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【雑記】・「もっと手軽に書きたいが」

私は、文章のうまい人の気ままなネット上の日記を見るのはけっこう好きなのだが、最近は自分が積極的に探していないこともあって、なかなかお目にかかれない。
自分でも気ままな日常とかふと思ったことについて書きたいのだが、なかなか思うようにいかない。
やはりクダラナイ感想が返ってくるとテンションは落ちるし。twitterで見ず知らずの人のずうずうしい意見を読んでいる人とか、偉いと思うよ。私なら一瞬でやめたくなる(実際、やめかけた)。

トシを取ってくると、「後続世代にどれだけのことを伝えられるか」ということを考えるんだけど、実際に生徒を教えた経験のある人はみんな言うね。「相手に学ぶ気がなければ、教えても仕方がない」と。

まあ、私も逆に何かを教えてくれようと思っている人をガッカリさせたことが、たぶん何度もあるのだろう。そういうことは若いうちには気づかないものだ。いや実際、自分は今でも気づいていないかもしれない。だれかを失望させているかもしれない。

しかし、砂漠に水をまくようなことでも、まかないよりはマシだと思うしかない。

以前、ラーメン屋に入ったら隣にサラリーマンの二人組が座って、ラーメンができるまで無駄話をしていた。
そのとき、耳に入った会話が興味深かった。
社内のだれかについての噂話で、

サラリーマンその1「それであの人は、逃避したくてやってるのかな? それとも本気で何かを改革したくてやっているのかな?」
サラリーマンその2「さあ……わからないなあ……」

確かに、逃避的行動と「改革的行動」は表裏一体なのである。

イラク人質事件のナントカさんが、当時多くの人から「ヒマだからイラク人などにかまけているんだろ」と思われたり、
女子大生やOLの語学留学が、本人は本気でも周囲から「逃避だ」と思われたり。

あるいは、オタク論に引き寄せればオタク的行動が現実逃避なのか、現実に結果的にせよアンチテーゼを突き付けているかも議論の的になるところである。

で、そうすると必ず、「自分の生活に密着してやむにやまれぬところから出てくる行動こそが真実」ということを言い出す人が現れるわけだが、
そもそも市民社会とか間接民主主義とかってものそのもの、
はっきり言って現代に生きていることそのものが、

「直接は自分に関係ないこと」にかまけないとやっていけない仕組みになっているのだ。

私には大きなことは関係ない、半径五メートルの世界でやっていきます、といくら言ってみたところで、
その半径五メートルを日本から独立させるわけにもいかない。

私がイライラするのは、世間一般の大きな動きであるとか、どうにも抗しがたい物事の道理であるとかに関して、それが気に食わないと思った場合、
その「気に食わなさ」を単に表明したり皮肉ったりするだけで、何か自分の立場を確立できたかのように錯覚する態度が、あまりに蔓延しすぎたということ。

あくまでもそういう態度は、個人個人の最後に残った「心のよりどころ」としてひっそりと存在するものであって、
そういうことを主張し続けたからといって、何がどうなるわけでもない。

話をもうちょっとせまいところに戻すが、
「安きに流れているのではないか」と疑われる行動は、世間に最も忌み嫌われる。
本人なりの決断ゆえの行動だったり、本当はけっこう大変であったりしても、である。

まあ、そんなことを気にしてビクビクしながら生きているのは私だけなんだろう。

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