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この時期、だったらおれだって言いたいこと言うよ、でも本当はなごやかで楽しい気分でいたいんだ

この時期のネットで(私が巡回する中で、って最近「巡回」て言わないのか)よくあること。

・コミケでの釣果報告や面白かったエピソード、苦労話など

・そして、それに対する非・オタクからのやっかみやdis

……後者が死ぬほど退屈。

その1
まずコミケの人数とフジロックを比較し、無邪気に「コミケの方が人数が多い」っつってオタク側が喜ぶのもどうかと思うが、80年代ならいざ知らず(さすがの私もフジロックが80年代にはなかったことくらい知ってるよ、念のため)、最近では両者の参加者だって重なっている。
さらに、「参加する」と言っても個々の動機は同じベースとしては考えにくい(と、私は思う)ので、単純に比較することはむずかしいだろう。
一方で、「だからっつっていい気になんじゃねェよオタクが」というコメントも散見されるのだが、それもまた、単純比較はできない以上、文句そのものも無意味だと私は考えている。

オタクに対して「いい気になりやがって」みたいなことを吐きたがるのはどういう心理かと言えば、「オタクと同じに観られたくない、でも似たようなものが好き」という近親憎悪であり、驚くべきことに、その心性はいちばん最初にオオヤケに「おたく」という言葉を使用して広めたときの中森明夫のニュアンスと、きわめて近しい。

つまり、すでにあれから25年もの歳月が経過しているのに、「オタクを気に食わないと思っているやつら」の心性にも、驚くほど変化がないということである(ちなみに、私は中森明夫のやってきた仕事はいろいろと評価している。「オシャレ泥棒」のテーマなんて、現在の「萌え」につき合わせてみると実に面白い)。

その2
また、「こんな嫌いなものが流行ってた」、「こんな嫌いなジャンルが受けていた」という書き込みも散見する。

オタクは総じて「語りたがりである」ということにはまあ異論はないだろう。
だが「これこれは嫌い」、「あれあれは嫌い」と叫ぶだけでは、「にんじんが嫌い」、「ピーマンが嫌い」と言っている幼児と変わらない。
これはオタクに限らないことだが、「何が嫌いか」は、言葉で説明しないと他人に伝わらない。「好き」は「好きだから好き」というだけで済むときもあるかもしれない。だが、他人が好きなものを「嫌い」と表明する以上、それに言葉で理屈を付けなければ、コミュニケーションにはならないのである。

「感覚的なオタク」というのもいるだろうから、そういう人が説明ベタでも別にかまわないが、自分を「語りたがり」だと自認している人は、「何が嫌いか」ということをきちんと説明できるようになった方がいいだろう。偉そうですいませんが、そう思います。

その3
90年代初頭だったらぜったいコミケに出ないような、サブカル系の人が出店しているので驚いた。どんな人でも参加できるのがコミケという場だし、オタク/サブカルの内ゲバをあおったりするのは単にそういう人がさびしがり屋なだけなので、文句は言わない。
が、私の心にものすごいもやもやが起こったのは事実である。「あっ、おれが時代の要請で捨てたものを持ったままここにいる人がいる!」と、一瞬だけだが思ってしまった。

その4
オタクというのは、本来退屈なものである。オタクは暴動は起こさないし、票田にもならない(それが「非実在青少年」では問題になりつつある)。たぶん殴り合いのケンカも(あまり)しない。
あくまで私見だが、究極の「現状維持主義者」がオタクというライフスタイルであって、それにいらだつ人がいるのもわかるが「あいつら萌えーっとか言って気持ち悪いでやんのよぉ」とか(本当に「萌え~」ってやつはいないけど)言うのはそれこそ「お里が知れる」というものだ。

「その1」で、「オタクをdisる心性が25年も変わっていない」と書いたが、それは、「おれはオタクなんかにカテゴライズされない存在でいたいんだ」と思っているタイプの人たちにとって、非情な屈辱であると心得た方がいい。これまた偉そうですいません。

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