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【ドラマ】・「『ゲゲゲの女房』終了、その他」

NHKの朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」が半年間の放送を終え、最終回を迎えた。
原作は水木しげるの妻、武良布枝の自伝。
ほんとすいません! 原作読んでないまま、感想を書きます。

・その1
最初にこの企画を聞いたとき、正直「はあ!?」と思ってしまった。朝の連続ドラマが、すでに「おしん」時代のイメージとは多少違うことをやっていることも小耳にはさんではいたけれど、紅白歌合戦と同じように、70~80年代にそれが担っていた役割はすでに終わったものとも思っていたからだ。

ある時期まで、たいてい連ドラのヒロインはいわゆる「職業婦人」だった。これは80年代半ばくらいまで、たぶん現在より多かった専業主婦の人たちの憧れを反映していたのではないかと思う。

漏れ聞くニュースでも、新しい連ドラが始まるたびに「意外に低視聴率」だとか何だとか、たまたまかもしれないがマイナスの評価しか聞かなかったので、「ゲゲゲの女房」も、いったいどうなるものやら、という気持ちの方が強かった。

・その2
しかし、実際始まってみると、非常によくできているドラマだとわかってきた。
水木しげるという人を知らなくても「ゲゲゲの鬼太郎」くらいはだれでも知っているわけで、そういう人たちが楽しめるように、というドラマづくりがなされていた。

単に「面白かった」と書いてもしょうがないので、「マンガ家の半生をドラマ化」という観点から観てみることにする。

私の記憶では、間違っていたら申し訳ないが、「実在のマンガ家が主役のドラマ」というと「まんが道」と奥田瑛二が手塚治虫を演じた「手塚治虫物語」しか知らない。
映画では「トキワ荘の青春」があり、要するにこれらはすべて「手塚~トキワ荘伝説」の映像化なのである。

「戦後マンガをけん引してきたのはだれなのか、何なのか」の認識は、以前は「手塚~トキワ荘」ライン一辺倒だった。もちろんマンガマニアや評論家は、「手塚~トキワ荘」一本道ではないことは承知していただろうが、一般人の認識としてはほとんどがそこで史観が固まっていたと思う。
作家個々の認知度と歴史観は、またまったく別問題なのだ。

なぜ「手塚~トキワ荘」ラインなのかと言えば、手塚が「マンガの神様」であるとか、著名なマンガ家が群雄割拠するのでドラマになりやすいとか、理由はその辺ではあっただろうが、結果的にそれは「マンガ家たちの青春時代と戦後マンガの黎明期を重ね合わせる」という結果となった。

手塚はディズニーの(要するにアメリカの)影響を濃厚に受けた作家として認識され(当然、彼も戦前の日本のマンガを読んで影響を受けているがあくまでイメージとして)、そのチルドレンたちもまた、「何もない」ところに手塚マンガの洗礼を受けて参集した、というふうに描かれる場合が多い。

要するに未来へ向かってのドラマである。

対するに、「ゲゲゲの女房」では水木しげるは彼らよりも年代はだいぶ上(手塚よりも6歳年上)、売れない時代も非常に長い。
ドラマの最初の方では登場する人物は売れない貸本マンガ家、紙芝居、貸本屋、零細出版社、質屋、近所の商店街の奥さん方、何をやっているのかわからない男(浦木)など、「普通の人」とあまり裕福ではない人たちで、とくに物語前半の重要人物である貸本屋「こみち書房」の夫婦に至っては、妻は戦時中に息子を亡くし、夫はシベリア抑留経験から立ち直れずブラブラしている設定となっている。

むろん、しげるも戦争で九死に一生を得て、片腕を失っている。

要するに、過去を現在でも引き受けざるを得ない人々の物語になっていた。

・その3
主人公の布美枝が、努力と反省と成長を繰り返すのはまあヒロインとして当然としても、周囲の人々も努力と反省と成長をしてゆく(それは自分の望みをあきらめることも含めて)。

この繰り返しがカタルシスとなっていて、観る者を飽きさせないようにしていた。
そして大枠では、戦後の高度成長期には乗れた者と乗れなかった者がおり、それでもそのどちらも生きていっていることを表している。

もっとも象徴的なのは前述の「こみち書房」の夫婦だろう。夫はシベリア抑留の心の傷から立ち直り、電気工として(おそらく)高度成長期の波に乗る。
一方で、妻の美智子の貸本屋は(おそらく)衰退の一途をたどる。

他にも会社を倒産させてしまった富田書房社長、少女マンガ家になれず故郷に帰る河合はるこ、小さな出版社を細々と継続させる戌井、嵐星社の深沢と意見が合わずライターとして自立する加納郁子、ダメアシスタントから水木プロの屋台骨を背負うまでになる菅井など、さまざまな人々の挫折や決意や成長を繰り返し描いている。

要するにドラマ「ゲゲゲの女房」で描かれる「戦後」は、単純に「焼け野原から所得倍増へ」という一本道ではないということである。
こうした物語が受け入れられた背景には、現在の恒常的な不況と先行きの不透明感があることは間違いないだろう。

・その4
戦後マンガ史観の話に戻る。つまり、本作は「手塚治虫サイドからではないところから観た戦後マンガ史」を描いていたということになる。
もちろん、水木しげるを主役にしたドラマ上、ライバル作家がまったく登場しないことになっているので正確ではないが、それでも貸本~ゼタ(ガロ)~少年ランド(少年マガジン)という流れが地上波で流れたという意味は少なくない。ゼタ(ガロ)の買収騒動も描かれ、戦後マンガが必ずしも単線で伸びてきたのではないことを認識させられる。

印象的だったのは、戌井(いわゆる「めがねをかけた出っ歯のサラリーマン」のモデルとなった桜井昌一がモデル)と、浦木(ねずみ男がモデル)が、「鬼太郎」が少年ランドに連載されるにあたって、議論するシーン。

「不気味な鬼太郎はメジャー誌では受けない」と断言する浦木に対し、戌井は「鬼太郎は何度でもよみがえる、そんな印象がある(大意)」というように言い返す。
浦木はいつも人の希望をペシャンコにするような言動ばかりして、自分自身はひょうひょうと生きていくタイプである。対するに戌井は、不器用で、しかし誠実な人間である。

深読みかもしれないが、あそこはねずみ男と「人間」である「めがねをかけた出っ歯のサラリーマン」が議論しているように見えてしまった。「めがねをかけた出っ歯のサラリーマン」はたいてい、水木作品ではヒドイ目に合うが、こと「鬼太郎」に関しては戌井の予想が的中するのである。

「アトム」が未来の象徴とするなら、「鬼太郎」は、戦後日本が置いていったものの象徴であった。それをドラマそのものが、きちんと理解していたと思う。

「非・手塚史観」で描かれている本作は、すぐには影響がないかもしれないが、一般人の「戦後日本マンガ史」の認識にはじょじょに大きな影響を与えるかもしれない、と私は考えているのであった。

・その5
さて、ほめてばかりではなく少しだけ疑問に思ったことを少々。
なぜか全体的に、非常にファザコン色の強いドラマだったのである。

原作と比較していないのでその点は何とも言えないし、ドラマ内での水木夫妻の両家の親を観ても、本当に当時のしっかりした親御さんというのはあんなものだった。
にしても、布美枝の父親の葬儀のシーンで、女きょうだいたちが「けっきょくみんな父親に結婚相手を決められた。父の眼は間違っていなかった」って言うのは、そりゃないだろと思わざるを得なかった。
父にさからった貴司が生きていたら、言えたセリフではなかっただろうに……。

「自立する女性」としては深沢のもとから自立する加納郁子がいるが、どうも他の女性たちとのバランス感覚で投入されたっぽい印象がある。
布美枝が何度か加納も含む「働く女性」に惹かれ、最終的には家庭を守ることが自分の役割、と思いなおすシーンがあるが、そういう布美枝に視聴者が共感する時代なのか、と考え込まざるを得なかった。
(いちおう断わっておきますが、私は専業主婦が悪いと言っているのではなく、ただ夫と妻との関係性としては古風とも言えるこのドラマが多くの人々に支持された、ということにいろいろ考えさせられる、ということである。)

昔の主婦なら当然あるであろう姑(しかも非常に気むずかしい、という設定)との関係性も、あくまでユーモラスに描いていてそこはちょっとウソくさいかなあ、とも思ってしまった。

・その6
最後に個人的な感想を書いておこう。
私がこのドラマをいちばん熱心に観たのは、河合はるこの登場から退場までである。なぜなら、マンガ家になることを挫折してしまった当時の女性が、どうやって自分に折り合いを付けるのかがものすごく気になったからだ。

マンガの技術が、ツブシが効かないものであるのはマンガ家ならぬ私にも想像がつく。今のように同人誌をつくって売る環境もない。はるこはいったいどうするのだろう……? と思っていた。
固唾をのんで見守っていたが、いちおう納得のいくセンではるこは故郷に帰っていった。その後、「教師になった」という設定も、その中に「マンガ家魂を込めている」というのも無理のない話だろう。

仕事がなくなって無気力になっている80年代前半のしげる復活のきっかけをつくるのが、マンガ家になれなかったはるこ(と、出版業で成功したとは言えない戌井)であるというのは個人的に感涙な展開であった。

また、やはり設定上どう転がしていくのか少々不思議な存在だった工員の太一が、「工場長になってからも詩を書いている」、「読者代表としてのキャラクター」として最終的に落ち着いたのにも納得がいった。
なお、菅井が「独立せずにアシスタントを継続する」ということを、「一つの選択」として描いたのはマンガ家アシスタントを描くうえで、ものすごく画期的なことだったのではないか?

「マンガ家アシスタント」という職業は、マンガブーム、「マンガは売れる」という神話が続いていたバブル崩壊前まで、どんな分野でもまったくと言っていいほど描かれたことがなかったからだ。

90年代半ばのオタクムーヴメント隆盛の時期にも、アニメや特撮映画の裏方的存在にスポットが当たることはあっても、「消えたマンガ家」がクローズアップされることはあっても、「マンガ家アシスタント」が注目されることはまったくなかった。

そういう意味でも、本作は映画「三丁目の夕日」あたりの懐古ブームがなければ通らなかった企画であろうにも関わらず、戦後を「必ずしも勝ち組とは言えない人々」から語り直したという点で、一つのメルクマールになることは間違いないだろう。

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