« ・「新カラテ地獄変」(1)~(4) 梶原一騎、中城健(2002、道出版) | トップページ | ・「ぶらコン」(1)~(2) ながしま超助(2009、芳文社) »

・「新カラテ地獄変」(5)~(10)(完結) 梶原一騎、中城健(2003、道出版)

最後まで通して読んだ。
子供の頃、父親の週刊誌を読んでたら載っていて、トラウマになったであろう人も大勢いる作品。
最初は主人公の空手家・大東徹源が、特攻崩れの絶望感の中から自分の人生を賭けるものとしての空手を見出し、世界をまたにかけてカラテを広めてゆく、という作品だったはずだが、回を重ねるごとに美女を拷問し続け、合間あいまにカラテシーンが入るという謎マンガに発展。
しかも団鬼六的なSM趣味と異なり、徹底して人間の浅ましさを冷徹に見つめるようなタイプのサディズムで、さすがに大量に読むとゲンナリしてくる。
ただし、巷間言われているように「インチキだから(事実とまったく違うから)」つまらないとは思わない。
やはり、本作には評価されるだけのものがあると言わざるを得ない。

・その1
まさか本作が「実話」だと思う人はいないだろうが、大山倍達の半生を下敷きにしている、ということは本作において明示してある。
で、ナチの戦犯狩りに加担したりなど、「どこが実話だよ!!」とツッコミを入れたくなる人もいると思うがまあ待ってほしい。
実は「まったくのインチキ」ではなく、「微妙に真実」が混ざっているのだ。

たとえば、主人公・大東徹源は中国拳法家のライバルの弟子入りによって、ハワイに最初の支部を設立する。「中国拳法の達人が弟子入りしてハワイに支部をつくる」というのはフィクションだが、極真空手が最初にハワイ支部をつくったのは事実のようである。

また、フランスの打撃系格闘技「サバット」と戦うエピソードがある。「サバット」は、「空手バカ一代」にも登場する蹴り技主体の格闘技だが、ネットのない時代には読者にとって長い間ナゾであった。
どうせ名前だけ小耳にはさんで、後はすべてインチキを書いているんだろう、などと思ったが、今検索すると、

・足技が主体
・華麗な足技で「切る」イメージ(実際には靴に武器を仕込んでいたらしい)
・蹴りが誘い水でパンチで決着を付ける

などは、そんなにかけ離れたイメージではない。
(実際の「サバット」に関しては、興味のある方はきちんとネットで調べてください。)

どっかのだれかが検証しているのかもしれないが、私がネットで調べたかぎり、梶原一騎は確実に「サバット」的なもの(「サバット」そのもではなくても、「ボックス・フランセーズ」であっても)はどこかで観ていると思う。

それと、4巻より前に出てきた武闘派ヤクザ・柳ヶ瀬次朗は実在した柳川次郎であり、実際、マス・オーヤマとの親交も深かったらしい。
やはり、どこかしらに真実をちりばめているのである。

まあ、最終的にはもっともわけのわからない「地中海の架空の小国のクーデター」の話で終わってしまうんですけどね。

・その2
本作が映画「女体拷問人グレタ」(私は未見)やらのナチ映画の影響を受けているだろうことは、既存の本にも書いてあることではある。
シャロン・テート事件をモデルにしたエピソードがでてきたり、中国の皇帝の愛人を両手両足切り落としてどーのこーのみたいなのが出てきたり、とにかく残虐エピソードの積み重ね。

しかも、前述のとおり「いかに人間の浅ましさを見るか」が主眼となっていて、70年代の劇画って基本的にレイプとか拷問描写が多いのだが、他の作家の作品と比較してもとびきり異様なことになっている。

さらにどうしても看過できないのが徹底した女性嫌悪。悪役が味方になったりするパターンはいいとしても、その悪役にひどい目に合わされる女性たちで、だれ一人レギュラーキャラになる者はいない(たいていひどい目にあって死ぬ)。
梶原一騎の女性キャラクターには聖女か娼婦しか出てこない、ということをわきまえていないと、作品への嫌悪感が先に立って読めないだろう。

なお、「カラテ地獄変」と「新カラテ地獄変」は、時間軸としては前作の方が後ということになっているが、けっきょく整合性はまったくなかったと言っていい。

いちばん大きな矛盾は、「新カラテ地獄変」で大東徹源が着々と築いていったニューヨーク支部やハワイ支部が、「カラテ地獄変」の方ではまったく出てこないこと。さらには徹源の親友であるチャンプ・キラー・ゴルゴも、当然ながらまったく出てこない。
まあ、簡単に言えば原作者がやる気なかったんだろうね……。

徹源の心理としても、「善悪を越えた不気味な男」と成り果てた「カラテ地獄変」での徹源がいかにできあがったか、ということが、途中までは構築しようとしていたフシなきにしもあらずだが、物語の中盤以降はまったくどうでもよくなってしまっている。

「カラテ地獄変」のときもそうだったが、梶原一騎は主人公の倫理観をきわだたせようとしつつ、お話を書いているうちにけっきょく人間の醜さ、女性嫌悪、拷問シーンに流されていってしまった印象がある。何べん仕切り直しても、けっきょく戻っていってしまうような印象だ。

本作はそうした作者の心のブレを読む作品なのだと思う。

|

« ・「新カラテ地獄変」(1)~(4) 梶原一騎、中城健(2002、道出版) | トップページ | ・「ぶらコン」(1)~(2) ながしま超助(2009、芳文社) »

アクション」カテゴリの記事

マンガ単行本」カテゴリの記事