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【オタク】・「オタク論 第二章」

どこに書いたか言ったか忘れてしまったんだけど、最近の私の認識としては、95年頃からの「オタク論」の役割は、2005年の「電車男」ブームで終わったと考えている。
95年頃からのオタク論は、「世間にその存在を認めさせる」という目的があったわけで、うがちすぎな見方としては、それ以降の「ワンテーマの社会運動」のさきがけかもしれないよね。やっぱりうがちすぎかな。

で、2005年の「電車男」ブームは、一般人からの「おまえらも普通の恋愛に興味があるなら『名誉白人』として仲間に入れてやろう」というメッセージであったと思う。
それ自体が認識の誤りであるとする「過激層」を除けば、まあまあいい「成果」だったんじゃないか。

その後は、世代的には上の私からすると「萌えヲタ」と「そうでない人」との落差が激しくなりすぎて、もともと2000年代に入ってから顕在化していたオタク内での世代間のギャップがほぼ決定的なものとなっていったと感じる。

だから私としては、もううだうだ書いてもしょうがないかなと思っていたんだけど、私の被害妄想かもしれないが下の世代からの歯に衣着せぬ先行世代への批判(というより悪口)が聞こえてくるに至って、またなんか書こうと思った次第。

その1
思い返してみれば、オタクの先行世代が仮想敵にしていたのは、全共闘世代だった。まあ認識は人それぞれだろうし、全共闘世代にもそれなりの言い分はあると思うのだが、まあそうだった。

で、世代間の差異としては、第一世代に対して第二世代が根本的な批判を向けることはほとんど無かったように思う。
そして第三世代で初めて「萌えヲタ」を極端に称揚する雰囲気になって、そこから断絶がかなり激しくなる。
あくまで感覚的なものだけどね。

漠然と「世代」でくくってしまうと問題があるとは思うのだけど、試論として便宜的にそう書いておく。
本当は個人個人の発言に言及した方がいいんだろうけど、まだそこまで確認できていなくて。雰囲気のはなしなので。

で、私がやりたいのは両者に果たして決定的な齟齬があるのか、それとも単なる勘違いなのかの考察。
見込みとしては、勘違いや悪意による(おまえらとは一緒にされたくはない、と思う)すっとぼけがあると思う。だけれども、地の部分は同じ。
そうでなければ、若い世代が自分を「オタク」とは認識しないと思うのでね。最初っから先行世代と同じ土俵に立たないと思うんですよ。
勘違いで土俵に上がっちゃっているとしても、少なくとも上の世代は彼らに対して同じ土俵でものが言えるよね、と思う、ってのが現状認識。今後変わるかもしれないけど。

その2
それで、私としては先行世代の、変な下の世代の断ち切り方をどうにかしたいと思うわけですよ。
それは「電車男」とか「アキバブーム」とか言われていた頃の、萌えヲタ批判からくすぶっていたわけでしょう。極論として「ストーリーのないアニメをありがたがっているヤツなんてバカだ」的な物言いがある。

だからこそ、萌え擁護の言説が支持を集めたことは(その論理展開の妥当性は別にして)、今考えるべきだと私は思ってますが。

まず、先行世代はもうちょっと断絶を自明のものとしないで、考えるべきだと思う。
もちろん、同世代内の違和感ってのは、あるわけです。「萌え」的な要素というのは私は70年代後半からあると認識しているし(そう思っている人少ないんだけどね)、それに対して同世代内でも、あからさまに嫌悪感を表明する人もいた。

だからまず、同世代内の断絶を認識して、それから後続世代に文句があるなら言えばいい。

こんなことここで書いても(読んでる人が少ないので)しょうがないとは思うけど、先行世代に「萌え」はなかった、もっと熱いメカオタクや特撮オタクがいて、歴史の連続を認識した語りを行っていた、ってのも、確かに本当かもしれないが果たして全面的な真実となるとどうか。
たとえば現在第四世代くらいに位置している若者から見れば、第一、第二世代を一緒くたにしか見ていないということもあると思うし。

その3
そもそもが、「オタク」って、その前の世代との差別化のために出てきた呼称でしょ。よくも悪くも。
実はその呼称が初めて出てきた段階から、上の全共闘世代との断絶はすでにあった。

だから本当は、オタクが「歴史性の認識」をあまりに強調するのは自己矛盾ではないか、という気がしないでもない。
もしかしたら、若い世代はその欺瞞性に気づいているのかもしれないよね。

その4
それともうひとつ思うのは、これもどこかに書いたかどうか忘れたが、「萌え」のすばらしさをことさらに持ち上げる種類のオタクの人っていうのは、それが「自分たちのもの」、「自分たちの時代のもの」だと思っているから、「萌え」の歴史観としても、90年代初頭を起点としている人が多いのではないかということ。
そこが、また断絶の原因になっていると思うんだよな。
また、それが理解していない人にとって「萌えは理解しづらい」という理由になっている。

私の認識としては、70年代から80年代初頭にすでに「そういうもの」は存在していた。ただ萌えはどうしても感覚にうったえることなので、たとえば若い世代が「うる星やつら」のラムちゃんを観たときに、「これは古すぎて萌えないですね」って言われたらそれでオワリ、っていうところがある。

でも、たとえばポルノの歴史にしたって、昔のは好みに合わないから興奮しない、ってものもあるかもしれない。
だけど、現代人が興奮しないということと、その時代にポルノがあったかどうかということとはまったく別の話だからね。

その5
というわけで、先行世代のオタク、おっさん連中が「歴史性の大切さ」をうったえることに欺瞞性が隠れているとしても、やはり「オタク的なモノ」が「歴史として楽しまれていない」っていうことは、言わざるを得ないと思うし、それがもっとも大きな断絶の原因だろうと現時点では思う。

「いちばん新しいモノがいちばん良いモノ」っていう認識が変わらないかぎり、少なくとも「オタク論」というか「論評」としてはダメなんじゃないかと思う。
そして、「いちばん新しいモノがいちばん良い」ってのは、萌えがそうでしょ。萌えって時間軸の変遷を追っている人って本当に少ないんだよね。それに、追っていっても研究してる、っていうことで、楽しんでる人は少ないと思う。

でも「古さ」を楽しめないと、文化として成熟しない気がする。

逆に言えば、「古さ」を楽しめれば、先行世代とも断絶することは少ないのではないかと思うんだよ。

先行世代としては「新しいものについていけない」ってネックがあって、これは古いものを愛でるよりかえってむずかしかったりするのだが、「新しいものはダメだ」って決めつけない慎重さが必要だと思う。

そもそもが、先行世代が「ダメ」って言ったコトは、(少なくとも萌え関連に関しては)古い作品にも内包されていることが多いわけで、それは根本的な時代の差異とはちょっと違うと思うのでね。

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