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【雑記】・「あるマンガを読んでいて思ったこと」

あるマンガであったくだり。
不良っぽい女の子を好きになった純な男の子。
なかなかやらせてくれないので、「なんでやらせてくれないんだ?」と問い詰めると不良少女は、かつてある男性を愛し、子供を産んだが男は自分のもとから去り、その子供を死なせてしまったというトラウマを持っていることが分かる。

で、純粋な男の子が「そんなことは関係ない、そういう過去も今もぜんぶ含めて君が好きなんだ」と叫び、感激した不良少女と抱き合ってそのままセックス……みたいなシーンがあった(ちなみにこの作品は男性作家が描いています)。

・その1
でだ。
10年くらい前の作品だが、もしも今、こういうシチュエーションがスピリッツとかモーニングで出てきたら、まったくの予想にすぎないが、
そういうふうに言われた女の子側が、以下のように思うように描かれるのではないか。

「なんでこの男の子はヒロイズムに浸っているんだろう。私のすべてを引き受けてくれるって? ウソに決まってる。むしろ、私のすべてを引き受けてくれるなんて、傲慢な考えだ」

と。そして、セックスすることはするだろう。義務感からか、あるいはその男の子との関係を絶ちたくないからか。
ただ、そこの段階で心身ともに結合する(あるいは結合すると感じる)という描写ではなく、覚めたものになるだろう。

いや本当に、ただパッとひらめいただけで何の根拠もないんだが、もはや男の「強さ」、「強がり」がマチズモだとして批判される次の段階で、
男の「優しさ(だと男が思っていること)」すら、批判の対象になりつつあると感じるんだよね。

まあ確かに、異性の思いやりがまったく相手の自己陶酔にすぎない、ということは男でも女でもあることはあるんだが、それを抽出した果てには何があるのか、っていうことを考えている人は少ないよな、と思う。

というのは、他人を他人としてとらえて分析すればするほど、人間は孤独になるから。

・その2
何度かこのブログでも書いているように、世の中の流れは地縁・血縁的共同体の解体から都市的な個人生活が当たり前になる、というふうに、どんどん個々人が切り離されてきている。

この現象は、マクロでは不可逆的に進行する。
そして、あまりに個々人がバラバラになると、管理がしにくくなるので余計複雑で厳しい管理システムがお上から導入されていく……ということもあるんだけどそれは別の話として置いておく。

何が言いたいかというと、「恋愛や結婚での精神的結びつきからの、家族づくりこそが人間最大の幸福」という「とらわれ」から解放されようとすると、今度はどんどんどんどん、自分が一人ぼっちの方向に進んでいくという危険性があるということ。

人間、中間領域(ただ何となく、という状態を保った状態)で足を踏ん張るのは非常にむずかしいので、過激に走りすぎると、周囲に流されるのと同じくらい不幸になってしまう可能性もある。

人生の思索と幸福は、一致しない場合が多いからね。

だから、自分はマンガでも小説でも映画でもいいが、個人主義を貫いた「その先」が観たいのだけど、まだその前の段階でとどまっているものがほとんどだと感じる。

「男って(女って)こう思っているけど、こっちはそんなこと思ってねーんだよ」っていうのは、指摘したときはスッキリするかもしれないけど、「え、じゃあそこまでディスコミュニケーションならもういいわ」って思われてしまうかもしれないし、そうではない場合でも、人間関係に常に極度の緊張感をもたらしてしまう。
だって、四六時中相手の気持ちを疑っていなければいけないわけだから。

そいうことは、最近の、若者の諸問題が(就職難は別にして)コミュニケーションスキルの問題に偏っていることと、関連していると思う。

・関連
幸福モデル問題

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