を読んでいたら、

自分がコミカルな俳優として世間に認知されていることを認める一方、他人をけなしたり差別したりすることで笑いを取ることを一貫して否定してきたことを明かしている。

というところが目を引いた。2005年のインタビューだという。石立氏が「他人をけなしたり差別したりすることで笑いを取る」と思っていた人物はだれだろう。おそらくビートたけしかとんねるずかダウンタウンではないか。
彼らではなくとも、彼らが「そういう雰囲気」をテレビで形成してきたことは明白だ(私は彼らを常々尊敬していますが)。

似たようなコメントをしていた人を思い出した。80年代、さだまさしだ。MCが面白いと定評のあったさだまさしが、80年代の前半、「人をけなしたり差別したりして笑いを取るなんてよくない」というようなことを言っていた記憶がある。
さだまさしが、自身のハゲネタなどを好んで使っていたこと(要するに自虐ネタですね)を思い出しても、主張と合致する。

・その1
さて、そんなたけしチルドレンの私も、さすがに最近「他人の悪口」には食傷気味だ。
面白く感じないのだ。

若手評論家とかで積極的に他人にかみついたりする人がいて、以前は「そういうふうにしていって、アピールしてのし上がっていくのだろうな」と思っていたのだが、なんかそういうのもイヤになってきた。
まあ、(悪口を言う)人にもよりますけどね。

直観で書くけど、今はそういう時代じゃないと思うんだよね。
ネット普及以前、TVブロスに「実はヤなやつ」という投稿コーナーがあり、テレビタレントにたまたま路上などで遭遇した人が、「こんなに態度が悪かった」「こんなにいばっていた」などと投稿するというコーナーだった。
ネット普及以前は、投稿者の文才もあり非常に面白かったのだが、もはやこんなこと、巨大掲示板でだれでもやっていることになってしまった。

梨元勝が亡くなったとき、初めて「最近のテレビは芸能ゴシップを取り上げないなあ」と気づいた人も少なくないのではないか。
テレビの自粛のせいもあるらしいのだが、我々が取り立てて不満を感じないとすれば、もちろんそれは民度が上がったのではなく、我々自身の手で、ネット上で思うさまゴシップをいじくりまわせるようになったことがその原因だろう。

・その2
そもそも悪口って何なのか。「あいつだけは許せない」って、会ったこともない人間に対して思うことって何なのか。もちろん、自分自身を投影しているからそうなるのである。

自分もついどきどきやってしまうんだけど、密室的なイベントのとき、「○○なんかとは大違いで」などとかわいらしい悪口を言って笑いと取ろうとしてしまうことがある。その場にいるお客さんの大半は嫌いな人物をわざわざ選んで言うわけだが、なんかそういうのはイヤになってしまった。

「○○には理解できないだろうけど」とか「○○なんてどうしようもない」とか言ったとして、それは当人のなにがしかの投影である。これからはもっと「なぜ○○は誹謗されねばならないのか」を掘り下げる方が有意義なんじゃないのか、と思う。

何度か書いているが、「オタク論」は「電車男ブーム」によってひとまずその役割を終えたのである。
たとえば大勢のオタクを前にして「村上隆がフィギュア文化をかっぱらって大儲けしやがって」と言ったら、笑いは起こるかもしれない。しかし、そこに「村上隆」という人がさまざまな業界に巻き起こした事象は、すべて悪い意味で等価値となって捨象されてしまう。
すると、何か重要な「考える」契機を失ってしまうような気がするのだ。

「おまえはいつもいろんな物事にツッコミを入れているではないか」と思われる人もいるかもしれないが、ツッコミを入れることとただの悪口とは、多少ニュアンスが異なる気がする。

っていうか、何を今頃言い出すんだおまえは、と思われるかもしれませんが「考える時代」に来ているんじゃないかという気が、陳腐きわまりないとは思うがすごくするのである。

少なくとも、今日はそんな気分だ。

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