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【書籍】・「動物化する世界の中で」 東浩紀、笠井潔(2003、集英社新書)

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ウェブ上で取り交わされた往復書簡の書籍化。

もうはや5年以上前の本だが、ここで語られている諸問題は現在でも問題であり続けていることではある。

ネットで感想を少しあさってみたが、途中でキレてみせた東浩紀をほめる声が多いのかな。
でも、私にとってはものすごくつまらない本だった。

その1
お互いの問題提議にどちらも真正面から答えようとせずにすれ違い、とうとうキレた東浩紀が「このままのやりとりが続くのなら、手紙のやりとりを打ち切るかもしれない」と書き送ってみせる、というのはさあ、……まあ東浩紀はある意味誠実だなとは思うけど、あまりに話を合わせなさすぎだろう。

ネット上の感想の多くはいわゆる「イデオロギーの終焉」を前提としていて、笠井潔が全共闘体験からの自分語りをすることに対してうっすら否定的のように思える。
むしろ、「私」を語らずに、おおざっぱに言えば「イデオロギーが終焉したところでイデオロギーの話をしてもしょうがない」といった態度の東浩紀の方が、2003年の段階では時流に乗っていたということなんだろう。

だけれど、全共闘体験を出発点とする笠井潔と、「今のポストモダンを否定すれば、ポストモダンが流行っていた時代も忘れ去られてしまう」という「歴史の忘却」的な危機感を持っている東浩紀は、私には似たようなものだと思えますけどね。
その件に関して気づいているのは、笠井潔の方なんじゃないのかな。

その2
それと、気になったのは東浩紀が「オタク文化について言及しているのは、それが最先端だからではない」というようなことを言っていて、それにも関らず「日本のサブカルチャーには、現代思想まで理解できる普遍的な構造が隠されている」という。
「オタク文化が最先端」なら、「現代思想を理解できる何かがある」という根拠がまだあるけど、「最先端ではない」なら、なぜ「オタク文化」に言及するのか?
個々の作品論だけでいいなら、なぜ「オタク」という「アニメ」や「ゲーム」というジャンルとは別の枠組みを持ち出してくるのか? というのが、さっぱりわからない。

ジャンル全体を把握せずに、作品をピックアップして評するから、誤解がどんどん広まってしまうんですよ。そりゃ各ジャンルのマニアから「他の作品を知っていてそういうこと言ってるの?」っていう、素朴な疑問はわくよね。

私も最初は「動物化」の定義に関してはちょっと誤解はしてたんだよ。「動物化するポストモダン」が出た当時は。それは認める。けれど、その「動物化」概念をオタク文化を通して説明しようとした試みは、やはり想定済みのことではあれ、誤解を生みすぎているとも思う。

その3
以下は本書にあまり関係ない話。

前にもだれかに話したか書いたかして、周囲ではまったく相手にされなかったんだけど……いつの時代にも「まったくどうしようもないバカな人たち」っていうのがいて、そういう人たちは衣食住とセックスがあれば、別に何も考えない人たちなんですよ。良くも悪くも。

そういう人っていつの時代にもいるし、そういう人が消費していく娯楽というのもいつの時代にもあった。
確かに、属性ありきのハーレムアニメは、「キャラクター」とか「物語」の好きな世代からしたらとてもバカバカしい。
だけど、過去にはバカバカしいホームドラマや、バカバカしい恋愛小説や、バカバカしいアクション映画があって、当時観ても今観ても本気でつまらない。

当然、なぜつまらないかといえばありきたりで、パターン化されていて、人間が描かれていないから。でもそうした過去の「商業的に量産されたつまらない作品」と、オタク仕様の「商業的に量産されたつまらない作品」が、どう違うのか。
そりゃ、若い人は年寄りの、「歌は心だ」とか「一般庶民を感動させなければ物語としては意味がない」とか、カッコいい物言いしか聞かされてないから、少なくともここ50年くらいのスパンではオタク文化、とりわけ萌え文化がハイパー化していると感じるのかもしれない。

でもセンパイ方はカッコいいことしか言わないものなんだよ。
実際には実は過去の作品だって「データベース的思考」でつくられているかもしれない。

さっさと完成させて早く飲みに行きたい、異性を抱きたいって思われてつくり飛ばされた作品だってたくさんあったと思いますよ。

その4
さらに話は本書とは関係なくなるんだが、なぜ若者(三十代くらいでもいい)は、哲学や社会学のようなコムズカシイ本を手にするのか。

それは、自分の周囲の世界の何らかを理解したいからでしょ。
いつも時代でも、若者は自分のことで精いっぱいで、とくに上の世代のことなんかはどうでもいいんだよ。上の世代の残してきたものは、自分と世界の関係を理解するツールにすぎない。

だから「自分の時代」こそが絶対的だと思って、その「自分の時代」の、時間的空間的範囲がどれくらいかはそれこそ時代によって違うんだろうけど、その錯誤が、現代思想経由の「オタク理解、萌え理解」には抜きがたくあるように思う。

まあ、それは先行オタク世代もその前の全共闘世代も同じなんだけどね。ただそういうことの指摘はしておいてもいいんじゃないか、って思った。

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