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【社会全般】・「猛スピードで第二段階に入ってる、あるいはオタクの運動論」

「非実在青少年・規制」問題について、間接的に関係あることを書きます(要するに直接は関係ないということ)。

私はひとまず、表現の自由の問題に照らして反対の立場です。
「表現の自由」や、児童ポルノだけではなく、ポルノグラフィー全般の「文化論的な」問題に関して、それほど単純だとは思ってないが今回はそれについては書かない。

あくまで間接的なことなので、情報収集などをしたい人は読まなくてかまいません。

・その1
まず、この条例改正案があまりにも性急に通されようとしたことが、今回異様なスピード感を感じさせる理由のひとつであることはもちろんのことなのだが。

また、現在、ネット上でものすごい速さで情報が飛び交っている。
twitterで、しかるべき人をフォローしておけば、逐一、状況の変化について把握できる。

最初は「こりゃ大変だ」としたアタフタ感が先に立った。その危機感は、むろん現在も薄れていないわけだが、そろそろ反対派の中でもさまざまに意見が分かれてきている。

そのこと自体は、大勢の人間が関わっているのだし、特定の団体として動いているわけではないから当然ではある。

自分がものすご~く気になっているのは、「オタク論」という観点からすれば、「オタク」というのを「生き方」の問題とするならば、その方法論の中に、今回のような件はほとんど入ってないということだ。

・その2
たまに「自分は人生賭けてオタクです」とか「生まれたときからオタクです」って言う人がいて、それはそれでかまわない。
が、私は「オタク」というのは人生のさまざまな事象の、一段面を切り取ったあり方にすぎないと思ってる。

はっきり言ってしまえば、「オタクである」というだけで人生すべてを乗り越えることはできない。

たとえばオタクには、(2000年代に入ってからやっと考えられ始めている印象だが)かつて恋愛やセックスの方法論はなかった。ヤンキーにはあったと思うんだよ。でもオタクには、ある時期までなかったし、今でも独自の何かがあるわけでもない。
他にも、人生の要所要所のことに関して、オタクであるだけで乗りきることはできない。むろん、ヤンキーであるだけでも、六本木あたりのIT関係者であるというだけでも、肉食系女子であるというだけでも、人生のすべてには対処できないし、それはそれでいい。

ついオブラートにくるんだ書き方をしてしまった。
はっきり言うと、オタクには「政治に対する関わり方」というものの伝承は何も受け継がれていない、ということが気になっているのだ。

だから、今回の規制反対にあたって、たやすく諸問題が、まったく新しい問題として繰り返されてしまっている。

・その3
たとえば、意見が分かれたときどうするか(あるいはどうもしないのか)。
特定の思想的団体が入り込んできたときにはどうするのか。
特定の政党や議員に陳情したとして、その政党や議員が規制には反対してくれても、別の局面では自分とは正反対の主義主張を持っていたらどうするのか。
いったいどのレベルで陳情の終わりとするのか。あるいはずっと継続するのか(この手の問題は監視し続けなければならないらしいが)。継続するとしたら、日常生活の中でどの程度力を入れてやるのか。

とくに、特定の思想的団体が入り込んできた場合はどうするのか」に関しては、事実として、私が今現在そういう話を聞いているわけではない。
しかし、ゴーマニズム宣言の「薬害エイズ問題」のときにもそういうことはあったらしいし、恒常的にそういうことは起こりうる可能性は、あるはずだ。

思想的・政治的な団体は、当たり前だが政治的なことを実践しようとするのが目的で結成されているのだから政治的な目的で動くのは当然だろう(すごいトートロジーだ)。
あるいはきちんとした目的がないかもしれないし、単なる利権団体にすぎないのかもしれないが、それにしてもそういうものが出てくる可能性はある。

で、そういう諸問題に対処できる知識を持っているオタクが、どれほどいるかというと私も含め、ほとんどいないと思う。

・その4
ほとんどいないのは当然で、オタクというのは「そういうのをいろいろと排除した上で」形成されているからだ(もちろん例外もある)。

たとえば、そろそろ生じ始めている反対派間の意見の相違、あるいは過激で攻撃的な発言を繰り返して問題をこじらせてしまうような人たちを、まるで「初めてそういう人に接するかのように」ネット上で書いている人がいるとすごく気になる。
おそらく、そういうことはなにがしかの運動をする際に、必ず起こりうることとして想定されなければならないはずだろう。
まあ年齢的に団塊ジュニアくらいなら仕方がないが、四十代でそういうことをしれっと書かれると愕然とする。

・その5
ここで、「定説」のおさらいをしておこう。

オタク第一世代は、彼らのすぐ上の全共闘世代に対する大きな反発と、少しの共感から誕生している。
これはオタクにかぎった問題ではないが、全共闘世代の「政治への関わり方」のメソッドは、ものすごい勢いでぶったぎられ、断絶してしまった。
(ここら辺は、規制反対に関する集会において、全共闘世代の呉智英氏が「理論武装はやっといた方がいいよ」と若い世代に「アドバイス」したことに通じるはず。)

まあ全共闘世代にも問題があると思っているが、とにかく事実として断絶した。

80年代からは、マスとしては「政治に関わること自体がカッコ悪い、罪である」という風潮になった。
押井守のような政治的メッセージを繰り返すクリエーターもいたが、何か現実的なアクションを起こしたり現実の動きに筋道を付けようとしたわけではないと思う。

80年代後半、反原発運動や「朝まで生テレビ」、「ゴーマニズム宣言」の人気などから、プチ社会派ブームとでも言うべきものが起こるが、オタク史に影響を与えることはほとんどなかった。

90年代半ば、オウム事件が起こり、「オタク世代の犯罪」などと言われるが、オタク自身はその前に起こった宮崎事件の100分の1も、自己批判しようとはしなかった。
ま、別に私もしなくてもいいとは思っているが、しなかったことは事実であり、その事実は、オタク全般が宗教にも政治にも無関心であったことを裏づけている。

「宮崎的な物事」には罪悪感を刺激されてしまうが、「オウム的なもの」にはあまり刺激されない、というのがものすごく大雑把なオタクのメンタリティといっても、90年代半ばに限って言えば良かったのではないか(繰り返すが、もちろん例外はある)。

そしてもちろん、オタクに精神的な影響を与えたのは、オウムよりも「エヴァンゲリオン」だった(両者は奇しくも「セカイ系」という観点から共通するものがあるが、それはまた別の話)。

そして、あまりの政治・思想ばなれからの反動が、東浩紀~宮台ラインの批評が、少なくとも文学フリマあたりに参加するような人には読まれているということ、そしていわゆる「ゼロ年代」のキーワードでなされた批評群、ということになるだろう。

なお、一般的な「オタクは政治に無関心」というイメージとは裏腹に、オタク的立場から明確に政治関連の発言を続けている人に大塚英志がいることは特に記しておかねばなるまい。
成年コミック関係者は、昔から規制問題とは関わっているので、ソッチ方面にもある程度知識のある人はいると思う。

・その6
私が言いたいのは、「オタク」という立ち位置にアインデンティファイするだけでは、政治問題には抗することはできないのではないか、という懸念であり、それは戦術論とか技術論とかの話ではなく、「どのような教養体系を持つのか」という話なのであるが。

今後、反対派間では多かれ少なかれ、いろいろ意見が分かれてくるだろう。そういう意味で「第二段階に入るかも」と書いた。

わかっていただけたでしょうか。

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