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【雑記】・「自分の立ち位置再確認・その2」

前回の続き

80年代後半以前、すなわち私自身が学生時代何を考えていたかというと、やっぱり昔からエンターテインメントが好きで、エンターテインメントというのは大衆に開かれたものだから、一種の大衆論についてだった。

・その1
「大衆論」といってもいろいろな切り口があるけど、私はあまり影響は受けなかったものの当時はマーケティング理論が流行った時期だった。
「大衆から分衆へ」とか言われたのが今ネットで調べたら1985年。これは博報堂の研究所が提唱したことで、たぶんマーケティングと関係がある。

なぜマーケティングが注目されていたかというと、バブルを目前にいろいろ商品を売り込んでやろうという気持ちがだれの心にもあったからで、「大衆から分衆」というのは広告屋さん特有の先走った言い方ではある。
実際には「一億総中流」という感覚がかなりの強度をもって共有されたのが85年以降ということだと思う。

論壇的には、たぶん70年代半ばに一般人と感覚がかなり乖離した過激派が出てきていろいろやったことに対する反省から「大衆」を研究する機運になっていたはず。
曖昧で申し訳ないが、とにかく右にしろ左にしろ、改革とか革命とかが挫折したときには「なぜそれに大衆がついてこなかったか」を反省して考えるため、大衆論になっていくという流れがある。
たとえば柳田国男が評価されたりとか、なんかそういうことです。

・その2
で、80年代に「大衆」について言及するということは、裏返せば「一億総中流で、さらに一億がおおまかに同じ嗜好を持っていると認識された世界で、自分自身はどう生きていくべきか」という問題を意識しているということである。
「そこら辺の一市民として生きていく際に、どうしたら有意義だと思える毎日を送れるか?」という問いが、今はどうだかよく知らないのだが、80年代には多かったように思うのだ。

で、けっきょく「毎日地道に生きて、道のちょっとしたところにタンポポが咲いているのを観て感動しなさい」みたいな、お坊さんのお説教みたいな結論に(一部で)なってしまったのが80年代後半だと自分は認識している(繰り返すが、そういう物言い自体は正論中の正論なのである。ブラウン神父シリーズの作者、G・K・チェスタトンだって何十年も前から同じことを言っているのだ)。

さて、「大人になれ論」が問題なのは、それをものすごく真剣に、忠実に考えるならば、「大人がやるようなことではない、子供っぽいこと」はすべてやってはいけないことになる、ということだ。
少なくとも私はそう思った。チェスタトンほどユーモアにあふれた人もいないが、「地道に生きなさい」という物言いは、たやすくちょっとした冒険をも叩きつぶす可能性を持っている。

たとえば80年代当時のコミケや同人誌活動はどうだろうか。他の人はどうだか知らないが、私の周囲では「大人になっても同人誌活動なんかやるやつはボンクラ」という風潮が強かった。
ちなみに「劇団に入って芝居をやる」というのも、「大人になりきれていない」と批判を受ける場合もあった。実際、私が勤めていた会社の上司は、90年代初頭に趣味で芝居をやっていた女子社員にそのような陰口を叩いた。ちなみに彼は後に仕事を辞め、ロック喫茶のマスターになったそうだ。こんなヤツに批判された女子社員も、いい面の皮である。

同人誌活動がアンダーグラウンドな行為だと見なされる理由の多くは、エログロナンセンスなその「傾向」にあるのだろうが、それとは別に「いいトシしてクリエーターおよびお店屋さんごっこをしている」という意識が批判者には確実にあったはずだ。
つまり「大人になれ論」と同人誌活動は真っ向から対立することになる。実際に論者からの直接の批判を見たことはないが、論理的にはそうなる。

・その3
要するに、事後的に考えれば私が90年代前半まで模索していたのは「理想の大衆の生活とは何か」ということだったのだと思う。
しかし、従来の「大人になれ論」ではどうしても間尺に合わなかった。

まあ、私は面白おかしく「ただ、静かに暮らしたい」だけだったのだ。

そう言えば「ただ、静かに暮らしたい」と思っていた「ジョジョ第4部」に登場する吉良吉影は、快楽殺人というとてつもない秘密を抱えていた。彼は自分の最も大きな欲望「殺人」を遂行するために普通人として生活することに神経を使ったわけだが、寓意的な意味でだれにでもそういう面はある。
そういった、「自分自身の身の丈に合わない欲望」を「どうあやしていくか」が、自分にとってのオタク論の必要性だったのである。

つまり、オタク論というのは一種のエリート論の場合もあるが(「オタクエリート」なんていう本もあったが)、私にとっては完全に大衆論の延長なのである。

ほぼ2000年以降のオタク論における展開、萌えだの恋愛至上主義批判だのアキバブームだのは私にとってはおおかた(必要だとは思うが)どうでもいい問題で、要は「つまんない人生を、度胸や才能だのみではなくどのように面白おかしく送れるか」ということに、最終的には回帰する。

回帰するのであった。

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