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【雑記】・「『観客への悪意』とか、いらないから」

自分は映画がたぶん本質的には好きじゃないのかも、と思うのは、ネット上の映画マニアの人の、ある種の文章を読んだときだ。
マニアというのはどの世界でも「ぜんぶ観てる、ぜんぶ読んでる」人が頂点に立つし、「ぜんぶ観なければならない、ぜんぶ読まなければならない」という姿勢が重要となる、場合が多い。
だから、たぶんその人の嗜好とぜんぜん合わないであろう映画を観て感想が書かれているのを読むとき、「自分は映画マニアじゃないなあ」と思う。

さて、たまに「観客(読者)への悪意がものすごいし、なおかつ評価が高い」という小説や映画やマンガに出くわすことがある。
が、自分にとってはそういうものも、そういうものの評もいろんな意味でかなり不愉快な存在である。

まず第一に、「観客への悪意」を解き放った映画というのは、いったいどういう観客を想定しているのか、観客に好かれたいのか嫌われたいのか、というパラドックスがある。
観客が自分への悪意を悪意と感じたら、普通はイヤな気持ちがする。イヤな気持ちがしたら、高評価は与えられないし、次回作も観ないだろう。
逆に、「ある種の人には悪意と感じられ、そうでない人には悪意と感じられない」映画で、しかも「よくできた」作品であるとすれば、「悪意」を評価するのは評論家的視点の人間でああろう。そして「悪意」を評価しないのはそうではない人間である、というふうに明確に分かれてしまうことが多いはずだ。
「評論家的観客」と「ひまつぶしに観に来た観客」を、あまりに明確に分けてしまう映画というのは、自分は「いい映画」だとは思えない。

そして、三番目に思うのは、そのような映画でも最終的には否定することはできない、という事実である。

予定調和が作品を堕落させてしまうのは、どのようなジャンルでも同じだろう。ということは、「観客への悪意を解き放った作品」もまた、存在が許されねばならない。「いろんな意味で不愉快」と書いたのは、そういう意味である。私はしぶしぶ、そういう映画を認めるのだ。

しかしだ、さらに思うのは、「予定調和をこばむエンターテインメント、予定調和をこばんだゆえに受け手を不快にさせてしまうエンターテインメント」が、評論の分野ではあまりに軽々しく称揚されてないか、ということである。

映画の場合、どんな傑作でもどんな駄作でも、平等に最初から最後まで上映されるという最低限のルールがあるから、「観客を不快にさせる映画」も称揚されやすい。
だが、その理屈を他ジャンルに当てはめると、少々状況は変わってくる。

たとえば演者が観客の前で生で演じる演劇やパフォーマンスなどの場合、試みとしてさまざまな「予定調和を破壊する行為」が試みられてきている。
しかし、私個人が少々、そういう「演者と観客が同じ時空内にいるパフォーマンス」をいくつか観たかぎり、「予定調和を徹底的に破壊しつくす」ということは、最終的にはその「場」そのものを破壊することにつながってしまうように感じる。そして、そういうものは「そういうもの」として観客は厳密に規定しようとしてしまうのだ。

演者と観客がいる状況の中で、その「場」を演者の方から破壊することは、破壊だけならば簡単である。もっとも穏当な方法としては「舞台に上がらない」という方法がとれるし、悪意をぶつけたいなら観客に直接罵声をぶつければいい。
私はよくは知らないが、実際にそのようなことを意図したパフォーマンスがあることも、容易に想像できる。

だけどそういうのでいいのかなあ……と、素朴に思う。
あまりに予定調和で観客がまったく刺激されない作品は「そういう作品」として忘れ去られるが、また同じように、受け手と送り手との関係性そのものをぶち壊してしまうような行為も、また観客には「そういうもの」として受け止められるにすぎないのではないだろうか?

映画において「観客への悪意」で観客が予定調和的ではない不快感を味わい、なおかつ映画が作品として成立している場合はどんな場合かというと、「送り手と受け手の関係性が決定的にズレている」場合であるはずだ。
たとえば難病ものだと思ったら残虐映画であったとか、恋愛ものかと思ったら男女の恋愛そのものをミスリードとしたミステリ映画であったとか。

それは単なる「事故」であって、まあ事故を事故ゆえに価値があると考えるむきもあるのだろうが、私はどうもそういうのは……反則技を仕掛けているような気がして、好きになれない(好きになれないが、容認せざるを得ない)。

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