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・「WHO are YOU 中年ジョージ秋山物語」 ジョージ秋山(2005、小学館)

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ビッグコミックオリジナル連載。
作者本人が主人公として登場、「妻を殺した」と告白してからの、どこまでが本当でどこまでがウソかわからない虚実入り混じった回想と懺悔と思索。

内容は中年~壮年にさしかかった作者の自問自答、という感じで、ずっと若いころに描かれた「告白」における青春期の悩みと呼応しているように思う。
私はジョージ秋山にはあんまりくわしくないのでこれ以上のことは書けないのだが、気になったのは作中に全文引用されている、呉智英の「捨てがたき人々」に対する解説である。
(というわけで、以下は本作には関係なく、引用されたその解説文について私が思うところである。)

呉智英はこの解説の中で、「80年代、若者は自我の苦悩を語ることがなくなり、無機的なSF、実は形を変えたお伽話の中に退行してしまった。しかし同時代に、自我に苦悩する若者をお伽話の中に誘い込んでしまったのがオウムだ」というようなことを書いている。

しかし、このあたりは乱暴すぎる意見だと思う。
おそらくここで呉智英が言う「形を変えたお伽話」とは、70年代後半から80年代にかけての、オタク隆盛にともなうアニメブーム、マイナー誌において乱造された「SF的」なマンガ群をさしているのだと思う。
それともう一方での、サブカルにおける「あたかも悩みがないかのようにふるまうことがクール」みたいな当時の風潮が頭にあるのだろう(ネクラ、ネアカなどと言われた時代、真剣に悩むことが「ネクラ」と言われて疎まる場合もあった)。

オウム真理教が、80年代的な軽薄なふるまいになじめなかった若者を吸収して成長したことに関しては、私も同意する。
そこには「自我に悩むこと」をダサいと排除する風潮も、確かにあった。

だが、少なくとも当時のSF(オタク的妄想も含む)が、「自我に悩む若者」を排除したかというと少々疑問だ。

まず「自我の苦悩がダサい」という風潮が、80年代にそれほど決定的なものだったのか? という疑問がある。
というのは、オカルト・疑似科学ブームは70年代から引き続き続いており、そこには「自我」の問題が内在していると思うからである。
「ムー」などのポップ化したオカルトは、一見ガジェットをひたすらに収集していく作業のように思えるが、そこまでクールに徹することができる人はごくわずかで、その裏には「自我の苦悩」の問題が必ずあるはずだ。
一方では心理学のブームや、大学の心理学科が人気になるという現象もあった記憶がある。それも「自我」への興味から来るものだろう。

呉智英の言いたいことはわかる。「自我」と「社会」との軋轢から来る苦悩を語ることがなくなり、「自我」が「自我」とか「内省する自分」というものだけの、スタンドアローンな存在として誤認されてきた、ということが言いたいのではないかと思う。
そして、それに私も半分は同意する。

だがそれでもなお、引用されたテキストは「知識人」の価値が下落したことに対する恨み節、と取れないこともない。「自我」と「社会」との軋轢を感じる者にしか、知識人は必要とされないからだ。
大衆社会が高度化し、あらゆる欲望が(少なくとも金さえ出せば)かなえられるようになると、かなり多くの人が実存的な苦悩などしなくなってしまう。したがって、知識人の役割も解体される。

知識人は、一般大衆にとって心理カウンセラー、政治評論家、スピリチュアル・アドバイザー、特定の社会問題に関するエキスパート、とそれぞれの分野に限定された存在になり、大衆を導くのではなく単なるサービス業に堕してしまう。
そのことに対する「面白くなさ」が、少々乱暴な決め打ちをさせているような気がしてならない。

私も、総合的な知識人の必要性は(大幅に狭まったとはいえ)現在もあると思ってはいるが、80年代のオタクが「思考停止した人」ととらえられるのは心外だと言わざるを得ない。

無機的なSFを「お伽話」だというが、80年代には多くの知識人が「論理的基盤」としていたマルクス主義が「お伽話」化していく時代でもあった。極端なことを言えば、80年代は「マルクス主義でまだがんばれる」と言い張っている進歩的知識人か、若いころにさんざんムチャクチャやっといて、中年を過ぎてから突然保守化する知識人くらいしかいなかった。
むしろSFの方がリアリティがある、と思われても仕方のない時代だったのである。

また、「お約束」な「物語」には、私小説的な物言いと違ってどんな心境にもあてはまるという「効用」がある。
70年代から80年代に起こったアメリカン・ニューシネマから「スター・ウォーズ」ブームへの以降などは、まさにそこら辺の見直しととらえるべきだろう。

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