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【雑記】・「ブルー・マンデーあれこれ」

・選挙
投票には行った。結果とかはぜんぜん観てないが、twitter観てると自分だけが政治をわかってなくて、他の人たちはみんなわかっているように思えて自己嫌悪におそわれる。
twitterの性質上、
「○○が当選。だれがあんなやつ入れたんだ」
「○○の議席が増えるなんて、世の中どうなってるんだ」
「○○が××なんて、日本はもう終わりだ」
といった、正直言って政治には疎い私には背景のまったくわからないつぶやき(もちろん中にはわかるものもあるが)が大量にTL上に流れることになり、困った困った、というところだ。


「つぶやき」というのはときには「捨てゼリフ」的な性質を持たざるを得ない。捨てゼリフとは大幅に細部が省略された反論のことだとも言え、そうした「状況への反論」は、当然だがその背景を知らぬものには見えないのだ。

自分はそういうことそのものに、暗澹たる気持ちになる。

また、そういう場合、たいてい「投票行動」の本質的な矛盾が看過されているのが、根本的に、気になるところだ。

我々は(と決め打ちしていいのかな)、「公民」の授業ではまったくの理想論である民主主義しか学んでいない。
ところが、投票行動にはさまざまなケースが考えられる。
私はそういう、「投票による特殊事情と、そのために起こる当選・落選」についての知識がない。
が、たとえば経済学だって、「ギッフェン財」のような「ふつうに考えた場合、意外な状況」が起きうる場合があるのだから、人間の集団行動である「選挙」で、似たようなことが起こらないはずがない、というのが私の予断である。

もっと素朴な疑問において、選べる政党の選択肢が二大政党制において二つしかない場合、自分の支持政党が自分にとって正反対の公約……大賛成の部分と大反対の部分を持っている場合、果たして投票していいのかということもある。
でもそういうのって、だれも教えてくれないんだよね。

スポーツだって、ルールを決めた段階では思いもよらぬ抜け道プレーのようなものが発見されることがあり、それがゲームの趨勢をほとんど決定しまうということもありうるだろう。
そうなった場合、その競技はそういう「定石」を当然のこととして勧めるか、あるいはルールを改正するしかない。
ほとんどの人が気になっているのはそうした「システムが転がり出したときに起こる矛盾」なんではないのかな?

まあ、よく知りませんけどね。

・「死について」
突然おとずれる死も恐ろしいが、「緩慢な死」ほど辛いこともない。
「緩慢な死」において、生きながら人は常に死の影を観る。
辛い。

私はギャンブル趣味はないが、ギャンブルが一瞬だけ「生」の実感を与えてくれるという気持ちはよくわかる。
恋愛もそうか。

人間はプラスの可能性を秘めつつ、宙づりにされた存在になったとき、いちばんエキサイトして生の実感を得られるのだと思う。
そして、そういう状況は人生において、トシを取るごとに維持するのが困難になってくるのだ。

かなり前、たまたま目にしたアニメックか何かで、「キン肉マンのアニメの良さは『生の肯定』を描いている点にある」と書いてあった。
エンターテインメントの世界では、「死をまぬがれることによって生の実感を得る」ということを最終的なテーマとする作品は数多いが、「生の肯定」そのものを全面に打ち出すのは非常に困難なことなのだ。

それは、当然だが人間は死に向かって突き進んでゆく生物だからである。
もともと、日、一日と死に向かっている人間が、いかにしてその逆ベクトルである「生」に向かっていくか、というのは本当にむずかしい問題だ。

・ここまで書いて、もう飽きた
ここまで書いて、虚しさとともに


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