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【アニメ映画】・「カラフル」

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監督:原恵一

死んだ「ぼく」は天上界と地上界の狭間にいた。「ぼく」はプラプラという霊的存在に、「あなたは大きな過ちを犯して死んだが、もう一度チャンスを与えられた。そこで自分の罪を思い出せば、再び輪廻のサイクルの中に入ることができる」と言われる。
「ぼく」は、自殺した中学三年生、「小林真」の身体の中に入り、「小林真」として生活することになる……。


「いったん死んで、現世でもう一度チャンスを与えられる」……ハリウッド的な脚本がなんとなく思い浮かんでしまうが、本作はそうした予想をことごとく裏切って進展していく。
ハリウッド的な着地点がないから、映画全体が異様な緊迫感に包まれている。もともと、「小林真」を取り巻く世界は幸福なものではなかったことプラス、その世界の中を「記憶を失ったぼく」が生きて生活していくという二重の緊張感だ。正直、観ていて疲れた。

だが、新しさも感じた。本作は、「仮面をかぶった家族や友人の『本性』を次々と暴いていく」というようなお話ではない。

主要登場人物に、悪意から行動する者はいない。しかし、ここからが本作のオリジナリティだが、かといって彼らの善意が必ずしも受け入れられるとはかぎらない。「実は悪い人」もいなければ、「実はいい人」も存在しない世界。これは非常にリアルな描き方である。
必ず、対人関係にはどんなに努力してもズレが生じる。それは、人間そのものが多面的であるからだ。そのズレがもとで、人が死んでしまうこともある。
しかし、本作においてはズレは必然というか、起こりうる事故である。

人と人とのズレが起こるのは前提であるからこそ、本作において「死ぬこと」は罪である。また逆のズレが、人に生きる意味を取り戻させることもあるから、ズレは両義的なものである。というふうに私は受け取った。

人と人とのズレを扱っているがゆえに、クライマックスへ至る疾走感のようなものはないが、それゆえに「前を向いて生きる」ということの意味が強く訴えかけられる。なお随所に登場するメシのシーンがどれもすごい。細かいし、どれも演出的な意味を持っている。

個人的には桑原ひろか役のアッキーナの演技がやばかった。本当に普段からああいうことを考えてそうだな、と思ってしまった。

桑原ひろかも佐野唱子も、非常に興味深いキャラクターだった。

早乙女君も、ああいうふうにしか描けないと思った。本当にああいうやつって、いそうな気がした。

ただし、映画全体のわかりやすいアピール点が見つけづらい。それが気になる。

もうひとつ、まあ本作は思春期の物語なので当然ではあるけど、全体を通してきわめて神経症的な人間関係ノイローゼの話とも思える。
最近の私は、少年少女のいじめや孤立の物語を観るたびに、「もしかしてこれは『少年少女時代にありがちなこと』なのではなく、年齢別にクラスを分けることや、世界が家族と学校しかない、と思ってしまうような少年少女の日常のシステムそのものの問題ではないか?」と疑い始めている。

さらに、もうひとつ思うのは、大人でも最近は人間関係の調整が最大の関心事である、ということだ。本作がヒットするとすれば大人が共感しているということであり、それはそのまま、「大人の人間関係」の神経症的状態を表している、と言わざるを得ない。

なぜ「小林真」が「当たり前」の日常を愛でることができなかったのか、そこには何かとても面倒なことが隠されているような気はするのだ。

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