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【映画】・「トイ・ストーリー3」

製作総指揮:ジョン・ラセター
監督:リー・アンクリッチ
脚本:マイケル・アーント

アンディは17歳になり、もうすぐ大学へと進学するために家を出る。アンディのお気に入りだったおもちゃたちは屋根裏に入ることになり、カウボーイ人形・ウッディだけがアンディとともに大学へ行くことになった。
ところが、ちょっとした手違いから屋根裏行きになるはずだったおもちゃたちはアンディに見捨てられたと思い込み、みずから保育園「サニーサイド」へ寄付されることになる。

子供たちが永遠にそこに存在し、おもちゃと遊んでくれる、そこは一見おもちゃにとっての天国のように思えた。しかし、そこはロッツォ・ハグベアというぬいぐるみの支配する、おそるべき「格差社会」だった……!!


・その1
私は、映画にとっていいお客ではないと思う。元気が出る映画しか、ほとんど評価しないからだ。だがそういう見方しかできないし、また「元気の出る映画」というのは意外に少ないもなのだ。

私にとっての「元気の出る映画」とは何か。それは、1回かぎりの、時間軸でも空間軸でも、他人には再現不可能な「自分の人生」が「すばらしい、あるいはそうなる可能性がある」と確信させてくれる映画のことである。
だれもが他人のように生きたい。だれもが、交換不可能な存在でありたい。だれもが、自分自身の生を生きたい。

だが一方で、情報化社会は「他人との差」と「他人と同じ部分」を、マッチポンプ的に報道し続ける。ほらあなたは他人とこんなに悪い意味で違いますよ、このままでいいんですか/ほらあなたは他人とこんなに同じ部分がありますよ。つまらない人間ですね。
そして「情報」は人に失望を与え、絶望して自殺しない程度に叩きのめし、サッと「自分を変えられる」商品を渡してくる。それの、永遠の繰り返しである。
現代人は、適度の落胆と同時に適度の安心を手に入れる存在でもある。そんなのはハッキリ言ってマゾだ。一般的に「Mの方がSよりも高尚」などと言われるのは、もしかしたら何かが……「バビロン」的な何かが仕組んだことなんじゃないのかッ!?

・その2
……というふうに真顔で言ったら友人の何人かはなくしそうなので話を戻す。
おもちゃとは大量生産を前提につくられた存在である。その宿命からは逃れられない。あるいはおもちゃ個人が望む望まないに関係ない「属性」を勝手に付与されている。
宇宙飛行士のアクション人形「バズ」が、一作目でいちばん最初に自分自身を本当に宇宙飛行士だと思い込んでいたという設定には、深いものがある。

「おもちゃは複製品である」というテーマは本作でも踏襲されている。サニーサイドの悪いおもちゃたちの一員であるケンは、バービー人形のボーイフレンド役の人形で、アンディの妹が捨てたバービーと一瞬で恋に落ちる。
バービーのボーイフレンド用に作成されたケンが、バービーと相思相愛になるのは、まったく当たり前のことなのだが本人たちはそう思わない。「運命」だと思うのだ。
だが、「おもちゃは複製である」ということを骨身にしみてわかっているくま人形のロッツォはそこまで楽観的になることはできない。人間からおもちゃへの愛は絶対的なものではないことを知ってしまった彼は、おそらくそのニヒリズムから「おもちゃがおもちゃを支配する世界」をつくり上げてしまうのだ。

一方、ウッディはアンディの元へ帰ることにこだわり続ける。ウッディの「人生観」は、たとえアンディに見捨てられようとも、おもちゃとして持ち主の彼と運命をともにすることであった。
他のおもちゃたちはそれほどの寵愛を得られていないということと、さらなる誤解から保育園へ行くことを選ぶ。それはアンディ以外でもいいから人間たちに「必要とされたいから」なのだ。

こうして観ると、おもちゃたちの悩みはまさに人間の悩みそのものなのだ。
人に必要とされたい、だれよりも大切にされたい、交換可能な存在ではいたくない、大量生産品であっても自分は自分である、「属性」をインプットされていてもそれをベースに生きていくほかはない……。
このあたりのことは、本当に感心する。

・その3
人間・アンディ側の、「大人になっていく少年がおもちゃと決別する」という比較的苦い体験が、さりげなく描いてあることにも好感が持てた。

また、「おもちゃで遊ぶ」ことが、実にクリエイティヴなことである、と製作者サイドで訴えているフシもある。製作者がみんな、おもちゃを使った妄想劇から、物語をつくることを始めたのだろう。
かくして、アンディの「おもちゃ」とそれに伴う「物語」は、近所の小さな女の子に受け継がれていく。その「物語」は、たとえばその子が大きくなって作家や映画関係者になったときに開花するのかもしれないし、あるいは彼女も大人になるとともに空想にふけるのをやめ、別の子供に受け継がれるのかもしれない。

そういう「子供じみた空想の永遠性」みたいなものまで、最終的には描こうとしていたんじゃないかと思えてきて、本当に観ていて唸ってしまった。

なお、一作目を私はリアルタイムでは観ていないのでここで簡単に感想を書いておく。

カウボーイ人形・ウッディがアクション人形の宇宙飛行士・バズに人気を奪われる。
かつての西部劇人気から、宇宙時代の到来という時代の変化の象徴。
しかし、そのバズも、自分自身を「宇宙飛行士」だと思い込んでいただけだった。
だが、それでも、たとえそうであっても、彼らにとっての「夢」は存在する。
そんな映画だった。
やはり「自分自身だけが体験できる、人生の一回性をいつくしみ、味わう」という点ではテーマは一貫していると私は考えている。

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