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・「瑠璃色ゼネレーション」全7巻 柳沢きみお(1983~86、小学館)

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同棲からそのまま結婚して数年が経ち、妻・さえこと深刻な倦怠期に突入してしまったサラリーマン・三十代初めの深町良。
彼の同期で、妻子に実家に帰られてしまい、ヨリを戻そうと必死になる井原。

この三人の日々を中心に展開される、三十代のクライシス模様。

・その1
結論から言えば、この作品は面白い。
三十代初頭の男の、「もう若くはない」という虚しさと「まだまだいけるんじゃ!?」というあがきを、非常にうまく表現している(女性の心理も描かれているが、それに女性が共感するかどうかはわからないが)。

83~86年の三十代となると、自分が想像してもいちばんわからない世代。当時、三十歳くらいだと、現在五十五歳か……。ますますわからん。全共闘世代の一世代下だけど。これくらいの世代でオタクにもサブカルにも興味ない普通の人って、本当個人的につきあいないからなァ。

同じ作者の「妻をめとらば」同様、主人公は不倫・浮気をする。しかも、不倫をすれば妻にも不倫相手にも申しわけないのに、いざどちらか一人に決めると、迷っていた頃にはない別の喪失感が襲ってくる。
その繰り返しが、共感せずにはおれないんだな。
それは不倫がどうとかよりも、「人生の選択」に関わっているから。

・その2
さて、本作が連載された同じ1983年に、「不倫ドラマブーム」のさきがけとなった「金曜日の妻たちへ」が放送されている。因果関係はまだ調べていないし、この際どうでもいい(ちなみに、本作もテレビドラマ化されています)。
それ以前にも、浮気や不倫のドラマやマンガなんていくらでもあったことはあった。

しかし、80年代前半くらいを基点として、「普通の生活をしている普通の人々」の不倫ものが描かれるようになったように思う。
今、きちんと調べないで試論として書いてしまうが、悪い言い方をすれば経済的に豊かになり、個人主義が台頭してきた中での「甘え」、「逃避」としての不倫が大衆に受け入れられていったということだろう(その辺のことは本作でも言及されている)。

好意的な解釈をすれば、「大人になること」、「大人とは何か?」の基準がどんどんグラついていったのが80年代であり、その中で、かつてはさまざまな条件をクリアして大人と承認されていたはずの三十代が、その承認の基準がわからずに右往左往するさまを描いた、と言うこともできる。

80年代の「不倫もの」の行く末としては、ドラマでは後に形骸化して「トレンディドラマ」となっていく。たとえば都会にマンションを借りて住む高収入で子供のいない夫婦、カタカナ職業の男女たちなど。
マンガの方は……すいませんよく知りません。

・その3
本作の話に戻る。
まあ名作度としては「妻をめとらば」に多少劣るところはあるが、それでも本作に漂う「何かが決定的に終わってしまった後の虚無感」は捨てがたいものがある。
とくに、わりといい男らしく不倫しては悩んだりおちこんだりする主人公・深町よりも、彼の同僚で奥さん以外にはトルコ遊びしか知らない、いかにも人のよさそうな井原というキャラクターがとってもカワイソウ。

妻に実家に帰られ、頭を下げて戻ってきたと思ったら口もきいてくれない。
なぜそんなことになってしまったのかはほとんど描かれていないが、妻は実家に来た井原に対し「お土産を駅前で買ってくるような感性が気に食わない」と言い放つ。
そしてまた、その次に実家に行くとき、井原がきっちり、東京で土産を買って持って行くんだよォ~。いじらしくて泣けちゃうよなあ。

ここで描かれている人間関係は、単に「何となく」とか「世間体」というものだけで結ばれていて、ひとたび「自分たちが一緒にいる理由なんて何もないじゃないか」と感じられれば、糸がほつれるみたいにバラバラになってしまう、あやういものだ。
80年代当時は、こういうのは「甘えだ」とか「景気のいいうちだけだ」と言われたけど、けっきょく個人主義は、少なくとも現在までは進み続けている。
また、「妻をめとらば」の感想にも似たようなことを書いたが、こういった人間関係の虚無感の裏返しが「オタク」の出現と関係していると、私は思う。

この時期、確実に何かが進行していて、その上に現在がある、はずだ。

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