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【映画】・「私の優しくない先輩」

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監督:山本寛
脚本:大野敏哉

女子高生の西表耶麻子(川島海荷)は、心臓が弱いためにとある島に引っ越してきた。
島の人々との一歩引いた距離感に嬉しさを覚える耶麻子は、先輩の南愛治が大好き。そして、同じく先輩の不破風和(はんにゃ・金田)が大嫌いだった。不破は、暑苦しくて汗臭くて、耶麻子の考える距離感を平然と越えてくる熱血野郎だからだ。

ある日、出すつもりもなく書いてしまった愛治へのラブレターを不破に見られてしまった耶麻子は、不破の計画した「愛治とつきあうようになれる作戦」に乗っかることになるのだが……。

私にとって、本作は大変面白かった。

・その1
最初に個人的マイナス面を書いておくと、なんだか画面がヘンというか、撮り方が独特でそれが始終気になった。光の当たり方とか。
だが、それ以外のところではほとんど何の不満もない。
むしろ、この映画をつくろうとした人たちの動機に何も間違ったところはないと思う。

本作は、簡単に言えば「自分の周囲2メートルくらいのことしかわからなかった少女が、大人の階段をのぼる話」である。
だが、興味深いのは「自分の周囲2メートルの世界」が、まずすばらしいもの、輝かしいものとして描かれていることだ。確かに、十代の頃の「視野の狭さ」とはそういうものだ。狭いのに美しい。
そして、一方で十代の視野の狭さは大人よりもときに残酷になる。それをも描いている。

それをふまえた上で、中盤以降の、それまでと基本的にはさほど変わっていない周囲が、耶麻子の視野の広がりによって変質していくさまが描かれる。
それにもまた、美しさと残酷さとの両義性がある。
そして、本作は基本的にはファンタジーなので、「広がった視野」の果てにあるものはやっぱり残酷なものよりもすばらしいものの方が多いのだ。

・その2
プロットとしては、「閉じこもりがちなヒロインの心を強引に開いてしまう、恋愛対象になりうる男の子」という往年の少女マンガのパターンを踏襲しているにすぎない。だが、そのテの作品にありがちなご都合主義を排し、きっちり描いている。
たとえば、本作における先輩・不破は本当にウザいし、女子に嫌われそうな部分も持っているがどこかに愛嬌を残している。これは現在のはんにゃ・金田によるキャスティングの意味が非常に大きい。
不破の役は、体育会系なイケメンでも、もちろん線の細いイケメンでもつとまらないし、かといって男子ウケしそうなキャラでも「女の子がイヤイヤながらもペースに巻き込まれる」という部分にリアリティがなくなってしまう。

あるいは、「心臓が弱いのにそんなに体育会系的なことをやって大丈夫か」という疑問も、少なくとも1回通して観るだけでは気にならないようにできている。そこはとても重要な点である。

また、不破がどの段階で耶麻子のことを好きになったのかも、絶妙な演出で描かれる。ここも、しくじったら不破が無償で好きな子の恋愛の手助けをしてやるただのアホか、逆に下心で接してくる真にキモい存在になってしまう。そういう意味でもとてもうまかった。

耶麻子が惚れこんでいた愛治も、極端に悪いやつに描かれているわけでもないのがいい。あくまでも耶麻子の愛治に対する視点が変化することが重要だからだ。

・その3
自分は映画を観るとき、かなりテーマ主義なところがある。その時代時代にうったえるべきことがあるだろ、と実は思いながら映画を観ているのだ。
そして、どうせ映画で啓蒙されるなら希望を持っていたいのは当然のことである。

今の世の中は、おそらく高校生くらいの年代の子にしてみれば、すべてが簡単に見通せる、芝居の書き割りのような世界に違いない、と思う。世界が「均質化しているかのようなそぶりを見せ始めた」のは、もう20年来からのことだからだ。
しかし、そうではない。世の中はもっと複雑で、重層的で、でも、それでも希望を持っていかないとやっていられない。本作はそこをきっちり描いているというだけで、私の評価は高い。

とにかく、時代の寵児とされている監督が、きっちりこういうテーマを見据えてきたことに自分は深い満足感を覚えた。上からな書き方でアレですが、そういうことだ。

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