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【雑記】・「自分の体験を自分の体験として取り戻す」

自分の立ち位置、確認シリーズ。
私は古いタイプのオタクなので、いわゆる「属性」概念が「遊び」以上にシリアスに流通してしまうことには懸念を覚える。
「属性」論者は、それが「属性にすぎないからこそ」、それで自由に遊べるのだと言うかもしれないが、私個人は、「属性」概念を発展させていくと、「自分自身の生きざま」との乖離が激しくなりすぎて、消化不良を起こしてしまうのではないかと考えている。

ま、そういう懸念そのものが、「物語」に多大に依拠していると言われればそれまでなのだが。

・その1
あくまで個人的見解だが、ネットというのは平板化された「一般的なもの」の集積体であると思う。
「普通はこうだ」、「これくらいは当たり前だ」ということを百万回繰り返して語られるだけの装置である。

たとえば、「リア充」という言葉が象徴的だ。
私はこの言葉が大嫌いだ。「リア充」という言葉は、それだけで「リアルとヴァーチャル」を分け、そして、「リアルでの非・充実感」を完璧なまでに隠蔽する。
まるで、「リアルな充実感」と「ヴァーチャルな充実感」と、そしてリア充の存在による「ヴァーチャルな不全感」の三つしかないように感じられる言葉だと思う。

本当は違う。当然だが「リアルな非・充実感」というものがある。
そして、「リアルな非・充実感」から「ヴァーチャルな充実感」への通路があり、「ヴァーチャルな充実感」は、「リアルな充実感」によって叩き潰される。
それによって、「リア充という言葉を広げたい人のインボー」は完成する。
それが「リア充」という言葉を取り巻く構造である。

まったくくだらない!
みんな、今こそパソコンを叩き壊した方がいいぞ!!(私はしないけど!)

・その2
ネットに書きこむことによって、自分の「体験」もまた、「その他大勢」の中に組み入れられ、平板化されていく。
たいてい、巨大掲示板の罵倒語は、個人的思考や嗜好、個人的考えをいかに叩き潰して平板化するか(あるいは、平板化されたものだという錯覚に陥らせるか)に血道をあげるものであって、そんなものばかり受けていたら身体によくないに決まっている。

ボードリヤールか何かの思想らしいが、最高の恋愛、最高の結婚、最高のセックス、最高の仕事、そんなものはネット上の「運のいいだれかさん」、あるいはテレビや映画の中にしかない。
それにはだれも、永遠に届かない。だからだれもが、永遠に不全感を抱えたままになる。

もちろん、私だって駆け引きを使うことはある。卑屈な笑みを浮かべて、どこかのだれかの、最高の恋愛や最高のセックスや、最高の仕事を称賛してみせる。
「彼ら」がやっていることはどれも「最高」のことなので、勝算は惜しみなくできる。しかし、当然ながら、私の体験ではない。

ちょっと読んでいてわけがわからなくなった人もいると思うが、「最強伝説黒沢」の冒頭部分、ワールドカップサッカーの熱狂が「他人の熱狂にすぎない」と悟った黒沢の感覚に近い、と言えばわかってもらえるだろうか。

黒沢のように大冒険をしなくても、自分の体験をオリジナルなものとして取り戻すことは考えを変えるだけでできるはずだ。
もちろんその過程には、「自分探し」とか「自分らしく」とか「そのままの君でいて」などの「罠」が待ち構えている。しかし、それくらいはRPGに慣れている世代なら、なんなくすり抜けられる。

当然のことながら、今私が言っているのは、「自分らしく」を避けて通ったために、「どこかのだれかが決めた平板化」、および「永遠にたどりつけない、どこかのだれかの最高の体験」を追い求める愚を避けよ、ということなのは、念のためにはっきりと書いておく。

まったくイライラする時代だ。少なくともオレはオマエの選定のために生きているわけじゃない。

【雑記】・「年度初めなので、また立ち位置を確認しよう」

【雑記】・「自分の立ち位置再確認・その2」

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