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・「新カラテ地獄変」(1)~(4) 梶原一騎、中城健(2002、道出版)

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1978年から週刊サンケイに連載。
大東徹源の弟子・牙直人が主人公である「カラテ地獄変」の後、師の徹源が大東流空手をいかにして世界に広めたかを描く。

道出版版では全10巻だが、長編マンガは基本的に連載中に何度かの路線変更があるのが普通で、全編にわたっての感想を書くことが非常にむずかしい。
したがって、とりあえず4巻までの感想を書く。

本作は、私と同世代ならだれもが読んでトラウマになるような残虐描写にあふれていることで有名である。梶原一騎の作品史としては「ダーク期」にあたるとも言われている(この連載の後の「正編カラテ地獄変」の際、暴力事件で逮捕される)。

出てくる悪人はたいていサディストで、悪人ではない者もときにはサディストであり、そうではない者も暴力や拷問の前には(大東徹源以外)ぶざまにひれ伏す。
暴力描写そのものも残虐だが、それと同時に人間の浅ましさ、醜さを描くことが暴力描写の主眼になっているため、とにかく読んでいてイヤ~な気持ちになってしまうことうけあいである。

しかし、梶原一騎がこの時期に完全に人間不信とサディズムの人、に成り下がったと言いきることもできない。
連載初期は、「カラテ地獄変」ではうやむやになってしまったと思われる「主人公の、空手を通しての人間性回復」が描かれようとしたフシがあるからだ。
特攻隊として死ぬことができず、虚無感にさいなまれていた大東徹源は、少数精鋭の新興やくざ・剛友会の柳ヶ瀬次朗と出会い、その人間性に魅了され用心棒となる。
ところが、柳ヶ瀬の方から日のあたる場所に出るべき徹源と関係を絶ち、徹源もその心遣いを理解する。

梶原一騎が格闘ものを書くときに一貫しているのはこの「一人の人間の中に暴力性、凶暴性と一種の愛嬌が同居している」ということの魅力なのである。

中国拳法家としては最高峰のライバル・白月王(パイイエワン)は徹源に弟子入りを志願するが、彼がそのときに言ったのはこんなことである。

「あんたに教えられたのは……」
「悪魔の強さ 奸智 冷酷のみの武運には おのずと限界がある」
「さりとて聖書の『汝の敵を愛せよ』式でも話にならん」
「つまり 悪魔が魔性にギリギリの一線で徹しきれず ふっと……」
「聖書を手にしてしまうごとき武道こそ最強であり 心技の両面において敵に勝つと悟った」

普通なら、非情に徹しきった方が強い、と描くはずだし、「格闘技の強さ」の基準で考えてはここのくだりは何を言っているのかよくわからない。
しかし、「人間的魅力とは何か」について語っていると考えたとき、いくらダーク期だとは言っても梶原一騎自身の考えには、この当時もそうブレはなかったのではないかと思えるのだ。

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