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・「いちご100%」(7) 河下水希(2003、集英社)

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週刊少年ジャンプ連載。
出た! 私のいちばん嫌いなタイプのキャラ、外村美鈴(真中の悪友・外村の妹)。美少女で歯に衣着せぬ毒舌を言うタイプ。人が傷ついてもなんとも思わない。
あ、いちおう断わっておくけど「こういう女が嫌い」なんじゃなくて、「こういう人間が嫌い」なんです私は!

それに最も近いのが涼宮ハルヒで、私はハルヒを1ミリもかわいいと思えないという自分を知った瞬間、現役の萌えヲタから脱落したと思っています。
で、調べてみるとライトノベルの「涼宮ハルヒの憂鬱」が刊行されたのが、この7巻が出たのと同じ2003年。どっちが先かは「いちご」の連載号数がわからないので調べられないが、まあそういう時代の息吹が感じられるかも。

いやいや、これってあながちうがった意見ではなくて、そもそもこの「外村美鈴」っていう美少女が新キャラとして登場する理由がイマイチわからないんだよね。考えられるとしたら、お話が硬直化したときのトリックスター的役割なんだが……。
ただ男のそういう役割としてはすでに天地っていうキャラがいる。後は真中の映像作家としての部分を掘り下げるために出したか。でもそれだって、外村にできない役割でもないし……。

ところで、私が「女性が言いたいことを言うのを封殺したいのではないか」と誤解されるとイヤなので、ここでハルヒとか美鈴みたいなキャラがなんで嫌いか説明しておく。

彼女たちは、議論してても「自分が女性だから、手を抜かれているのではないか」「自分が女性だから、まともに取り合われていないのではないか」っていう疑念をまったく持っていないから。
いやそれは男も悪いんだよ。男も悪い。2003年当時の。

それに、男もそういう立場になることはありうるけどね。

だけど、あまりにも彼女たちは無邪気すぎる。
議論というのはグイグイ押してってハイ勝ちました、っていうふうには現実にはあまりならないんだよ。
その場の空気があって、力学がある。それによって、「まあ、ここは矛をおさめといてやろう」とか「ここは一気に潰しておいた方がいいな」っていちいち手を変えるのが議論巧者というもの。

まあ、2010年の現在は「女性のくせに議論するな」とか「女性を議論でコテンパンに負かすと大人げない」とか逆に「女性に議論で負けたら恥だ」っていう感覚は、男性側にも薄れてきていると思う。
たとえば勝間和代やれんほうを「女性だから」とか「女性のくせに」って思っている人は、少なくとも現在三十代くらいまでの世代にはいないのではないか。

しかし、議論にTPOがあるのは普遍的な事実で、そういうことを気にしない人というのは私は男女問わず好きじゃない。そういうところを「かわいい」と思えないんだよね。もっとしっかりしろ、って思っちゃう。
2003年の段階では、議論する前にまずその土壌がガチかどうかを考えるべきだったんだ。
(もっとも、本作での鈴美と真中の映画についての議論は、単に真中が議論ベタという理由だけで負けちゃうんだけどね。ただ、後に小さいな文学新人賞を受賞した東城も感動した映画ということは、鈴美の言っていることが極論だということも裏で証明してしまっているんだよ。そんな重要なシーンでもないんだけど。)

ハルヒなんて原作版の「憂鬱」だけで言えば、自分が状況に踊らされていることをまったく気づかないわけでしょ。それって滑稽で、自分にはピエロにしか見えないんだよな。好きな人には本当に申し訳ないが。

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